かなしみが見せてくれる世界

“心を開くとは、他者に迎合することではない。そうしてしまうと相手だけでなく、自己からもどんどん遠ざかってしまう。むしろ、心を開くとは、自らの非力を受け入れ、露呈しつつ、しかし変貌を切望することではないだろうか。変貌の経験とは、自分を捨てることではない。自分でも気が付かなかった未知なる可能性の開花を目撃することである。”

        若松英輔「悲しみの秘義」p.86

自分の経験を振り返ってみた。

確かに、
誰かに心を開くには自分の脆さを認める段階があって、弱さを隠したい欲を下から潜るようにして初めて、心を通わせることができると思う。

この幸福は、若松さんの言う通り、悲しみの経験から始まる。
悲しみは”哀しみ”であり”愛しみ”。
日本人の心には、かなしみの感性と言えるようなものが息づいている。

私にも深い海の底に静かに沈んでいることしかできなかった時間があったけど、
このかなしみが見せてくれた景色があったことを、心の世界に信じられないほど多様な色合いを与えてくれたことを思い出したのでした。

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