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そのままを伝えたいがゆえのこだわり

このまえ友だちと電話していて、
明日のためのシュミレーションを頭の中でついやってしまうという話で盛り上がった。

私も友人もことばで深く傷ついた経験があって、それがために人に語りかけることばにはとても気を遣っている。
「○○(私)はことばを選んで話すよね」と言われたことも。

この慎重さは相手を傷つけることを避けられるし、お互いにいいことだから大事にしていたいな~とぼんやり思っていた。

シュミレーションしてしまうのはいろんな理由があるけれど、ある程度状況を予想しておくと、相手に対する突拍子もない発言を避けられるという面があると思う。

いいことの方ばかり認めていたけれど、
自分の発することばに完璧を求めている半面、私の思う完璧なことばがそのままのニュアンスや意味合いで伝わるとは限らないんだな~と今日思ったりした。 

というのも、
以前の上司の対応について少々意見があって(私は正直いらっと来てた)、言わないでおこうか迷った挙げ句やっぱり伝えるべきだと思い、今日当たり障りのない感じで伝えようと思い声をかけてみた。
少し頭の中で予行演習をして臨んだのにも関わらず、
上司の反応は予想外のもので、急に自分が責められたような思いがして、
自分から声をかけたのにも関わらず平謝りでろくに顔も見られなかった。。

うまく伝えられなかった。
すごく残念だったし、敗北感だった。

私は私なりにシュミレーションして臨んだけれど、
ことばを選んで話したつもりだったけれど、
予想外の場の雰囲気や諸々に圧倒されてしまい、確認したいことが確認できなかったし相手にも嫌な印象を与えてしまったかも…などといらない考えばかり浮かんでくる。。

どうしてこうもうまくいかなかったの…?!
と自分を責める思いとともに、
環境や相手の状況や気分など、いろんなものが絡み合って、私のことばは伝えられているんだということにはっとする。

私の発することばが考え抜かれた、またはありのままの思いを伝えるものであったとしても、
そのまま相手が受け取れるなんてありえないのに、
ことばの完成度にこだわりすぎてひとりでうんうん唸っている時間があまりにも多かった気がする。

誠実なことばを使いたい思いは変わらずに持っていたい。
だけど、伝わる度合いはそれぞれなんだってことを忘れずにいたいな。。

*
久しぶりの投稿おわり。
noteの皆さんの投稿に励まされて、こうしてことばにすることができました。
みなさま、ありがとうございます!

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