好循環を始めよう!親切とオキシトシン

2020年4月12日

おはようございます。4月12日日曜日、今日もradio sufi 始めます。

昨日、珍事件のお話をこのラジオでしたんですけども、私がやったのはお節介ともいうことになるのかもしれないですけども、親切心ではあったわけなんです、自分の中ではね。

その親切心をやると、脳にどんな変化が起きるかっていうことを、今日は、ちょっとお話ししてみようかなと思います。

私はレイキを10何年やってきているんですけれども、“毎日こんな風に生きましょう”という指針というか、言葉があります。その言葉を24時間実践しましょうっていう、実践しないとあまり意味がないのでね。そういうのがあります。

今日だけは、

怒るな、心配すな、感謝して、業をはげめ、人に親切に

というこの最後の”人に親切に”っていうのに、すごく面白い捉え方がありまして。これについてもしかしたら、来週とか、ひとつひとつお勉強会なんていうのも面白いかもしれないですね。

セミナー、私は今、現代レイキは教えていないんですけれども、ずっと現代レイキには私自身もお世話になってきていて。

大正時代に始まって、臼井先生が見つけてくれた宇宙の大レイキを、自分の中に取り込んでやっていくっていう技法です。そのやっぱり心を大事にしないと、出すエネルギーが変わってしまうんです。出す氣です。

氣と心は本当に密接に関係しているので、心を無視したまま氣を出すなんてことをしたら、まぁ、自分を傷つけることにもなってしまいますので、すごく重要なポイントなんですよ。


それで、人に親切にという、その親切にっていうところを、昨日の話の流れから、ちょっとお話ししてみようかなと思ったので。脳との関係ということで、改めてその話をするかもしれないですが、ちょっとしてみようかなと思います。


当時、何を親切にしたらいいのかなって思って。当時は東京の代官山に住んでいましたので、電車とかに乗って渋谷によく行ったりすることがありました。そうすると、東京にいる人たちはわかると思うし、行ったことがある人も本当にわかると思いますけども、前にもお話したけど、渋谷って谷になっているので、よくないエネルギーが溜まりやすいんです。良いものも溜まるんだけども。

その中で良いエネルギー、溜まったエネルギーの中で、自分の状態を良い状態にして、それを維持したまま、ドロドロの中で良い波動と響き合うって結構至難の技なんです。できるようにはなりますよ。だけど、修行に入りたてっていうのは、とかく敏感体質にはなりがちでしょうし、恐れとか不安、恐怖、怒りというものも、その人の中にはたくさんあるでしょうから、響きやすくなってしまって、渋谷に行けなくなるなんていうことはよくあります。

そんな中で、具合が悪くなる人もいっぱいいるんです。


こういうことお勉強してなくても、あの人混みの中で、暑さとかでフラフラって倒れちゃったりする人とかも結構いて。


ある時、山手線から降りて、人がウワーーッて流れていくわけです。なるべく空いている道を私は行こうとするから、端っことか、出入り口、階段とかから遠いところに乗ったりしてたんですけども。フッと人混みがサーーッと抜けた時に、女の人がそこにしゃがみ込んでたんですよ。「わっ、なんか具合悪そうな人がいる。」

でね、東京っておっかないんですよね。

誰も見ない、、違う、

見て見ぬ振りをして通り過ぎていく。


自分のことしか考えてないの。仕事行くこと、遊びに行くこと、わかんないんですけど。誰一人として具合悪くてしゃがんでいる人を見ても、声をかけないんですよ。もう、ありえない光景ですよね。でもそれが日常だったりします、都会って。

都会っていうか東京って結構そういう場面をよく見ました、過去ね。なんか、「えっ、具合悪いんじゃないの?えっなになに?どういうこと?」みたいな。みんな見てはいるんですよ。で、男の人でも、女の人でもみんな忙しそうに横目で入っているはずなのに、チラッと見て、「フーン」とか、「関係ないわ」とかって、みんなウワーって通り過ぎていく。

なんか、呆気に取られちゃうんですね。その頃、親切にするっていうの一日やらなきゃいけないって、こう、自分の中で修行を課してますから。「きたぞ、私の出番だ」って思うわけです。みんなウワーっていなくなるのを見ながら、私は彼女に駆け寄って「大丈夫ですか」って声をかける。

具合悪くて辛いんだから、声かけてもらったら嬉しいでしょ。一人ぼっちで、しゃがみ込んでるんだから、「大丈夫ですか」って言ったら。でもね、やっぱりそこが都会のなんか変なところで、声をかけたら変な人に思われるんじゃないかっていう、この日本人特有の変な感じ。好きくないですね、そういうの。そういう人ね。

それでなんか、そうすると「いや、大丈夫です」みたいな「もう、ほっといてください」みたいな。「いや大丈夫ですから、本当に」みたいな感じで、親切に声をかけても「いいです」って言われちゃったりするんだよね。

でも、立ち上がる感じでもなく、「いいです」って言われたから、「あぁ、どうも余計なお世話でした」みたいな感じでそこを一旦去ったんですよね。だけど、私の中で親切にするっていうミッションが終わってないんですよ。「うーん、どうしよう」って考えて、あまりしつこく親切にされるのは嫌なんだろうなと思ったので、キオスクで水を一本買って、もう一度彼女のところに戻って、「あ、大丈夫ですか。これ、よかったら飲んでください」って。

その日、炎天下の日だったので、彼女にお水をあげて、「もしなんかあったら、駅員さんとか呼んでくださいね」って言って。あまりね、関わって欲しくなさそうだったから。でも水はいるでしょ、きっと。だからそのお水を買って、彼女に渡して「それじゃ」って言って、その場を立ち去ったんですね。


それで、大事なのはその後に起きた私の中の変化です。行為はちょっとこの場合置いておいて、親切にすると、脳で何が起きるかって話なのですが、ちょっと良いことをする、要するに人のためになることをする、要するにこれ、与えるって行為だと思うんですけども。

親切=与えるっていうことをすると、脳でオキシトシンと呼ばれる、よくね、幸せホルモンって言われているものが分泌されちゃうんです。

脳内麻薬みたいなもんですよね。


幸せホルモン麻薬です。そうすると物事に対して、すごく前向きになれたり、創造性が膨らむ。妄想の方じゃないですよ、クリエイトの方の創造性です。それがワーッと出てきてみたり、まず幸せな氣分になるというのが第一。脳とか心が癒されたり、ストレスがなくなってみたりとかですね。

オキシトシンが分泌されると、そういう効能、効果、変化があるわけです。


それで、例えばそのホルモンが出てる人っていうのは、不安とか恐怖心が減少します。だからいつも安心の境地ね。人への信頼の気持ちっていうのも増すし、ハートだから心臓の機能を上げるとか、とにかく意欲向上、記憶力向上とかね。

そしたら免疫が上がるってことですから、要するに感染症予防にも繋がるということです。


そう考えていくと、今、世の中で起きていること。免疫上げなきゃいけないでしょ。それで、与えるっていう世界になるよって言ってるでしょ。そしたら与えるっていうことで幸せホルモンを出しとかないと、免疫が下がるわけだから。ウイルスたちは地球の浄化にひとつ役を買ってるわけですから、みんな、親切、与えるってことしていかないと。

地球の半分の下の方が泥に浸かってるとしたら、一生懸命親切とか、与えるとかして泥の上に上がってないと、

ウイルスと同じ立ち位置になっちゃうわけですよ。

だから私うるさく言うのね。時代は変わっているから、与えるっていうことをする、愛、調和、癒しで生きるっていうことにしないと、その足、地球半分から下浸かっちゃってるわけですから、その上の方で生きていかないと生きにくいよ、って何度も言いますよね。

そういうことの一つとして、親切にするっていうことで、脳にオキシトシンが分泌されれば、自然とそこに行けるよっていう。それが与える行為であり、親切をするっていうことになっちゃうんですよね。

何でもいいですよ、「そんな場面ないよ、電車乗らないし」とか言う人いるかもわからないけども、なんでもいいです。例えば、誰にも会わない引きこもりの一日ですって言ったら、せめて夜寝るとき、朝起きるとき、私いつもやってるけど「生きとし生けるものが幸せでありますように」って、誰に会わなくたって、そういう氣持ちで生きていれば、エネルギーとしてなにかを人に与えているし、親切のエネルギーに繋がるわけですよ。

じゃあ、ちょっと買い物に行ったって言ったら、ドアを開けたりするじゃない。そしたら他の人が入ってくる時に、ドアを開けて待っててあげるとかやるでしょ、やらない?やるよね。それでもう一言、「お先にどうぞ」って言って笑顔で接するっていうことだって、ちょっと親切心パワーアップです。そうするとオキシトシンも倍増ってことです。たくさんあるんじゃないですかね。

メンバーにもいっつも、与えるっていうことを一生懸命やってくださいって、こう言うんです。それは物でもいいし、行為でもいいし、一番の基本は笑顔だよって話をすごくします。お客様がいらっしゃったら「こんにちは」って言ってニカーって笑って、道ゆく人に出会ったら、「こんにちは」って言ってニコってする。

そりゃ返ってこない時もありますよ。仏頂面して歩いている人もいますから、でもそんな人にでさえ、ニカーって笑って挨拶ができたら、その人、その時は仏頂面してるかもしれないけど、心の中で「あ、なんか、私って生きてていいのかな」とかね。

仏頂面してるってことは、なんか自分を否定して生きているわけでしょ。なんか、嫌なことがあったのかもしれないし。そんな中でも明るい笑顔をポーンって渡してあげたら、すぐは効果ないかもしれないけど、その人は、「挨拶してもらえる存在なんだ」とか、落ち込んでたら、そういう風に思ってもらえるかもしれないし、なんかちょっと光が差すじゃないですか。

そして、その笑顔をした人は与えた行為によって、その人は良いものが返ってくるし、そして、そのオキシトシンというものも出るわけですよ。そしたら、それがまた自分の中で、どんどん良い方向に循環していく。

ブーブーって生きていたら悪循環。親切に生きて、与えるっていう行為をしていれば好循環っていうことです。どっちの循環で生きていきたいですかね。私は好循環がいいなぁ。今、めちゃくちゃ好循環で生きてるので。でもね、過去、好循環じゃなかったから、20代の頃とか悪循環で生きてた時もありますよ。あそこに戻るって思ったらもう、「もうごめんなさい、勘弁してください」って思いますね。苦笑

まぁ、今でこそこんな風に好循環で生きてますけど、どれほど死ぬほど努力してきたことかっていうことで。自分で這い上がってきてますので。だから、悪循環になっちゃってる人を見ると、氣持ちはよくわかるんです、私もそこにいたから。「でも、そのままじゃ辛いよ」ってね。私には別にそれを教えてくれる先生はいなかったけども、だから、人一倍努力が必要だったけども。

今、それを得たことで、今度は次の人に手渡したいと思っているから、悪循環で生きている人に対しては、こうしたら好循環になるよっていう、アドバイスができる人になれたわけですよね。

苦しいんですよ、悪循環で生きてると。

何も楽しくない、世の中敵だらけ。


生き方を変えたら、みんな味方だらけです。もう、大好きな人ばかり。道行くおじいちゃん、おばあちゃんも、もう大好き。そんな感じになっちゃうんですよね。

そうすると好循環ですから、道行くおじいちゃん、おばあちゃんも大好きだから、手挙げられたら軽トラでも止めて買い物一緒に行っちゃうわけですよ。で、「どーも」って言って帰ってくる。

そしてまた、好循環が続いていってしまうっていうね。


なんて素晴らしい人生でしょうかねって思えるようになったんです。

昔は決してそうではありません。思い返すと本当になんだかひどかったなって思いますよ。

私たちがこうやって言う話を、小学校ぐらいの時から学校の先生が教えるべきじゃないって思うんです、本当に思う。学校の授業とか、勉強とか、私が言うその勉強嫌いっていうのは、そういうやつね。生きる、人間として生きることの、本当の大切なことを教えないで、「テキストに書いてあるやつを覚えろ」とか、もう、チーンです。

「なんか、役に立つそれ?」みたいな。役に立つ人には立つと思います。ごめんなさいね、私には役に立たなかったよっていうだけの話なんですけど。ちょっと考え方が結構、極端なところがあります。0か100かみたいなね。やるかやらないか、生きるか死ぬか。それは私の性格なので、持って生まれた個性と思っておりますけれども。

親切とホルモンの関係。イコール与えることと、自分に返ってくることって、これ全部繋がって同じこと言ってます。見方が違うだけ。ホルモンとかなので、三次元的なお話しです。
エネルギー的に言えば、与えたものが必ず返ってくるよっていう話。三次元的に言えば、親切や与えることをすれば、自分の中にオキシトシンが出て、脳みそがポジティブなシンキングになる。だから、いいことを発したくなるし、行動したくなる。そしたら、そういう人にはついて行きたくなる。

暗くて、重くて、辛い人と一緒にいたいって思う人いる?いないよね、、いるのかな。いる人もいるかもね。せっかくなら、楽しくて、明るくて、爽やかな、楽しい人と一緒にいれば、それうつるから。暗くて、重くて、辛い人と一緒にいたら、それもうつるんです。

修行者はそれ、うつっちゃいけないですよ。うつらない様に、自分の良い波動をこっちからうつしてあげないと、修行の意味ないから。良いものうつしてあげて欲しいんですが、何をうつす人になりたいかなってね。ウイルスはうつしたくないでしょ。苦笑

ね、なんだろう、暗い、重たいものうつす人に、うつす人でいたい?いたくないよね。明るくて楽しいよっていうのをうつす人でいたいなぁって、思っていて欲しいですね。

思った時から、宇宙は動き始めますよ。


この間、さやちゃんが面白いこと言ってましたよ。「こういう自分になりたい」とか、「何が欲しい」とか、色々あるじゃない。人ってあまり考えてないって言われるよね。

毎日流されて生きてる。

情報ワーッて、テレビやら何やらからこう来て、「あ、そうなんだ。へぇ〜、へぇ〜、へぇ〜」「あの人がこう言ったからこうだって!」「これが流行ってるからこれ買おうかな」とか。

もう、自分はどこ行った???

っていう感じで、日本人は特に生きているわけで。


それを、そうやって生きてると何にも現実化しないよっていう話を、さやちゃんがレストランに例えていてね。「こういう自分になりたいです」とか、「こういうものが必要です」、「欲しいです」っていうのを、レストランに行って座って、何もオーダーしないで座っていても、お店の人は何も出してくれないじゃないですか。

そうやってボーッと生きてると、そういう状態。レストランに行って座って、「お腹すいたんですけど」、「あ、お客様ご注文は」、「いや、お腹がすいたんで、なんでもいいんです」って言われたらすごい困るし。

それでも、お店の人が親切だったら、なんとかして一生懸命考えて持ってきてくれるかもしれないけど、自分が望んでいるものが来るとは限らないですよね。そのレストランの人、よっぽど優秀じゃないとね。お客様の心を読み、健康状態を見て、適切な料理を運べるかどうかなんて難しいでしょ。

だから、「いや、私はカレーライスが食べたいです、甘口の」とか、「玉ねぎは抜いてくださいね」とか、事細かく、詳しくオーダーしないと目の前には運ばれてこないよっていうのを、生き方に捉えても同じだよって話を、さやちゃんがどこかからか勉強してきたらしくてですね。それを、「わぁ、すごい良い例えだな」と思って聞いてたんですけど。

要するに、こういう風な自分になりたいと思えば、宇宙はそれを用意してくるんです。もしそれに自分が足りていなければ、それに氣付かせるための、人間やら情報やらを目の前にポンと持ってくるでしょうね。で、そうなるがための現実化に向かって、いろんな現象を用意してくれます。

だから今、明るくて、楽しくて、そういうものを人に渡せるような人間になりたいなってもし思ったら、そういう現実化がすぐ始まります。よくよく見ててください。良いも悪いもないですよ。結構、悪い様な現実として、目の前に出てくることも多いです。なんか、怒られたりとか、嫌な目にあったりとかね。

そうやってサインとして、「あんた、間違ってるよ」って言って、宇宙はサインとして、そういう嫌なものを目の前に送ってくることも多いので、それに対して、「わぁ、なんでこんな嫌な目に遭うんだろう」って思ったら、せっかくのオーダー運んでくれてるのに、途中でお皿からこぼしちゃったみたいな感じになっちゃうので。

「あ、これは私に対する何のレッスンだろう。氣付きは何をここから得られるんだろうか。一体そこから何を学べば成長できるんだろうか」って、もうワクワクした目で、目の前にくる至難とかに取り組んでいくんですよ。

面白いって思えたら、成長は早いです。


どうでしょうか、今日も一日。そんな風に一日を見渡してみて、どんなことが目の前に起こるんだろうな、全部自分の心や周波数や思考が引き寄せたものです。1ミリも違いません。普通にシンプルにできた現実です。

皆さんそれぞれの現実、皆さんが作り上げている。どんな現実を作りたいかなって思いながらでもいいです。一日過ごしてみてはいかがでしょうか。

それでは、今日も良い一日をお過ごしください。

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