競争ではなく協奏で

2020年5月2日


おはようございます。5月2日土曜日、今日もradio sufi始めます。

今日天氣のはずだったんですけど、すごい朝から大雨が降り始めました。ちょっと晴れ間が見えてるから、雨雲がやってきただけなのかなとは思いますが、びっくりしましたね。今日、改装しようと思ってたのになぁって、リノベーション作業、大工作業です。お店の店頭の、前をトンカン、材料もらってやろうかなと思ってたんですけども、あれあれあれ、おかしいなと思いながらね。

飛行機とか乗ると。。自粛でみんな動けないけど想像だけして、飛行機乗ったことある人は。この地上界がどんなに曇っていても、雲の上っていつもすごいキレイで晴れてるっていう、あれを見るのが大好きなんですよね。本当に若い頃、鬱々と悩んでた時とか、天氣が暗いと落ち込むわけですよ。まぁ、陰陽でいうと雲とか雨っていうのは陰ですから、氣分も陰になりがちなんです。陰湿、沈むっていうことです。

それで、太陽が出てきたら急にファッと明るくなって、それ普通の出来事なんですけど。そんな若い頃、鬱々としてて、あの頃はその雲の上が太陽だとかあんまり考えられなかったけども、いろんなお勉強していくと、曇りで鬱々としてても、太陽のいる場所、太陽見えてなくても、雲の上のあのピカーっと晴れた陽の世界を思い出すと、

そこと繋がるとエネルギーがパッと共鳴して、

陽を取り込んで来れるんですよね。


一般的に女性は陰陽でいうと陰体質で、男性は陽体質です。私みたいな中性の人間は陰陽体質ですけども。普通は男女で分かれる感じであれば、陰と陽になります。だから陰だけでいると、陰、陰、陰って、暗くなってくるんです。だから自分のその暗い部分、暗いっていうか、明るい、あったかい部分を補うために陽の人とくっついて、結婚して、陰陽になっていくわけですね。

私は陰陽一緒にあるので、別に必要としてないという感じです。逆にちょっと陽寄りです、メンズ寄りっていうことです。だからすごい男性の中にも陽といっても、陰陽の陽が強い人もいるわけです。例えば筋骨隆々、めっちゃ男みたいな感じの陽が強いタイプ、極陽みたいな感じです。そういう人と一緒にいると、すごく辛い。

あの、嫌いとかそういうことじゃなくて、エネルギーがぶつかるんです。陰陽にならないんです。私みたいな人は中性みたいな人と一緒にいると楽だし、それで、逆にすごい女性らしい人もちょっと苦手なんです。それは本当に嫌いとかじゃなくて、エネルギーの問題ですから、ここ誤解しないでくださいね。

「しなしなぁ〜陰ですぅ」みたいな、そういう人には引っ張られる、こっちの陰が強くなり過ぎて、ちょっと調子を崩すんですよね。

それで、よく世の中のカップルを見ていると、男女のカップルを見ていると、陰がすごく強い女性には、すごく男チックなムキムキマンがついているはずです。それは人の好みにも影響してくると思うので、ムキムキマン「俺は男だぜ」みたいな感じの人は、たぶんすごく女性っぽい、しなっとした人が普通好きになっていくはずです。

それは、やっぱりエネルギーで見ると陰陽になるからなんですよね。

なんか、そこを見てくと人間界で行われていることってすごく小さいなって思うでしょ。すべて、氣・波動で説明がついちゃうってね。つまんないって思う人もいるかもしれないけど、あぁ、そういうことねっていう感じで、わかりやすいっちゃわかりやすいんです。


でね、いろんな人がうちにも来るわけです、陰陽、いろんな人が来ますよ。陰陽の話もそうですけど、私はその人たちの隠れた潜在的能力を引き出すのがすごく好きで、

みんな自分っていうのをすごく小さく過小評価して生きてるんですよ。


「自分てこんなもんだし」とかね。

そんなもんだしって思って生きていたら、

そんなもんしか表現出来ないわけですよ。


氣付いていない、100%すごい素晴らしいものを持って生まれて来ているのに、その人の役割というものを。いろんな育っていく家庭や環境、親とか友達とかそういう影響で、小さく小さくフィルターをかけられて、自分でも見えなくなってしまっている人がもうほとんどなんですよね。

それで思い悩み苦しみっていうふうになって、みんなうちに来たりするんですよね。そういう人たちを見てて、この人には何が向いてるかなぁと見て、その人の可能性を引っ張ってあげて、引き出してあげて。

みんな、大体

自分の苦手なところに鍵がありますので、


苦手なものを克服していくと、どんどん伸びていくんですよね。

自分も高校生ぐらいの時にそういうのに氣付いて、こういうの苦手なんだよな、人付き合いとかなんかいろんなものがあったりするんだけども、そういうのを見つけたら、即やるようにしたんですよ。

苦手だって思ったら、

「あ、それやろう」って言って飛び込んでいく。


人前でなんかやるの恥ずかしいなっていう自分を見つけたら、猿のタイツみたいなのあるじゃないですか、全身タイツ。あの全身タイツの鶏バージョンっていうのを友達が持ってて。私それを着て、当時旭川人でしたから、旭川の買い物公園を一人で走るとか。白い全身タイツに頭トサカつけて、一条通りから九条通りまで走って帰ってくるっていうのを自分でやってみたりとか。わけわかんないでしょ。

そうやって、見られることが苦手っていう、人目が氣になって、怖い、嫌だって思ったら、それをもう投げたいんですよ、ポイしたい。だったら、それが苦手だと思わない自分になればいいやって思ってたから、そういうトンチンカンなことをやるんですけども。実際それをやって、バァーって。

意外と誰も見てないんですよね。


「私のこと、誰か見てるわ」なんていうのは、もう本当に自意識過剰で、誰も見てません。そんな格好をしたって、誰も見てなかったよ。。っていうのは、見れなかったんじゃないかっていう。「あ、変な人来た」って「怖い」って言って見なかっただけかもしれないけど。苦笑

自分の中の解決には繋がりましたよね。こんなことやったって、誰も別に評価しないんだ、どうでもいいわみたいな。自分がやりたいと思ったことをやんなきゃダメよねっていうふうに、自分の中でおかしなレッスンをして。よくやってました、そういうこと。

とにかく自分の壁を越えていくっていうことが、楽しくてしょうがなくて。それで、どんどん自分の苦手なことがなくなっていったりとかして、そういう生き方は面白いですよね。だから、もじもじしてる人には「それ嫌いなの?じゃ、やんなそれ」とか言って、そういうこと言っちゃいますね。

それ乗り越えちゃうと本当に大きくなるんです

その人が、ボーンって。


大きくなるっていうのは、エネルギーが充満してくるっていうことです。小さくなってるってことは身体も丸まってますから、チャクラも全部、閉まっているわけですよ。閉まりがちっていうかね。

人間は死ぬ時、すべてのチャクラが閉じて上に上がっていくんですけども、それをキュビキュビキュビって、滞った状態で生きてると、本当にその部分が具合悪くなるし、身体の病氣にも繋がるし、心の部分とも、性格の部分とも繋がっています。

チャクラのバランスが悪いっていうのは小さいか、大きいかみたいな感じで、いい感じで回ってないわけなんですね。

だから活性化してない人っていうのは、例えば第1チャクラであれば、自信がないとか、そういうのがすごく関係してきますけども、例えばチョロチョロチョロっと、すごく濁った感じで、詰まった感じで回っているとしたら、

すごく引っ込み思案で自己主張ができなかったりします。


特に自分に自信がないはずです。そんな人はなんかの拍子にそれがギュウンって回って、めちゃくちゃデカく回っちゃって急にとんでもない発言をしてみたり。。あの、人を怒らせるような発言です。不快感を起こさせるような発言をしてみたり、意地悪になったりとか、そういうふうになっちゃうんです。

氣で回っているチャクラをちゃんと回しておけば、そんなバランスの悪いことにはならないんですけども。

いきなり怒ったと思ったら、急にその後泣き出したとか、チャクラのバランスが悪いとそういう状態になってきます。

チャクラには、主要なものが7つありますけども、それぞれに特徴があります。そこの部分が活性化してないと、こういう性格になっちゃうよとか、こういう病氣になりがちだよとか、そういうの全部チャクラでも見ていくことできますね。

そういうのもうちに来たメンバーだったり、カウンセリングに来たり、ヒーリングに来てくれた人たちにも、エネルギー的にその人たちを見て、この人はこういうところが苦手なんだなぁっていうのが身体に出てますので、そういうところを氣の観点からアドバイスをする。

「こういうこと出来ないからダメなんだよ」とかいう感じで言ったら、余計萎縮しちゃうので、「そこ伸ばしたらいいんじゃない」みたいな感じで、前を向いてもらう感じでアドバイスをしていきますね。


なんか思い出すんだけども、私、小さい頃から人は見た目だと思ってたんですよ。ずっと「人は見た目だ」って言い続けてたんだけど、大きくなって氣づきました。どうやら、

私の“見た目”は、周りの人の“見た目”って言ってるのと、違うっていうのに氣付いたんですよ。一般的に「人は見た目だ」っていうのは悪い意味じゃないですか。容姿とか顔の形、身体の形、見える目で、この目ん玉で見えるもののことをみんなは言ってるんですよね。私はそうじゃなかった。

第3の目。

第6チャクラである第3の目、私は人をエネルギーで見てきていたので、私が人を見る目は、エネルギー的な目で、容姿とか、服装とか全く関係ないんですよ。いや、表現はされちゃうけど。麻生さんの口も曲がってますけどね。そういう見た目も、心からのものなんですよ全部ね。

病は氣からっていうけれども、病じゃなくたってすべてに現れます。目がキッとキツイ人は、やっぱり心の中で恐れを持ってます。「負けたくない。」負ける必要ない、競争なんてもうどうでもいいよって私は思ってる。


競争ほど本当に人をダメにするものはないです。私はそう思います。

だって、戦う相手が基準なんでしょ


って思うわけですよね。必要ないじゃないですか、そんなのね。競争っていう言葉変えた方がいいんじゃないですか、漢字をね。

協奏曲の協奏の方がいいな。


昔クラシックギターをやってましたけど、クラシックギターとチェロとかね。それぞれ自分の戦いなんですよ。それである時、協奏曲をやるわけです。一個ずつ聞いたら、全然違う音なのに、もうクラシックのギターなんて超つまらないですよ、伴奏ですから。テンテンテンテン、テンテンテンテンとかね。そういうのの繰り返し、基礎ですよね。

それだけだとつまらないけど、協奏曲で、いろんな個性を持った人たちが一緒に何かをやったら、あの素晴らしい音楽になるっていう、そういう社会になりたいな、私はそう思う。

何かを競うなんていう、なんかくだらんねって思っちゃう。もう、ポイしたいそんなのって思っています。

何の話だった?また話飛んでったね。とにかく、苦手なことを克服しようって言ってたんですね。あの、そこに鍵があるっていう、そういったものもチャクラで説明もつくし。


それで「人は見た目だよ」っていうのを私、普通と違うんだっていうのに氣付いてからは使わないようにしてます。「あ、間違えた、誤解されちゃう」って思って。容姿とかそういうこと言ってるんじゃないんですよ。

見えないものを見る目のことなんですよね。


「あぁ、危ない危ない」と思って、「これだから社会は大変だわ」と思ったりとかしてね。まぁとにかく、そういうことが結構いっぱいあって。自分なりの考え方が結構、社会では通用しないなっていうのが結構あって、すごく社会勉強っていうのを若い頃からしてきました。

学校の勉強が嫌いだから、高校の卒業式も大して出ないで家出とかして、社会出ちゃったりとかしてるので、まぁ勉強することは多かったですね。社会のお勉強です。社会で生きていく、適応していくためのお勉強です。

今、社会不適合者とか、発達障害とか言われてるけど、社会って変わるじゃないですか、中身が。今の時代、不適合者はどっちですかねって思うことありますよ。国会中継とか見てて思いませんか、まぁ、そんなことはいいんですけど。

そんな感じで、楽しい人生を送りましょっていう。ちょっと今日は氣がそぞろになってますね。ちょっとやりたいことがあってですね。今日はちょっとそっちの方に時間を使ってみようかなと思います。

締めの言葉なににしましょう。

今日も、

自分の苦手なことを過去の自分と比べて、

比べるならそこね。

乗り越えていきましょう。


それでは今日も良い一日を。

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