完璧な流れのタイミングの中を泳ぐ

2020年6月3日


おはようございます。6月3日水曜日、今日もradio sufi始めます。

昨日、夜の配信を久々にしてみました。なんか夜のトークはタラタラとした感じで、いつもそうかもしれないけど何喋ってんだったかなっていうのは、相変わらずなんですけど。

今日もとっても天氣がいいですね。明日から私たちは、介護職員初任者研修というところの学校がまた再開されて、行ってきますので、時間がなかなか6月はパツパツですよっていう感じではありますが。

そんな時こそヴィパッサナーで

“今を見る”ということを続けながら。


作業時もそうですし、勉強時もそうですし、自分の身体の状態を見る、感覚を見る、心の状態を見る、そういう事を常にやっていくことがとても大事です。毎日見ていると、急遽訪れる変な変化とか、そんなのにパッと氣づいたりするんです。

「なんか違う、なにか自分以外の念やエネルギーを受け取ったな」と。それを検証し始めると、「これは誰々かな、何々かな」っていうのがわかるようになってきます。そんな変化というものを見ていく。

未来に起こることに向かって私たちは生きていますよね。今を生きてる事が、未来に向かっているという言い方の方が正しいのかもしれないけど、宇宙全体の流れっていうものもやっぱりあります。

そういうものは完璧です。

冬に桜が咲いたりしないでしょ。そういうのと全く一緒で、この地球上で生きている以上、自分たちが生きる事っていうのは、完璧なタイミングというのを持っているものになります。だから、真冬の北海道にトマトがなったりしないとか、そういう事なんですよね。

そういう食物の話をしてしまうと、トマトなんて日本の物ではないし。元々乾いた高地、メキシコとかあっちの方のところから入ってきて、品種改良して人間が上手に馴染むように作っていったとか、そういう話はまた別として。

人間ひとりひとりの生き方っていうのも、

完璧なタイミングっていうのがあります。


ただ私たちは

“ねばならぬ”っていう、

左脳が考える事をたくさん持っていてしまう

ので、つい急いでしまったり、焦ってしまったり、「早くやらなければならぬ。」みたいなのが強いと、どうしてもタイミングを間違えてしまうことがあります。

本当は3ヶ月前ぐらいに行かなきゃいけないのに、なんだかんだ考えてて、結局遅れを取ったよとか。その頃には、もう桜は咲き終わってるじゃんみたいな感じです。例えば桜の話でいうと、桜の花が咲いている時に動くのが、ベストタイミングの宇宙の流れだとして、そこに乗っていたら何事もスムーズに行くはずです。協力者も得られたりとか、

間違えなければ宇宙、自然、地球は完璧にスムーズです。


桜が間違えて咲こうとするから、うまく咲かなかったり、病氣になったりするわけですよね。それと全く一緒です。咲く時には咲かなければいけないし、咲かせてはいけない時に咲かせてはいけないという事なんですよね。

自然と宇宙と一体化すると、それがなんの努力もなくスムーズにタイミング良く、完璧な流れの中で行動できるようになっていきます。

そのためにはどうしたらいいかというと、やっぱり自分の心をよく、毎日、毎時間見ておく。瞬間、瞬間の自分の状態を見ておくっていう事を続けるっていう事もすごく大事ですね。特に頭の中に浮かぶことっていうのは、いろんなことがあると思います。ボケーって座っていると、自分の頭の中で考えているんだから、自分の思考だとか、自分の閃きだと思うと思うんですけれども、そうとは限りません。

修行していない限り、頭の中はいろんな人の思考が入り混じっているはずです。若い子供たち、多動とかHSPとか言われていたり、言われてなくても、ワーっていろんな事が頭の中で閃いちゃう。思考癖がある人はそれが激しいと思います。

誰でもそうなんですけど、例えばこんな感じです。

犬だって私の思考を乗っ取ります。


うちにはアメちゃんっていう犬がいますけど、なんかすごくお腹すいたって急になるんですよ。「おかしいな、別にお腹すく時間じゃないよな。でも、無性にお腹がすいた。」それで食べるでしょ、でもまだお腹が空いているんですよ。「え、まだ食べ足りないの?こんなに食べたのになぁ」って思って、フッとアメリを見ると、ジーっと見てるわけですよ。

お腹が空いているのはアメちゃんなんですよ。笑


そういう事はよくあるんですよ。「えー」って思うでしょ、もう思考も乗り越えてお腹すいたとか、肉体的な感覚とか、そういったものまで乗っ取ることができます。犬だけじゃないです、もちろん。これは近くにいるからだけじゃなくて、地球の裏側でもそうでしょうし、遠く離れた家族とかも同じです。

無性になんかっていう時、怪しいです。


普段から自分を見ていたら、こういう自分だというのは、ある程度わかるようになってきます。そこへ無性になんかとか、急に来たなとかっていうのは大体誰かです。犬、猫、ペットの可能性もあります。

うちのアメちゃんは念で会話してくるので、私がそれをキャッチしちゃうものだから、現実的な事を全然覚えないんですよね。

「お腹すいた」って言って、私がパッとキャッチして、ご飯を作ってしまうから、お腹すいたって言いに来ないんですね。トイレ行きたいっていうのも念で送ってくるわけです。アメちゃんトイレ行きたいのかなって言って外出すと、おしっこするっていうね。もうダメ、甘やかしちゃってるよねって感じです。

私がそういうスピリチュアル的な体質を持っているから、そういうものは一緒にいる人たちに移ります。もちろん、ペットにも移るわけです。元々アメちゃんがそういう犬だったとは思えないんですよね。ちょっと自閉症ぽかったとは言われてましたけども。

すごいですよ、「あ、○○さんの念が飛んできた。私に何か用事かな」と、パッと瞬時に思った瞬間、アメちゃんはハウスからボーンって飛び出して、鉄砲玉みたいに飛び出してきて、ハッハッハッって言って、キョロキョロするんですよ。「誰、誰か来た、誰か来た。」「アメちゃん、それ念だから。」って言って「あぁそう」みたいな。

念なのか、身なのかっていうのはアメリには理解できないみたいですが、一応、落ち着かせるわけです。「アメちゃんそれ念だから」って言って。「別に誰もいないよ」って言うと、「あぁそう」みたいな感じでまたハウスに戻っていくとか、そんな事は結構あるんです。

タイミングがもうドンピシャすぎてすごいんですよ。


「あ、○○さんの念が飛んできた」その瞬間、ドーンって出てきますから。毎回じゃないんです、強い念の人ほどやります。それほどびっくりする時というのは、あまり良くない思いの方の時に反応してますね。優しくて、穏やかで、柔らかなエネルギーをフッとキャッチした時は、アメちゃんはすやすや眠ってます。

アメちゃんは、すごいバロメーターです。そんな感じで、自分の思考の中に入っている、自分が思い浮かんでいると思っている思考は、誰のものでもないんです。だからよく、「この閃きは私のものなんだから、私のアイデアよ」っていうのも自分のものではないです。

何ひとつ、この世の中において自分のものなんてないんですよ。所有できるものなんてひとつもないです。幻想です、それは。だって死んでしまったら何も残せない。身すらお返ししなきゃいけないものだから、すべて借り物。思考も自分自身から生まれたものっていうものはあまりないです。ほぼないんじゃないでしょうか。

だから、そんなので自慢するのも恥ずかしい話なんですよ。私から言わせると、「俺のものとか、そんなものひとつもないわ」っていう話です。実際ないですから。

いい思考だと「なんだ自分のものじゃないんだ残念」って思うけども、悪い思考の方を考えてみたら、それも自分のものじゃないという事です。

例えばすごく支配的な人とお話をしなきゃいけないとか、相手がすごく心を閉じている、要するに第1、2、3、4が閉じていて、エネルギーが枯渇していて、ギュッと身体に力が入ってしまうような人とか、そういう人を目の前に普通に会話をしていると、

自分の頭の中で、自分を卑下するような思考が生まれたりします。

やっぱりキャッチするんです。

そういう時は、入り込まれてると思ったらいいです。


一度、自分を見つめなきゃいけない時とかは、やった方がいいですよ。ちゃんと自分の事を見つめるという事。変わりたいという時には、一度、自分がダメな状態なんだっていうふうに思う必要はあります。自分がどこに行きたいかっていうのを見るためにね。

そうじゃない場合です。「なんかこの人と喋ってるといつも自分ってダメなんだよなぁ」とか、Facebookだっていいですよ。直接会ってなくても人のFacebookの投稿を見て。Facebookとかは、リア充って言うんでしたっけ。あれ私、リアミツルって読んでたんですけど、リア充ばっかり出してくるわけじゃないですか。

いいとこばっかり、24時間その人いいわけじゃないけど、いい時にアップしてくる人がほとんどだと思うんですよ。そういう人のSNSを見て、自分の状態と比較してしまって、「あぁ、自分ってこういう生活ダメだなぁとか、なんとかだなぁ」とか、氣分が落ち込んだとしたら、

それは相手の投稿のせいだと思ってください。


大体そんなものです。

あげてる人が、人と比べる人だと思います。

「私ってこんなにすごいのよ」っていうのを、要するにアピールして自己価値を上げていく。それで、“いいね”たくさんもらったから私って価値あるよみたいな。「いやいや、ちゃうねん。違うでしょ」って感じですよね。でもそういうふうに、自分をなんとか確立させようと思っている人たちが、リア充にハマっていくというパターンです。

それで、そういう投稿を見ると、比較というエネルギーが入ってきてしまって、「自分ってこのSNSの人の生活に比べたら、なんてダメなんだろう」とかって思考が浮かんだとしたら、それは自分のものじゃないと思っていいです。

自分らしく生きたい人は、あまりFacebookとか見ない方がいいと思いますよ。

情報を集めにいくとか、昔は、「あの人元氣かな」と思って電話をするじゃないですか、お手紙を書いたり。そういう感覚で、私のSNSのFacebookも、誰のもあがってこないようになってます。

だからすみません。“いいね”とか、あまりしてなくてごめんなさいなんだけど、あがってきてないので、みんなが何してるか全然わからないんですよ。自分は情報をアップしてますけども。楽しみにしてくれてる人がいますので「また、変な事やってるわ」って言って、そういう感じでやってますけども。

それで「あの人元氣かな、会いたいな、何してるかな。」とか思った時に、わざわざ検索してその人のところに見にいくんです。「あ、元氣そうでよかった」とかっていう時に、“いいね”したりすることはありますね。

そのぐらいでいいと思います。

昔はそうだったじゃないですか。どんどん、自分がやらなきゃいけない時間を持ってかれちゃうわけですよ。Facebookとか、そういうSNS系っていうのは。刺激的ですからハマるし。私ももちろん経験ありますけど、一度見始めたら、そこから誰々の友達なんとか、なんとかっていって、「わぁ、何時間も経っちゃった」とか

無駄な時間を過ごして後悔する


なんていうのを繰り返していたら、自分の事何もできないってなっていきますよね。だからそれぐらいでいいと思います。興味がある人のだけ見る。それでいいじゃないですか、もうシンプルにいきましょ。“いいね”しなかったらなんか言われるかなとか、そういう面倒臭いゴチャゴチャしたやつ、もうポイしてください。いりません。

自分が会いたいなと思った時に、電話をするんだっていう感覚でいいと思います。「元氣?」っていう感じで会いにいく。それでよくないですかね。テレビだって同じですよね。例えばスイッチを入れたらいろんなコマーシャル出てくるじゃないですか、それで一生懸命買わせてしまうっていう。SNSも、そういうのと大差ないです。

そういう感じで、

欲しいものは自分で探しにいく、

会いたい人は自分で会いにいく、

そういう感覚の方が楽チンになれると思います。


話ちょっとずれちゃいましたけども、宇宙の流れっていうのは完璧という話。

そういう完璧な流れを自分に植え付けるためにも、SNS系というのは結構無駄になっていきます。

人の流れをいっぱい見てしまうから、自分の流れと比較するまでもなく、人の流れに流されてしまうなんて事もありますので、本当に必要なものだけ、必要な人だけ会いにいくという感じの方がいいですね。

じゃあ、宇宙の流れに沿わなかったらどうなるのかっていう事なんですけど、

大体雷が落ちます。

「コラー!」っていう感じです。怒られる事件が起きる。どうしてもそうしなきゃいけないような状況になってしまうとか、自分が無視すれば無視するほど、そういう状況は大きくなっていきます。宇宙の流れっていうのは自分の魂の流れですから。

魂の流れは無視してはいけないですよ。


私が20代の頃、ソワニエのレイキのサロンを始めて2年目、3年目ぐらいだったのかな。「これからだぞ」って感じでお客様も増えてきて、これから東京でいい感じで頑張るぞっていう時の春でしたかね。歩いてたら突然、右後ろから「実家に帰れ」って聞こえたんですよ。

ハって振り返るぐらい大きく聞こえて、頭の中で鳴ってるから、誰にも聞こえてないんですよ。だけど聞こえたんです「実家に帰れ。」「は?」って言って右後ろ振り返ったけどもちろん誰もいなくて。

「いやこれから私、やっとこうやって自分で仕事を始めて、これからなんですけど、嫌ですよ」って魂の流れに抵抗したわけです。

自分の内側から生まれてきた声ではあったけども、無視したんですよね。

無視をし続けたら、なんか不思議なことがすごくいろいろ起こるんですよ。「聞かない、聞かない。そんな話に乗らない」って感じで動いていたら、悶々として氣持ち悪くなるっていうのが私の特徴で、具合が悪くなってくるんですよね。

宇宙の流れと沿わないと、すぐ私はそうやって体調に出たり、精神面にも出てきたりするので、ありがたい事にわかりやすいといえばわかりやすい。見てきているからという事もあるけども。

そういうのを、ただの病氣で済ましてはいけないんですよ。

自分はちゃんと、流れに沿っているのかなと確認した上で、病氣なのか、本物の病氣なのかなんなのかっていうのは自分自身で判断して欲しいと思うのですが。

それで、無視をしていたらビラが入ったんです。マンションの全戸に入っていました。「〇〇何号室の○○さんは、性犯罪者です。氣をつけてください」って写真付きで。「なにこの嫌がらせみたいなチラシ」って思って見たら、私の住んでいる部屋の真下の人ってなってるんです。たぶん、その人にフラれた人が嫌がらせしたんじゃないかなっていうようなチラシではあったんだけど、でも本当だったら怖いなと思いながら。

たまに、お客様が間違えて一階下のその人の家にピンポンって行っていたことがあったので、「おぉ、それはまずいよ」って思って、なんかすごいサインきてるなと思ったんですけど。でも、だからといって帰れないよと、また無視するわけです。

相変わらず具合が悪いわけなんですけども、無理やりその場所で志事をするわけです。「せっかく勝ち取った私のこの志事」みたいな。別に勝ち取ったわけじゃないですけど、「がんばって努力して自分の足で立ったのに、クソォ」みたいな氣持ちもあるわけです。

まだ、若かりし頃です。もう20年ぐらい前の話になっちゃうの?嫌ですねぇ、早いですねぇ。

それでまた無視をしていたら、またチラシが入ってくるんですよ。今度は、「隣の古い大きいマンションが取り壊しになります」と、「だから騒音など申し訳ございません」みたいな文面なんですよね。私がサロンをしている部屋は癒しの空間ですから、音とか静かじゃなきゃいけないのに、「隣で解体?」みたいな。

東京のマンションですから隣接しまくっていて、人ひとり歩けないぐらいの隣接感だったんですよ。「ちょっと待って、ここで解体始まったらめちゃくちゃうるさいよね。もう"癒しです”なんて言ってる場合じゃないわ」って。

でも日付も書いてないし、いつの話かわからないから、もうちょっと無視しようかなっていう感じで無視するんです。相変わらず具合は悪いわけですよ、どんどん悶々としてくるわけです。「帰れ帰れ」っていうエネルギーに囚われてるけど、「志事してやる」ってなってるんです。抵抗をしてるんです。

こういうの無駄な抵抗って言うんですけどね。


そういうのやってる人、きっといっぱいいるよね。もう周りからいっぱいサインがきているのに無視し続けて、悶々と自分が溜まっていって。そのうち、そういう自分にも氣づけなくなって、具合悪いのがデフォルトになります。周りの人は氣づいています。「あの人なんか最近調子悪そうだよね」って。最初は本人も氣づいていたと思うけども、「そんなのやだぁ」って、往生際が悪いわけですよね。

そういう感じで、私にも2回目のお知らせが来ました。1週間後ぐらいに、また同じようなチラシが入ってきて、「また同じこと書いてあるな」と思ったら、今度は最後の方に「日付が決まりました。6月○日です」と。1ヶ月後の6月にスタートの日付が決められちゃったんです。

もうそれを見た瞬間、日付を見た瞬間、数字っていうのは強いですね。私の中ではサイン性、メッセージ性がすごく強いです。「はい、わかりました、帰りますよ」って観念したんです。

「もう宇宙の流れ、魂の流れには背いて生きることはでいないんですね。わかりました。」


って言って、自我的な、小欲的な生き方を手放して、観念しましたっていう感じです。

1ヶ月前に家を出るって言わないといけない契約ですから、すぐ大家さんに電話して、「すみません、1ヶ月後退去します」と言って、それで、6月に北海道に帰ってきました。はい、3日目に父が目の前で倒れて亡くなっていくっていうパターンなんですよね。

これ、日付がちょっとずつずれていったら、看病も何もないし、あの場に立ち会う事もできなかったし、あの時は、私しかいなかったですから、そういう事ですよ。「あ、これのために私は帰らされたわけね」って。

全部帰れって言われたから、全部処分したんです。1度帰ったとかそういう状態じゃなくて、全ての契約を解除してサロンを一旦閉めて、よくわからないけど「はい、帰ります」って言って、帰ってきた。それで、東京に戻る必要がなくなっていたので、

当時、看病するという時間が、家族の中で唯一私だけありました。

もし、宇宙の流れに背いていて、契約そのままとかになってたら、「1回帰らなきゃいけないわ」とか、いろいろ大変だったわけですよ。全然大変でもなく、普通に淡々とそういう状況をこなしていけたっていうのは、

あの時の声に従って、観念してよかったなと思うわけです。


それ以来、本当に自分の心の声には従わないと、自分が痛い目に遭うというのをよくよくわかっているので、すごく大事にしています。

そんな感じで、宇宙の流れというのは完璧です。

サインというものは周りから来るはずです。

自分がそうやって無理やり居座っていたり、流れに沿わないぞって頑固に立ちすくんでいたらね。

周りの声をよくよく聞いてください。「あなたこうじゃないの」とか言ってくれる人が絶対いるはずです。そういう人がいなかったとしても、私なんかはチラシが入ってきたわけですから。そういうチラシも「ふーん」ってポイしないで。

不思議な現象なわけじゃないですか。

「このタイミングで、この内容のチラシが入ってくるの?」っていう。

普段の状況と違うものがポンっと入ってきた時、何かのサインだなと捉えてみる努力をする。そういうサインというものに目や意識を開いておくと、わかりやすいかなと思いますね。

それで、結局父が亡くなって、しばらくしてからまた東京に戻って、サロンを再開するんですけども。その時は恵比寿の同じ家に戻ったわけじゃなくて、青山1丁目の方に戻ったんです。ある時、恵比寿に遊びに行ったんですけど、

マンション立ってるんですよ。

解体するっていったマンション。


今はさすがに新しいマンションになってますけど、「おかしくない?」って。

「6月○日って書いてあったじゃん」って。1年後もその建物が変わらず立ってたんですよ。「うわぁ、どういう事」って。どうも立ち退きがうまくいかなかったみたいで、きっと出て行かない人がいて揉めて延期になっていたみたいなんですが。

あの日付によって、私は帰る事を完全に決意したわけだけども、「なるほどね」と思って。

宇宙って面白いなって思うんです。

宇宙っていうのは自分の魂ですよね。


目に見えない世界をしっかり自分の味方につけておくと、こんなに生きやすいことはないですね。未来は予測できます。次、何が起こるっていう事を感じながら日々生活をしているので。

ただし、私が感じるタイミングは、ちょっと早すぎるっていうのもあるから、今すぐ行動に移す事もないっていうのもあるんだけども、まぁ急がず慌てずです。

流れは完璧なんです。


ワチャワチャしないで地に足をつけながら進んでいくと、氣づいた時には、変化は起こるべき時に起こりますよっていう感じで、心配する必要もないし、すべては完璧だと思いながら、毎日の奇跡の中を、今日も生きていきたいと思います。

皆さんも毎日の奇跡の中で生きていきましょう。

それでは、今日も良い一日を。

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