病は氣からの正体

2020年4月10日


おはようございます。4月10日金曜日、今日もradio sufi 始めます。

今日はですね、身体がちょっと変なことになっているんですよね。何が起きたかっていうと、今、介護職員初任者研修という資格を取りに学校へ通っているわけなんですが、昨日丸一日、その学校の授業がありまして、実技だったんです。

実技は昨日からっていう感じだったのかな。まぁ初めてだったんですよね。生徒さんが何人もいまして、それで対になって、パートナーになって練習するんです。だから、ひとりは利用者さん役。要するに、介護される側の役っていうのをやるんです。

それで、昨日はベッドから起き上がらせたり、座らせたり。だからそういう実技のテストもありますので真剣にやってないとね。短期で取っているので、集中力すごい頑張ってるわけ。それで利用者さん役、要は介護される側の役っていうのも学生さん同士やるんですけども、自分にもその番が回ってくるわけで。

昨日は、左半身マヒの高齢者の役っていうのを、みんながやらなきゃいけないんだけども、それを私もやったわけです。だから、こう左側を動かしてはいけないという風に、意識の中に入れるでしょ。それでベッドに横になって、まぁ、起こしてもらったりするんだけども。。。


あのね、今日朝起きたら左の首が曲がらないんですよ。寝違えた記憶はないんだけど、寝違えみたいになってて。「あ、昨日、左半身それやったからだ」っていうね。苦笑

そんなわけないじゃんって思いますか。

病は氣から

と言います。いろんな状況も、もちろんありますけども。

健康な時に、病氣になる必要がないのに、なるっていうのは、実際ある話で。


左半身マヒの役をやらなくちゃいけないから、思い込んだわけですよ。まぁ、エネルギーが強いというのは良いことも悪いこともありまして。思い込んだら、身体がその通りになってしまうっていうものの現れだと思うのですが。朝起きたら、まぁ、左半身じゃなくて、左の上の方ですけど、首、肩、腕ぐらいまで動かないんです。ま、要は寝違えたんだと思うんですけども。

意識が現実化するっていうことを、もう顕著に表してくれる自分の身体ってね。

病氣も、自分で作り出すことができますよって。

小学生ぐらいの時に、「学校行きたくない」って言って。中学生だったかな、中学生ですね。「学校行きたくない」って言って、「お腹痛い痛い痛い」って痛いふりをしていると、だんだん痛い氣になってきて本当に痛くなって、熱とか出せたりするんですよね。

でもうち残念なことに、残念ではないですけど、母が看護師ですのでバレるんです。仮病は一切通用しないという家庭でした。なので、具合悪いって言っても「うん、そんなのはね、病は氣から。」って言われて、オケツ叩かれ学校行かされるっていう、そんな中学校時代ありましたね。苦笑

「わ、通用しないわ」と思ってね。それでも、ちょっと話ずれちゃうんだけど、昔、水銀の体温計があって、仮病が使えないなら見せればいいやってね。水銀の体温計、今もう売ってないんだそうで、製造もされてないんだそうです。その体温計をお湯につけて温度を上げてしまえば、これだったら仮病ってバレないだろうって思って、看護師の目を欺くぞと思ってやったわけですよね。

そしたらパーンって破裂しちゃってね、大騒ぎになって余計怒られたっていう。怒られたんだったっけかなぁ。こないだ母とその話をしたらね、覚えてなかったから、必死で私、隠したかもしれないです。ちょっとその焦った、割ってしまって焦った後の話の状況が記憶から飛んでるんですよね。

ただ、いけないことをしてしまったっていう。なんかこれって学校で勉強、、その後、学校で水銀のお勉強をするわけですよね。水俣病とかね。あの時、なんてことをしてしまったんだってね、子供心に思った記憶がありますね。


話ズレちゃったんですけど、自分の思いが現実化するっていうのは、病氣すらも作り出せるよ、ってことなんですけども。具合悪い悪いと思っていたら、そういう風になっていっちゃうよって。じゃあ、大丈夫大丈夫って思っていたら、大丈夫になるのかっていうと、結構大丈夫です。

病氣も、人と共有することは結構あります。同じ周波数の中で響き合えば、それもらうことができます。「はい?」っていう風に思うかもしれないけど、例えば私たちみたいな敏感体質の人間っていうのは、例えばクライアントさんがどこか調子が悪くて、ヒーリングなりカウンセリングに来ました。そうすると、その方と同じ場所が痛んだり、冷たくなったり、シクシクしたりとか同じ場所が反応してしまうんですよね。

だからその方が病氣に氣付いていなくても、こっちの身体で反応してしまうので、あれ、どこか悪いのかなっていう風に感じ取ることができます。ただ、絶対やってはいけないのは、「どっか悪いですね」って言うこと。それだけは絶対やってはいけないです。

あの、見えないものを見える人っていうのは、その世界からいない人から見たら、なんか変な人っていうか、怖い存在でもあると思うんですよ。だから、その言葉、私たちが発する言葉っていうのは、本当にいいものに変えていかないといけないと思います。

「どうしよう、どうしよう、そんなこと言われちゃった、どうしよう」って言って、本当にそれが病氣になる可能性がある。ヒーラーさんや、スピリチュアリストとか霊能者とか言われる人が、「そうやって軽々しく人の状態を、読めたからといって口にするものではないよ」ということは、生徒さんにもすごく言ってるんですけど。言われた方は、もう怖いわけですよね。

「あっ、あの人にこんなこと言われた。あぁ、怖い怖い。」その思いが、自分で病氣を作ってしまう。もしかしたらヒーラーさん、たまたまその時、調子が悪かったところを感じ取っただけかもしれないんですよ。だから軽々しく絶対言っちゃいけない。それだけはすごく言ってます、私も思っています。

でもね、みんな聞いてくるんですよ。「どっか悪いところないですかね」って。「あ、わかりません」と言います。診断というのは絶対やってはいけないこと。医師法に反してしまいますので、そういう時は、「病院に行ってください」って言うんです。例えば、お医者さんに診断をされて「あ、ここが病氣ですね」とか言われたらすごい怖くて、100%真実だって思っちゃう人がほとんどでしょ。でも、セカンドオピニオンという話もあるぐらい、100%とは限らないんですよ。

先生も人間だから、間違うこともあるでしょう。だから、一つの病院を信じない方がいいですよ。本当に病氣になって病院に行ったとして、診断をもらっても、なんか自分の心が「なんかおかしいな」って思ったら、何軒か回った方がいいと思います。検査もいっぱいした方がいい。

それで、自分自身で納得して、その病氣に向き合うっていう方向にいって欲しいなと思います。

そのお医者さんが言う言葉と同じぐらい、目に見えない世界が見える人の言葉って、重たいんですよ。

霊能者とか、スピリチュアリスト、スピリチュアルカウンセリングとか、私みたいに目に見えない世界と半分ずつ生きてるような人間っていうのは。だから、そういうものが日常的にない人の間で、その話はするものではないと私は思ってるんですよね。良いことはいいと思うんです。

だからもし、私が聞かれたとしたらどうするか、クライアントさんは聞きたいんですよ。「どっか悪いところないですか」って聞かれちゃう。答えてあげたいけど、そのまま言うことは絶対しません。「うーん」とか言ってね、「あ、この辺に氣の滞りがあると思うので、ストレッチとかして、氣の流れを良くしていきましょうか。そうすればこう、循環が始まって。お水もよく摂るようにして、そしておトイレもよく行くようにして、水の流れをしっかりと作って、自己治癒力を上げていきましょうね」って。そこまでしか言いません。

私、それ以上は私たちの役目ではないとはっきり言っています。思っているんです。だから、いくら聞かれても、言わない、もう言わない方がいいです。自分の言葉に責任持てないですから、ん?ていうか持った方がいいんです。ん?なんか言葉がおかしいですね。笑

大きすぎるっていうことです、私たちが発する言葉。

良いものに変えようってこと、同じ大きいものならどうやったらこの人が、前向いてくれるかな。前向きになってくれるかなっていうような言葉を選んで、伝えるっていうことをしないといけないと思います。

これは、聞いてくれている、もし、ヒーラーさんとか、カウンセラーさん、スピリチュアリストなんて方がいらっしゃったら、ぜひ相手を落とす言葉じゃなくて、相手を上げる言葉選びをしてから相手に伝えるっていうことをしてみて欲しいなと思います。だからといって、「あぁ、いいですよー。どうぞどうぞー、感謝感謝ー」とかね。なんかその臭いものを蓋するとか、そういうのもちょっと違うんですけど、やっぱりタイミングとかはありますよね。

同じ周波数じゃないと、話というのは理解してもらえないので。


どういう意味かっていうと、例えば数字、理系の方が得意だなって人に対して、情緒豊かな詩を読んでもらっても、その詩が伝える本当のところって伝わらないんですよ。それと同じ様に、情緒豊かで右脳的に生きてる人に、物理学の本を読ませても理解できないっていうのは、頭の問題っていうよりも、周波数の問題でもあるわけですよね。

周波数を上げていくと、どっちの人も、どっちも理解できる様になるんです。

例えば普段私はこういう風に、見えない世界の話の中で生きてるわけですけども、全く今、畑違いのことを勉強していて、勉強している最中は「ふむふむ、わかるなぁ」と思うんですけど、学校終わって普段の生活に戻ると、テキスト、レポートがあるんですけど、それを開くと、「何を言ってるんだろうな」って思っちゃうんですよね。全然わからないんです。

だけど、周波数をその介護の世界に繋げると、答えがすぐわかるんです。「あぁ、こういうことね。はいはい」って。周波数の切り替えっていうのをしないといけない。私の中にその、今行ってる福祉の周波数が元々あるのであれば、わかるんですけども。全く畑違い、介護のかの字も知らない私が勉強しに行ってるから、まだ自分の中にその波動が育ってないので、育ってないうちは波動を繋げる、周波数をそこへ繋げるっていうことをしないと、答えは引き出せないんです。

要するに人間は、響き合っている波動と同じ思考をするっていうことの応用編です。

だからね、実は経理とか苦手なところがあるんです。数字ですから。右脳派で生きているので、左脳的なことはちょっと苦手なところがあるんです。でもね、やらなきゃいけないでしょ。やっぱり書類とかに向かってすぐは、「うーーん」頭が真っ白なんです。

その時ね、こういうことをするんです。経理でお世話になってます、相談員の方がいらっしゃるんですが、彼と繋がるんです。彼と、というか、彼が繋がっている周波数に繋ぎ合わせると、私の中で数字がもう煌めく様にわかる様になるんですね。「あぁ、はいはいはい。こういうことね。了解了解。」で、書類が一つ出来上がるとかね。なんでもいいんですよ。

なんで私たちがいろんなことができるかっていうと、そこです。建てたこともない家をなぜ建てられるのとかね。壊したこともない家をなんで壊せるのっていうのは、全部そこなんです、実はね。だから、記憶があんまりないんだよね。普段生きている周波数と、解体をやる様な周波数は普段持っていない、持ち合わせていないので。

でも、やるぞってなるとそこに響き合わせるんです、ビビビっと。そうするとね、破壊神みたいなのが自分の中にポーンと、人間は入れ子だっていう話をよくしますけども、ポーンと荒々しい破壊神が入ってきてね。でっかいハンマーみたいなのをウワァーって振り回したり、でっかい重たいバールを振り回して、家をメタメタに壊していくわけですよね。

それで、今度片付けなきゃいけないってなったら、その破壊神には出て行ってもらわなきゃいけないんです。片付けの神様を入れないといけないんですよ。はい、片付けの神様と周波数を合わせますって言うと、今度は壊すことじゃなくて、片付けること。キレイにすることが得意な神様が入ってますから、行動はそれについて来るので、お片付けが上手になるっていうね。

いろんなことがやれるのは、そのお陰です、特技です。

敏感体質、これをギフトにするまでには、時間がかかってるんです。

実際、こういうことで悩んでる人、大人も子供もそうだけども、ADHDって名前をつけられておりますが。要するに、意識がポンポンポンポンってあちこちに繋がっちゃうから、行動が留まっていられないんですよ。

で、はたから見たら「もう、さっきこんなことやってたのに、またこんなことやって。あ、今度は暴れるの?」とかね。もう全部脳の中で、周波数がピピピピピって興味を持った瞬間に、そこのエネルギーと繋がっちゃうものだから、行動が変わっていってしまうんですね。

私も若い頃そういう感じで、自分で悩んできたけれども、これをギフトに変えるとそういうことになるんです。あ、ピアノ弾きたいなぁと思ったら、ピアノの先生と繋がればいいんです。ピアノの先生が繋がっている周波数と繋がると、楽譜が見える様になってきます、びっくりですよ。で、繋がるのをやめると、全くわからないんです。わけわかんないでしょ。

でもね、ADHDとか多動って言われてしまっている状態っていうのは、波動的に見るとそういう状態なんです、周波数。


例えば、いろんなものが溢れているから、お菓子がポッと目に入った瞬間に、お菓子大好きな人と繋がるか、お菓子屋さんと繋がるのかわからないんだけれども、急にお菓子のことで頭がいっぱいになっちゃうんです。

でね、ふと違うところを見るとパソコンが目に見えた。今度はデザイナーさんと繋がったりとか、ネットオタクの方に繋がってみたり、ゲーマーとか、もうそれは自分の心次第で変わっちゃう。例えばパソコンひとつとっても、いろんな人がいるよね、きっと。引きこもりの人、漫画が好きな人、そしてデザインが好きな人、技術者、プログラマー、パソコンに関わるいろんな人。

その人たちと繋がるには、例えば引きこもりとかって、ちょっとエネルギー的には落ちちゃっているから、自分が落ちちゃっていたら、そことすぐ繋がっちゃいます。急に自分も引きこもりたくなったりするわけ。

だから、自分を高めていけば、クリエイティブに他のことでクリエイティブに生きていたら、パソコンを見ただけで、すぐにホームページとか作れる様になっちゃうんです。

無限なんですよ、人間って。できないと思ってるのは、自分だけ。

また、自分でできないって思ったら、絶対できないから。できるって思ったら、できる方法を宇宙は与えてくれます。すごいんですよ、自分の可能性って無限大。

私たちは小宇宙であり、宇宙は大宇宙でありってことは、この中に、自分の中にすべてが内包されているわけです。

限定しているのは自分だけなんです。

「私ってこんなんだから」って思ったら、そんなんで終わるし、「このぐらいで生きてりゃいいや」って思ってたら、このぐらいで終わっちゃうんです。「できないよ、どうせ」と思ったら、できないんです。もう、シンプルですよ。なんの矛盾もない、わかりやすい。

もう竹を割ったような性格、、ってそれ私のことか。笑

昨日も講座で学校に行って、なんかちょっと一悶着ありましてね、私じゃないよ。そこでちょっとなんか、、話、変わるけど。今ね、切り替わったのわかりますか?

周波数が別のところと繋がったんです、それで私、違うこと話し始めたんです。その話を続けるとすれば、なんか男の人が弱いものいじめみたいな感じで、なんかギャーギャー言ってたので、「うるさい」って言ってね、「自分が帰れ」って言ったんだよね。

ちょっとね、ヤンキー波動と繋がったんです、昨日はね。笑

普段はヤンキー波動に繋がっていないので、大人しいと思います。笑ってる人いるよね、きっとね。許せないものがあるみたいです、私の中には。弱いものいじめとか、女の人をブーブー言う男の人を見るとまぁ、カチンときますね。これたぶん、母譲りでしょうね。言ってましたから、そういう人だったって。見て育つものです、子供は親をね。それが正しいと思って生きちゃう。それで、その話で言うと、100%正しいと思って生きちゃわないでね、思わないでねってとこ。

あの、もちろん親は尊敬すべき、尊敬できる相手ですけれども、

人間ですからやっぱり100%じゃない。

教えてもらったこと100%は、私は真似してないです。その中でも、尊敬できるなっていうところだけありがたくいただいて、自分に活かしていますけども。「これは嫌だな」とか、やっぱあるわけですよ。人間ですから当然と思います。それは「ごめんね」って言ってポイします。そのぐらいシンプルでいいじゃないですか、わかりやすくてね。


まぁ、そんな感じで、周波数になりきるっていう話をしてたのかな。話が飛ぶとね、なんの話かわからなくなるわけです、20分も喋ってるとね。

ちょっと聞き直して、一番最初に何を喋っていたのか、録音で思い出しました。録音って便利ですね。これ、講演とかやってたら、「何喋ってたっけ」ってなっちゃうよね。

そういう時の秘訣はあるんですよ。あの、今はタラーっと喋ってるから、あちこち話飛んでるけども、人前で喋らなきゃいけない時は、必ず自分の呼吸に意識を向けておくとか、一箇所自分のどこか爪でも指でもいいから、ずっと抑えているっていうことをして、話があっちこっち飛ばない様にするっていう方法もあります。まぁ、それまた今度お話ししましょうか。


最初の話に戻って、病氣、病は氣からっていう話をしてたので、ちょっとその続きを、最後までしてみようかなと思います。


思い込み、役を演じただけなのに、なんか左側が、なんか本当に痛くなっちゃったよってことなんですけども。たまに、海外の俳優さんとかで、よくあるのはあれですよね、やっぱり怖いやつホラーとか。そういうのの演技に入り込んじゃった人って結構その後、俳優さん、女優さん、

大変な目に遭うのは、あれも周波数なんですよね。

引き寄せちゃう、そういうものを。

だから、いやすごい命がけのお仕事してるなって私は思います。私にはできないですね、“そのもの”になってしまうから、絶対。もしやるなら役を選ばないと。幸せな役とかがいいですね。。。そんなんじゃ仕事になんないよね。演じるのがお仕事なんですから。


で、その病は氣からってことなんだけども。痛い痛いと思えば、痛いとなるし、大丈夫大丈夫と思えば、大丈夫となるし。それで、共鳴っていうのもあるよってお話しました。

クライアントさんだったり、例えば、親族の方がどっか痛いよってなってたとします。どっか調子が悪いよってなってたとします。それも距離が離れていても自分に起こることがあります。自分の普段をよくよく見てると、運動してないな、過度なね、運動してないな、筋肉痛になる様なこともしてないよな、なんか変なものも食べてないよなっていう時に、

突然どこかがおかしくなったりする時は、大体自分のものじゃないと思ったほうがいいです。


そして、その痛みを見てください。見えない目でもいいです。それで、「これは私のものですか?」って聞くと、心は大体NOって言うはずなんです、自分のものじゃなければ。そしたら、振り払ってください。「これは私のものじゃない」って言って。

要するに、調子が悪い人とエネルギー的に繋がっていて、共鳴から来る具合の悪さだったりすることが多いです。痛みとかも、痛みの時もあります。それで、自分のものじゃないって氣付いたら、返してください、ビッてね。


よく親族や、同じ周波数帯域で生きてる人に起こりやすい現象ですけれども、特に親族で多いと思います。血が繋がって細胞が同じということはすごく近いんです。距離関係なく近いですから。誰か家族ひとりが、うつ病になりましたってなったら、家族全員にそのエネルギーは行き渡ってしまいます。

ちょっとした瞬間に自分も具合が悪くなったりすることは、よくあることなんです。

科学では証明されてないと思いますよ。よくわかんない、知らないけど。

波動の世界では、この生きてる世界では、当たり前のことです。別に不思議なことでもなんでもないです。それで、祓うと痛みはなくなります、よくありますよ。

何もやってないのに、「なんか今日、すっごいここ痛いなぁ」って思った時に、「これ自分の?」って思うんですよね。そしたら「違う」って言うんですやっぱり。だって何もしてないもん。急に痛む理由がない、原因を持っていない時は、大概自分のものじゃないです。そしたら、それをファッと祓って、私はそれがどこからきたか大体わかるからその人に返してあげる。ベッて返すと、ものの見事に痛みは消えます。「んん?氣のせいか」みたいな、ぐらいの感じでなくなるんです。

でも、生きてる人の念って動き続けるので、一回祓ってもやっぱり来るのは来るんですよね。

そうすると、まぁしつこいっちゃ、しつこいですよね。そうなったらもう奥の手です。自分の周波数をあげるしかないっていうね。その響き合ってる周波数で、痛みが共鳴しちゃってるわけだから、生きてる周波数帯域を変えなきゃいけないです。

周波数が下がれば具合が悪い人もっといっぱいいるわけだから、おどろおどろしい、周波数帯域に生きている人はいつも恨んで、怒って、辛い辛い、不安だ不安だって言ってるわけだから、痛みはすごい仲良しこよしなわけですよ。痛みや苦しみがね。

だから自分の波動を下げるわけにはいかないです。余計もらうことになるから。こういう見えない世界をお勉強し始めたら、本当に上がるしかないですから。でも、それは最終的に自分のためでしょ、だからいいんです。そしたら、今度自分のレッスンになり変わるということで、痛みに感謝をして、自分の自己成長、学びに変えるっていう努力をしないといけないんです。

それで、氣付いたら「あらら、そんなことあったっけ」っていうぐらいの高みに登っているっていう繰り返しです。痛みも苦しみも、最終的にはそこに感謝をして、自分の自己成長に繋げるっていうのはそういう意味もあります。


競争ってあるじゃないですか、よく、人と比べるってね。全然ちょっと話違うかもしれないんだけど。競争社会って、私もう大嫌いなんですよ。

そういうのって小学校、幼稚園ぐらいから植え付けられるわけですよね。

「はい、赤組白組に分かれて、運動会」とか。「なんで戦わなきゃいけないの?」ってずっと思ってた、幼稚園の時から。「なんで赤と白に分けんの?」とか、「なんで男と女に分けんの?」って、ずっと幼稚園から思ってるっておかしいよね。ちょっと魂がおかしいね、私、たぶん地球人じゃない。

うん、それは幼稚園の時から思ってる。本当に、おかしな話だと思う人いるかもしれないけど、「なんで地球人て、こんなにあれなんだろう」みたいな。「無理だわ、地球人とは合わないわ」って、ずっと過ごしてきたんですよね。自分は宇宙人だとずっと思い込んできたっていうね。

だから私、帰るべき星ってやっぱりあって、なんかミッションを遂行するために、この星に生まれてきたんですけど、なんか寂しくなる時ありますよね。本氣で泣いたことあります。「帰り方を忘れた」って言って、自分の星に。「もうっ」って言ってね。ずいぶん前の話ですけどね。今は地球人の形をしながら、魂はちょっと違うよっていうところで落ち着いています。


それで、その競争の何がダメかって言うと、

自分を全く見れない様になるための秘訣ですよ、競争っていうのは。だって、基準が相手にあるでしょ、競争って。


「あの人がこうだから負けない様に自分はこうしよう」ってなった時に、基準が相手なわけですよね。普通、基準は自分にあるべきじゃないですか。こういうことですよね。相手がいました、自分がいました。その差を見て、自分はこういう人間だって言ってるんだよね。じゃあ考えてみてください、

相手がいなかったら自分ってどうやって見るの?



Aさんが100点だった、自分は50点だった。あと50点あれば自分はもっとすごい人になれるって。ちょっと待って、自分の最初の50点どこいったの?っていうね。ちょっとわかりにくい説明かな。

要するに相手を基準にしていたら、自分の軸がなくなっちゃうわけですよ。だから、競争というカラクリは、すごく自分を見ない様にする、すごい手法だなって私はずっと思ってきて。

だから、運動会だとかなんとか競争とか、もう大嫌い。小学生の時も、もう体育の授業は、そういうマラソン大会とか全部サボってましたよ。「具合悪いんです」とか言って。競争とかもう嫌になっちゃうわけね。

もう自分、過去。


比べるなら過去の自分と今日の自分。


「昨日の自分と今日の自分はどのぐらい成長したかな?」だと、基準が自分にあるからすごいわかりやすいじゃない。いつも基準が自分にあれば、ちゃんと成長していけるの。自分で山を一歩一歩、登っているっていう感じ。相手を基準にしていたら、全く自分らしさなんて見つけられないので、ダメですよ。仕事においてもそうですよ。


昔レイキを一本でやってきたわけですけども、ある男性の方がわざわざ関西の方から来てね、「どうやってレイキ一本で食べていけるんですか」って、すごい質問をしに来たんですよね。「うーーん」って言って、「そうですね、人と比べないことですね。」それしか、答えは出せませんでした。

どういうことかというと、やっぱり私もその当時いろんなことを勉強していて、自分の心と向き合うお勉強とかしていて、スピリチュアル雑誌とかも、「どんな人がいるのかなぁ」とか言ってね。まぁ、当時そんなにスピリチュアルな人いなかったですけど。

ホームページとか見て、この人すごいなと思ったりするわけじゃないですか。それと比べて自分ってどうなんだろうって思って、卑下してしまったり、まぁ、頑張る人もいるかもしれないけども。

なんか頑張る動機がおかしいし、卑下する動機もおかしいよね。


でも、自分の中に植え付けられたその競争心というのは、日本人なら誰でもあると思うんです。だからその時に決めたの。「もう、他の人のことは見ない」雑誌とか仕事の上で、「こんなことしてんだ、すごいなぁ」とかね。

すごい人はすごいものを出すわけですから、それがいっぱい出てるわけですよね。それを見て卑下したり、おかしな競争心を出すぐらいだったら、もう一切見ないって決めたんです。

で、自分を振り返って、自分を見て、「今の自分なら何ができるだろう」っていう、小さくてもいいから、もうそれでいいやって言って、一個一個積み重ねてきたんです。それがやってきた結果として、まぁ、氣付いたらレイキひとつで生きてきましたよっていうところになったので、まぁ、彼にはそういう話をしたんですよね。


なんか話が全然逸れちゃってますね。今日はね。今日はこの辺にしておこうかな。えーと、たぶん9時過ぎに私はmusuhiの方に行かなきゃいけないと、自分で決めたので、早く収録をやめろと自分が言ってるんだと思います。笑

今日はそんなことで、病は氣からっていう、氣持ちが自分の病氣すらも作れちゃうよっていうお話から、なぜか競争ってムダだよっていう話に、切り替わった様な感じがしますけども。もう少しまとめてお話ができる様になるといいなと思うんですけども。まぁ、暇つぶしとかに聞いてもらえたらいいかな。

今日は、金曜日ということで、週末に向かってどの様な週末を過ごしていくでしょうか。関東の、、もう世界中、自分を見つめなきゃいけない時期ですから。なんか、「どっか遊びに行くぞ」っていう氣持ちにもなれないと思うし、内観です。

自分を見るという大好きな時間です、私。なんて言ってね。

自分を成長させることを楽しめる人っていうのは、娯楽が必要なくなっちゃうから。

楽しいからです、毎日が。

毎日「辛い辛い」、「ストレス、ストレス」って言ってるから、「どっか遊び行きてー」って思うんでしょ。思わないもん私。「何が楽しいの、それ」みたいな。ジェットコースター乗って、「イェーイ」って言って。もう毎日が「イェーイ」だわ、みたいなね。わざわざお金払って「イェーイ」とかいう、ジェットコースター乗る意味がわからない。もう怖いだけだし。

もう毎日が特別です。

そういう人間になった方がいいんじゃない、どうですかね。だって、毎日楽しくて、毎日満ち足りていて、心が豊かで「他に何が欲しいの?」っていう人にみんなでなっていきましょ。

今日も一日、感謝と共に素敵な一日をお過ごしください。

それでは、また。

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