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私がミス東大炎上を受けて色々考えたこと:女として、東大生として、今を生きる人間として

季節はすっかり冬になり、ほとんどの人が変わりゆく季節を前に慌てながらも衣替えを終えるか終えないかくらいの時期ではないだろうか。「炎上」というからにはTwitterユーザーの周りの気温だけでもあげてほしいものだが、現実の炎上は冷たく暗い。

ミス東大の炎上事件を知らない人もいると思うので、簡単に解説したいと思う。

事件の概要について

私の理解する限りにおいてだが、ミス東大の出場者の一人の女性が、InstagramとTwitter上で、コンテストの運営団体である広告研究会のセクハラと、不透明な資金の流れなどについて告発した。ここまでは非常に真っ当な流れである。しかしその彼女の発言を受けて、他の一人の出場者が、その告発文に対して直接、「私はセクハラとは思わなかったけど、普通じゃない?」という趣旨の引用リツイート(元の文章を引用しながら自分のコメントを書き記すこと)をした。これに対して多くの批判が生まれた。これが、今回の事件の概要である。

ちなみにこの他にも、広告研究会の人と思しき人の裏アカウントのツイートが流出したり、過去の出場者が広告研究会を庇うような発言をしたりと、様々な問題が起きているが、今回は、二人の出場者と、「セクハラ」に焦点を絞って話を進めていきたい。

①何が問題なのか?

複数の問題点がある。まずは、広告研究会である。セクハラを行ったこと(セクハラ的な言動があったこと自体はそれを「普通のこと」としつつも、出場者の人も認めてはいる)、そしてお金の流れが不透明であること。更に彼女が指摘していたところによると、運営は出場者よりも力が強い立場であったようである。運営側が自由に出場者のポイントをマイナスすることができるので、運営側におもねらないと優勝は絶望的なのである(らしい)。

次に、多くの人も指摘している通り、「セカンドレイプ」の問題である。皆さんはセカンドレイプをご存知だろうか。性被害に遭った人に対し、「大したことはなかったのではないか」「服装が誘っているように見えたのではないか」「言動に問題があったのではないか」「お酒を飲んでいたからではないか」と被害者自身に落ち度があったのではないかと勘ぐる・指摘するような言動をすることである。今回の事件の場合で言えば、告発した彼女の「セクハラがあった」という言葉に対し、「普通じゃない?」と指摘することで、彼女が「セクハラである」と思った事象を矮小化してしまう効果がある。要は、「普通だ」と指摘することによって、セクハラがなかったことになってしまうのだ。あったのに。そして、「セクハラ(程度)を指摘するのは心の狭い人間である」という空気感が出来上がり、あらゆるセクハラがなかったことになり、声をあげたくてもあげられないまま皆口をつぐみ…という悪循環が起きてしまう。

その悪循環を防ぐために、セカンドレイプを見かけたら、早めにそれを指摘し、告発した本人(や告発したいと思っている人)が「告発しても大丈夫なんだ、私はおかしくないんだ」と思える環境を整えることがとても大切である。であるので、セカンドレイプをした出場者女性の発言自体がバッシングを受けるのはある意味当然のことであり、告発した女性のためにもなっていると言えよう。

ただ、ここでいつも忘れそうになるのが、「セカンドレイプ」はなぜ起こるのか、という話である。「公正世界仮説」というものがあって、人は被害者を見ると「落ち度があったから」と理由をつけてしまいたくなるから…とかいう心理学の話ではない。

そこに性被害が、性暴力があったからだ。

大元となる明確な悪があることを忘れて、顔の見える彼女自身を叩くのは、お門違いとも言える。とりわけ、「ブスだから僻んでそういうこと言うんでしょ」みたいな言い方をして、彼女を貶す人が後を絶たないように見受けられるが、意味がわからない。悪いのは彼女の発言である。発言を批判しよう人を叩くな

②セカンドレイプをした彼女が完全に悪いのか?

これは難しい問題だと私は思う。悪いのだ。この類の発言は、歴史的に見ても、事実を歪め、人の口を塞いできた。しかし違和感がないだろうか?これは男女差別の文脈でとりわけよく起きてきたことである。どちらも差別される側であるはずの女性が、仲間であるはずの女性の口を塞ぐなんて、どうしてそんなことが起きるのか?

さぁ、ここで歴史の授業である。古代ローマ帝国はかつてたくさんの植民地を持つ巨大な帝国であった。この巨大な帝国は、多くの植民地が反乱を起こしたりしないようにと、ある統治方法を用いた。

分割統治である。

分割統治というのは、植民地である国々に差をつけて統治することである。植民地の中でも、比較的待遇の良い国と、比較的待遇の悪い国に分けて統治した。するとどうだろう。どちらも植民地のはずなのに、お互いが差別されて統治されているのをわかっているから、連帯できないのである。「まぁ、あいつらは下だからwww」「あいつら上ぶりやがって、苦しいのは俺らだけかよ…!」みたいな感じ。ガバ歴史ですいませんでした。

つまり、同じことが起きているのである。早い話が、差別されている側(女性同士)の連帯を防ぐことによって、差別している側はとりあえず上の位置を保てるのである。

男社会の中で生き残るためには、女性は男社会のルールを甘受し、うまく受け流して生きていかないといけない。そう思うと、そのルールを受け入れない女性のことを見ると「私は受け入れたのに!あなただけ受け入れなくていいはずない!」とつい指摘したくなってしまうのではないだろうか。それはもちろん女性同士の連帯を塞ぐ大岩だ。それでも、その大岩を砕くためには、ただバールで打ち付けるだけではなくて、「君だって別にセクハラ受け入れなくていいんだよ」という言葉を伝えることで、大岩自身の意志で立ち上がってもらうこともとても大切なのではないかと思う。

という意味で、セカンドレイプをした彼女自身があまりにも非難されあまりにも傷ついて「フェミニズムなんて嫌い!!」みたいになってしまわないように、と願うばかりではある。適切な批判が、適切な形で、彼女の心に届きますように。

③「キャットファイト」と「男社会」と「名誉男性」

女性が争っている様子がやたらとフィーチャーされるのも、女性同士には友情なんて芽生えないと洗脳してくるメディアも、全部嘘だったんだなと、フェミニズムを学んで初めてわかった私だけれど、実は、セカンドレイプをした彼女みたいな思考回路だった時はあった。

ここから少々の時間自分語りに付き合っていただくことになるので、つまらないなと思った方は飛ばしていただきたい。

私は東大生だ。入っていたサークルの部署は私以外全員見事に男性で、私は蝶よ花よと愛でられる…ことはなく、「女」であることを理由にからかわれ、時に場から排除され、しかし仕事をしないことは「女であること」を理由には許されない(例えば力仕事とかね)、という中途半端な場所を浮遊していた。「女」であることはサークルにおいては基本的にはマイナスにしか働かなくて、自分自身でも極力「女」であることを排除しようとしていた。

下ネタはある程度まで受け入れ受け流す、セクハラも受け流す、体を張る企画も男子並みにやる、仕事を断らない、セクシャルな誘いを受けても自分がこの環境にいるのが悪いのだと日々言い聞かせ、男性の言うことには100%従わないといけないのだと自分を洗脳していた。そして、求められた時にはきちんと「女」の役割を果たした。「男だけじゃ華がないじゃん?だから来てよ」と言われたことも100回くらいあるし、「ほくちゃんって化粧しないとブスだよね」と言われたこともある。今思い返してもムカつくな。今言い返しとこ。普通に可愛いです。

それでも、私は「女扱い」されないことにより自分は特別なのだと感じていた。私は男から認められているのだ、1ランク上の女なのだ、と。ただ都合のいいように使われていただけだと気づいたのは、1年経ってからだった。あらゆるセクハラじみた言動、パワハラじみた言動、自己洗脳の違和感を、フェミニズムが説明してくれた。そしてフェミニズムが教えてくれたのは「名誉男性」という言葉だった。

私は名誉男性だった。男社会で生き残り、男社会のルールを内面化して自分に課し、そのルールが他の女性に適用されれば喜んだ。セクハラを受け流せない女性がいたら、積極的に何か言うことはなかったけれど、「あぁそうか、この子は受け流せない『側』か…」みたいな顔をしていた。なんやねんその2分割。

そうやって男性社会を守りたい人々、つまりは名誉男性や、あるいは男性社会でうまく振る舞うことによって利益を得る女性たち、そして男性たち自身によっても、男性社会は維持され、再生産されていく。

ここまで読んで思いませんか?

連帯したい!って。

シスターフッドが世の中にあふれていること、女性たちは本当は連帯できること、世の中に示していきたくないですか?

ミスコンの事件を見て、「やっぱり、『女の敵は女』だなwww」とかせせら笑ってくる奴らに一矢も百矢も報いたくないですか?

連帯しよう。「男社会」をぶっ潰して、キャットファイトなんかアンモナイトみたいな扱いにして、「人間社会」を生きたくない?生きてるうちに人間社会に生きられるようにしたくない?

告発した人に寄り添って、連帯できる空気感を作って、「セクハラしてもいい空気」をぶっ潰そう。私たちのMeTooも、そこからの物語も、全然ここからでも始まるよ。理想は遠いかもしれないけれど、理想を掲げないとたどり着かないと思うから。

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