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ステラーブレイドの湯|diary:2024-08-16

とても久しぶりの投稿になります、これのみならずゲームばっかりやってました。文体も前に戻ってしまった。

動機

出会い

キム・ヒョンテは自分が子供の頃に最初の画集を出しており、その広告を見たのが出会いであった。オリエンタルな画風と肉感的なマッス表現、黄味の強いオレンジ色を印象的に使用する色彩のセンスと特徴的な服飾のディテールなどが印象に残っていた。

その彼が近年、勝利の女神NIKKEを引っ提げ日本に上陸、そして矢継ぎ早にステラーブレイドをリリースした。AAAとは届かないまでも膨大な予算をつぎ込んだことが見て取れる、緻密に3DCGを作り込んだアクションゲームである。

一介のイラストレーターがゲーム会社を立ち上げ、スマホゲーだけでなく3DCGのコンソールアクションゲームを出す。ものすごいことである。一体どれだけの胆力で成したのであろうか。

彼の出自がイラストレーターであれば、その会社SHIFT UPの武器は面白いゲームやストーリーを作るロジックではなく、魅力的な女性を、特に彼の場合は女性の尻へのフェティシズムを描いて押し通るためのデザインセンスであり、それをゲームに落とし込む情熱であろう。ゲーム業界にポリコレの逆風が吹く中、それを我関せずとこのようなゲームを出したことを賞賛する声もあったが、彼はポリコレに屈しなかったのではない。彼の武器は魅力的な女性の尻を描き、ゲームに落とし込むその一点だったろう。それだけで戦ってきた。故に屈するという選択肢はなく、賭けるしか無かった。そして彼は賭けに勝った。コンソールゲーム開発未経験からAAAに近いゲームを作り上げ、ソニーと独占契約、PS5専用タイトルとしてのリリースにこぎつけた。そんなストーリーを想像した。

この、コリアンドリームの体現の結晶をプレイする。キム・ヒョンテという稀代の起業・経営センス、プロダクトマネジメントの才能を兼ね備えたイラストレーターの作品がいかなるものか。それを体験したく、手に取ったのであった。

エロス

視覚的に確実に売りにしていると思われるものだが、しかし感じなかった。主人公をはじめこの世界に登場する女性は全てアンドロイドであり、義体である。激しく動き、転げ回り、どぶを泳いでも、砂埃も泥もつかず、汚れず、汗をかかず、水に濡れる表限すらない。ところどころムービーシーンで眼福を感じることはあっても劣情を抱くことがない。

いくらかそういった用途があるのだろうというという期待もあった。購入してアップデートを待つ間、PS5のホーム画面には他人が直近にアップロードした動画が出ておりその先頭は、ロープに捕まって素股というか、角オナをしているような動作をしている動画である。なるほどやっぱりこういう感じねと洗礼を受けたのだが、振り返って見ればそれだけだった。
正直に吐露すれば物足りなく肩透かしと感じもしたが、それはキム・ヒョンテ彼の中にある、女体に対する神聖性のようなものの現れとも感じた。今となっては”勝利の女神NIKKE”もタイトルに女体信仰的なニュアンスを思わないでもない。ストーリー上で主人公が「天使」「天使様」と呼ばれるあたりもその投影か。

ストーリー

上記のように、元から女性の尻、コスチュームデザインを押し通るためのゲーム、ストーリーの設計であることは想像しており、ストーリーははなから期待するものではなかった。登場人物の名前がイヴとアダムという時点で相当察するだろう。前世紀のセンスであり、脚本も多分にもれず陳腐だった。後述するボス戦の楽しさ、興奮は素晴らしいものがあるのだが、その撃破後に訪れる茶番のやり取りは常に椅子から転げ落ちるような肩透かしと苦笑いを誘った。雑にいってしまえばスターシップトゥルーパーズとニーアオートマタの掛け合わせに思う。

ただ、“オルカル“という老師のようなキャラクター、その登場の前後に開示されるする退廃的なアジア街とその地下に広がる洗練されたサイバー空間のデザインは非常に秀逸で、このシーンには大きく引き込まれ、意外に期待を超えてくるかと思わされた。逆にこの辺りの上げて落とす振れ幅は一層残念な印象を与えもした。

素晴らしいシズル感

音楽

非常に合わなかった。公言されているがあまりにもニーアオートマタを意識した曲調で、大抵が女性ヴォーカル付きのボサノバがちょっと入ったようなアンビエントが流れるのだが、ニーアというゲームはマットでトゥーンライクな質感の画面世界、無機質で可愛らしい敵キャラとの闘いであることにその曲調の哀愁がマッチするのであって、対してステラーブレイドはスターシップトゥルーパーズ的なグロテスクな敵キャラのデザイン、画面の質感は欧米AAAゲーム的フォトリアルのそれで、ミスマッチは滑稽以上に不快である。

こういうのと戦いながら女性Voボサノバアンビエントが流れる

序盤はあまりのナンセンスさに吐き気を覚えて設定で音楽を切った。砂漠のステージ辺りから退屈に負けて我慢し聞きはじめたが、ことごとく合わない。男声ミクスチャー系ロックみたいなのも流れたりするが、基本的に戦闘シーンに歌物の曲を流すというのがどうにもダサいと思う質だから虚無的になる。

ただ良曲だと思ったものが1曲だけあり、“Nikakoi“みたいなエレクトロサウンドで、この曲選にはニーアへのフォローと異なりオリジナリティを感じた。後述、このゲーム最高の評価点であるレイヴン戦におけるBGMである。

Nikakoi聴いたら改めてよかったのでNikakoiを貼っておきます。

ゲーム性

古いバイオハザードのようなパズル要素、トラップゾーンが頻繁に差し込まれ、パスワード入力やあみだくじのようなミニゲームは本当に前時代的で、誰か止めなかったのかと。攻防のアクションは良いのだが、移動の制御は結構操作性が悪いと感じる部分も多く、トラップゾーンでは異常に足止めを喰らってしまった。回転する刃に触れると主人公に切り刻まれるグロムービーが流れるのだが、プレイヤーキャラのゴア描写はそこだけであり、本当にバイオハザードの真似がしたかっただけなんだなと思わされる。ステージからの落下は軽いダメージで復帰するのに。この辺のステージデザインの統一感の無さ、節操の無さはやはりゲーム作り全体のコントロールへの慣れなさを感じるが、振り返ればむしろ初挑戦でこの程度のアラで済んでいるのが驚異的ではある。

アクション、ボス戦は押し並べてよく、歯応えがあった。不条理に感じる敵もいたが、エルデンリングなどより遥かにストレスが少なく、達成感があった。同じゲーム性、ジャストガードによる捌きに重きを置いたアクションのパイオニアであるSEKIROと比べても遜色がない。異形の大型ボスが多いのだが、特に二人の人型ボスに関してはこれだけでお釣りがくるほどの良ボスであると感じた。特にセミ・ラスボスの“レイヴン“は負けて挑む繰り返しが本当に楽しいと思えた。 

レイヴン

やはり敵キャラにおいても女性を描くことには一層の熱が注がれるのだろう。モーションの作り込みが他のボスと一段も二段も違う。レイヴンの攻撃は大型ボスよりもむしろ見栄えがし、激しいながら直感的で捌きやすくもあり、誰よりも楽しいボスであった。
容赦ない肉弾戦は見応えがあり、一定ダメージを与えた際、投げやカウンターを喰らった際に入るえげつないインファイトのムービーにはゾクゾクさせられた。

人型ボスがごく少数であることによるコントラスト、ストーリーの意図もあっただろうが、凡庸なグロテスクなデザインのクリーチャー、デウスエクスマキナ的な大型ボスと戦い続けるストーリーよりも女性キャラの敵をもっと多く出せるストーリーになっていたらまた異なる評価であったろうし、よりキム・ヒョンテらしい世界が広がっていたろうとも思う。これらの女性型ボスはストーリー上も重要なキャラであるが感情移入するには描写がお世辞にも足りず、陳腐で紋切のテンプレキャラとして消費されている点も勿体がない。

全体の感想

とにかく評価の焦点はレイヴン戦に尽きる。よくぞ初挑戦のジャンルでこの体験を作り上げたと思う。ストーリーその他の部分が至らぬことは大方予想の上であり、求めていなかった。レイヴン戦までずっと批評的な目で、斜に構えてプレイしていたのが一瞬でスイッチが入り、波長が合って没頭できる体験ができたことが嬉しい。その後のラスボス戦、エンディングが輪をかけて陳腐であったとしても意に介さないほど、素晴らしい体験であった。

自分のことを言うと年齢的にピークを越えて以降、出会う作品がそれぞれ、過去の自分の視聴体験、既視感、固定観念との戦いになってきていると感じる。作品との対峙はそれらの防壁を乗り越えて自分の波長を合わせることができるかの勝負となり、その勝負に負け愚痴を垂れ、反発したまま終わる作品が増えていく。あるいは触れもしないまま呪詛を吐くことも多い。

ステラーブレイドは久々に、その勝負に最後に勝ち、乗り越えることができた作品だった。歪を覚悟し構えて味わい、思わぬところにその至高を見る。良い体験であったし、こうして乗り越え楽しめる作品が一つでもこれからの人生増えていければ良い。

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