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真夜中のチョコチップクッキー

こんなに早くに会社の飲み会から一人で帰ったのはひさびさだった。
リモートで働いているみんなが集まる年に一度の全体合宿の最終日。

いつもの社交モードを出すエネルギーがなかった自分にびっくりする。新しい環境だったり、新しい人と話すのは好きなはずなのに、すっかり疲れ切っていた。もう飽和しているような感覚に近いかもしれない。気づいたらすーっと一人で会場からホテルへ歩いている自分がいた。

この場にわたし必要とされてないな、この会社にいるべきじゃないのかもな、そんなことが頭をくるくると回る帰り道だった。ホテルに戻ってもすぐに寝る気にはなれなかった。一人でひさびさにゆったりと湯船に浸かり、ちょうど洗濯物が溜まっていたのでランドリーで物思いに耽ろうかとロビーにおりる。

ロビーでは会社の中でも一番気を許している先輩がキッチンで片付けをしていた。その先輩は同じ誕生日だからなのか、なんだか感覚が似ていてとても居心地がよい、なんでも話せるお兄ちゃんのような存在。なにかあったらすぐ話したくなるし、顔を見るとなんだかわからないけれど落ち着く。こんな時にその人の顔をみたら、もう抑えられなくなってしまった、なにかがぷつんとはじけて、気づいたら涙がとまらなかった。

いきなり泣かれてさぞよくわからなかっただろうに、ロビーには他の人も帰ってきはじめていたので気づかれないように、こっちきて座りなとキッチンの奥に連れて行ってくれた。しばらくわたしが泣き止まないので、いつももっているコンビニの甘いチョコチップクッキーと余っていたコーヒーをその辺のお皿にちょこんと盛り付けてくれた。まるで閉店後のbarのマスターに話をきいてもらうような気分だった。

わたしは小さい時から泣き虫だ。なにか感情が溢れるとすぐに泣いてしまう。それ以外の表現方法を極端に持ち合わせていないのだと思う。なにがあったから泣いているというよりは、よくわからないけどいろんな感情が渦めいてもうキャパオーバーになった時突然に泣き出す。だから泣いている理由をうまく説明できない。それでも先輩は拙い少しの言葉で汲み取ってくれた。

自分にとっての、許容人数や居心地のよい人数を、自分で設定すること。そしたらその場が楽しくないのは、その人数を超えているからだと人数のせいにすればいい、自分に合った人数のときに本領発揮できたらいいと。
たしかに大人数は苦手という意識はあまりなかったけれど、歳をとるにつれて大人数の集まりがわくわくより疲労の方が上回ってきている気がするし、自分の対応可能な人数も減ってきている気がした。わたしの人生は居場所を探す旅のようだと思っているので、居心地がよくてここが自分の居場所になりそう、というコミュニティが好きだ。それはたぶん3人くらいがちょうどよくて、多くても6人くらいなんだと思う。なんだか人数だけなのに、あのときのわたしはふっと心が軽くなった気がした。

今回の涙の大きな要因の1つはこの居場所問題だったんだと思う。この会社に2年近く勤めてみんなが自分の居場所、家族のような存在になってきていた気がしたのに、みんなにはもっと大切な人やモノや場所があるという事実。そりゃあ家族のいる人も、この会社とは別に自分の事業をやっている人も多いので、この会社の人たち以外に大切なものがあるなんて、当たり前なのだけれど、その時はなんだかその事実がやけに悲しかった。特にさまざまな離島に拠点をもっている不思議な会社なので、生まれ故郷だったり思い入れのある島で暮らして生きている人が多く、そのような場所への愛情や感覚が自分にはないことが、さらに自分とみんなは違うということを強く認識させられた気がした。

みんなと違うというところではもう1つ涙の要因があったように思う。この会社は自分の事業とか趣味とかをずっと続けてきて大小あれど自分のナリワイにしている人が多い。しかし、わたしは何かを極めるとか、何かをずっと続けるということが苦手。続けた先に何かあるのかもしれないけれど、そこにエネルギーをかけ続けるほどモチベーションを維持できない。それよりも新しいことへ飛び込むことの方がわくわくするし、衝動的に行動しちゃっていることが多い。そうやって生きてきた。それでいいんだと自分では思いつつも、そこには少しだけ、続けられない自分への拭いきれないコンプレックスみたいなものがある。

そのことに対して先輩は、続けることにモチベーションなんかないよ、やりこむことで反射になっていくのがかっこいいという感覚と言っていた。反射的にスパイスカレーのスパイスを調合したり、反射的に音楽をギターで奏でることができたり、気持ちというより体が覚えていく感覚がいいらしい。その感覚には少しだけ興味があった。そんなふうになれたらきっと何かが広がるし、新しい世界線が待っているような気がする。続けられるかはわからないけれど、こういう小さな言葉にできないわくわくの心の高鳴りがわたしの行動の原動力なんだと再認識した。

結局ランドリーの乾燥がおわるのを、誰もいないロビーで話しながら一緒に待ってくれていた。終わったAM4時ごろにはもう涙はひいていた。そのまますやすやと自分の部屋に帰ってなんだか温かい気持ちで眠りについた。

きっと自分では人生で一度も買ったことのないあのコンビニのチョコチップクッキーをまたどこかで食べることがあったら、この日のことを思い出すんだろうなあ。そんなことをその場で一緒に話していたことにも今ではなんだか笑えてくる。また感情が溢れて泣き出してしまったらあの甘さが恋しくなるのかもしれない。

エピローグ。
次の日は解散の日。おのおのが解散していく中で、延泊予定だったわたしが仕事をしていると、最高の古本屋があるからこない?と先輩からのLINE。いつも本なんてあまり読まないのだけれど、今日ばかりはいろんな言葉が自分に刺さり、衝動買いをしてしまった。古本屋をでたところで、はいこれとさっき先輩が買っていたたくさんの本の中から一冊を差し出された。これ人生に悩んでる時いいよ、好きな本で古本屋で見つけたら買っていつもだれかにあげちゃうんだと。

ああこんなふうに古本をあげれるような大人になりたい、そう思った。
わたしはまた泣きそうになるのをこらえながら一緒に歩いた。

#やさしさに救われて


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