見出し画像

移住してみて #02


さっそくですが、

どこか別の場所へ移住したい

と思ったことはありませんか?

☑︎田舎に移住したい
☑︎どこか遠くでのんびり暮らしたい
☑︎大都会にいきたい       etc.

理由は人それぞれだと思います。

私は結婚を見据えた同棲をするために、
彼の地元である四国へ移住することにしました。
※元々私の地元は、関東です※

この先は、私が良くも悪くも感じていることについて正直に書いていこうと思います。

幸せすぎる毎日

移住して約2ヶ月は、
まだ仕事もしていなかったので心にゆとりがありなによりも同棲生活が幸せでした!

彼のためにお弁当を作ってあげて
もちろん夜もこだわった料理を出して
一緒に晩酌もして、家事も掃除もやって
【結婚したらこんな感じなのかな〜幸せ】
って思ってました。

全国の主婦の皆さんがみたらきっと
☑︎いまだけだよその気持ち
☑︎私にもそんな気持ちがあったな
と呟いてくれそうですね笑

でもその通りです。
そんな浮かれた気持ちはほんの数ヶ月でなくなりました笑

一緒に生活することに慣れてしまって幸せと感じなくなった、私はそんな理由ではありませんでした。

あることがきっかけで、地元を離れて暮らすことが不安になりました。

そのきっかけは、

大好きだった祖母との突然すぎる別れ

でした。

私は幼い頃から祖母が大好きでした。
私が中学生になった時、祖母は透析をはじめ
母からも「いつおばあちゃんが亡くなってもおかしくない」と言われてきました。

そんなことを言われながらでもかれこれ10年、
祖母は透析しながら仕事をするほど元気でした。

私が四国へきてからは、実家に戻ることが無くなったので祖母の家に行くこともなくなりました。

今年の4月、私は新しい環境で仕事をはじめました。
仕事をしてから、初めての休日に突然の発熱。
慣れない仕事で疲れたのかなって思ってました。

ここ数年熱など出たことなかったのですが、
38度〜39度の熱が3日続きました。

え。。まさかのコロナ、、、?
と思いましたが、コロナではなく疲れじゃないかとのこと。

熱が下がった次の日の夜、母親から珍しく電話がありました。
「真剣にきいてほしい。おばあちゃんが危篤した。」

あまりにいきなりすぎて全く理解ができませんでした。
私の母も危篤寸前まで、体調を崩していることを知らず親戚の人からの連絡でなんとか最後に立ち会うことができたそうです。

祖母は、私の母を含め3人の子供がいます。
危篤の連絡が私の母にあった日、1番下の弟が県外に居たそうですが祖母のところに来るまで頑張って息をしてくれてたと聞きました。
母の弟が祖母の前に来た時安心したのか、すーっと眠ってしまったそうです。

私はふと思いました。
私の突然の発熱はもしかしたら、祖母が最後であることを伝えようとしてくれていたのかもしれない。

今でもその時のことを思い出すと、
近くに入れなかったこと、気づけなかったことがとても悔しくてたまりません。

移住すると金銭面、仕事の都合でほんとになかなか地元に帰れなくなります。

不幸ごとが起きてはじめて地元から離れて暮らすことの不安を感じました。



ちょっと話が長くなりすぎたので
今回はここまでにさせていただきます。

いいことがあれば悪いこともあるって
本当のことなんだなあと思ってしまいますね。

そして今日という1日が無事に終わったことに
感謝ですね!
明日も平凡な日常でありますように。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?