2/14~2/20、或る日の日記

或る日の日記13

 札幌・豊平公園の売店で観葉植物を買った。カラテアのシャインスターと、ネフロレピス・ツデー。カラテアはずっと欲しかった植物で、絶対に"オルビフォリア"か"葉の裏が紫になっている種類のもの"を最初に迎えようと思っていた。ら、きまぐれで行った公園の売店に売っていた。聞くに、最近までカラーリーフ(模様や葉の色がうつくしい植物たち)の展示をやっていたらしい、わたしが行ったときにはもうカラテアの在庫はふたつしかなくて、シャインスターとピンクスターが並んでいた。カラテアはどれも葉っぱがアクリル絵の具で描いたみたいな柄をしていてかわいいのだ。シャインスターはディープなグリーンの葉に白い模様が描かれていて、裏が紫色。5号くらいの鉢で3800円。気品があって超うつくしい。ツデーは日陰でもじゃんじゃん育つと聞いていたために興味があった。めっちゃ小さい鉢で400円。実際、部屋に置いておくとどんどん水を吸う、生物を感じられてたいへん愛おしい植物である。

 わたしの部屋には亡き父が実家で育てていたシェフレラがある。ずっと実家にあったのを父が鬼籍に入ってから兄が引き取ったのだが、環境の変化で徒長してしまいぽろぽろでしおしおな感じだったためわたしの部屋に今年の1月に迎え入れた。少なくとも丸2年植え替えをしていないという計算であったため今月植え替えをしたのだけど、元気になるかなあ。なるといいなあ。わたしが物心ついたときから家にあった植物である。このまま逝ってしまったらけっこう悲しい。


或る日の日記14

 転んだ人を笑う、躓いた人を笑う、ふられた人を笑う、同意のない笑いが根本的に差別的だというのは本当だ、これはベルクソンの思想だったか。要するにお前は我々の範疇から外れているぞ、ということが、その"笑い"は言いたいのである。ポリティカルコレクトネスが叫ばれ始めてからこちら、差別的な笑いが無くなるかというとそうではない、とわたしは思う、差別的な表現や既存の美しさを排除し、そもそもの「なにがだめなのか・なぜだめなのか」という根本を理解せずに行使される「自分が差別主義者だと思われないためのポリコレ的手段」によって生まれるのは平穏な世界ではなく、おそらくは新しい差別だろう。

 他人の発言の過ちにヒトが寄ってたかって道徳の名の元に制裁を下し、再起不能にする社会はとても恐ろしい。みんなが望んでいる多様性ってこういうことなのだろうか。

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