左利きの私が思うこと

私は生まれてこの方左利きである。
おそらくこういった主張は多くの人がしていることだろう。だが、左利きの私が二十年間過ごしてきて感じたことが幾つかあるので、それらを私なりの文章で綴ってみたいと思う。(大層凄いことのことのように書いているが大したことではない笑)

まず、左利きの割合だが約一割だそう。
その為、当然といえばそうなのだが、この世の中の物は殆どの物が右利きの人が使うことを前提に、右手で使いやすいように作られている。

例えば、駅の改札や自動販売機のお金の投入口の位置、定規の目盛りや銀行などのペンについている紐、ファミレスのスープバーなどで見かけるお玉の尖った部分や急須の取っ手、学校などにある椅子に付いている小さい机の位置など...。
文字の線も左から右に書く(書き順)のは、殆どが右利きでそれに標準を当てて作られたからだといえる。だから、必然的に右手の方が文字が書きやすく綺麗に書けるはずだ。その為、特に毛筆は左手では書きにくくいのである。そもそも、書道教室で初めから右で書くもの(ここでは左手は使ってはいけない)と指導されてきた為、左手で書いた記憶がないので右で慣れているが、今度比較してみたいと思う。
このように、挙げだしたらキリがないほど不便な物で溢れている。

上記の物ついて詳しく解説していく。
改札や自販機は一瞬のことなのでそれほど使いにくさは感じていない。それに、特に改札は切符を通すかICカードをタッチするだけなので右手でも対応出来る。定規の目盛りというのは、線は引くものなので殆どの定規は目盛りが左から始まっている。そうなると、それを左手でそのまま使用すると線を押して書く形になるのだ。その為、左から押して書くことも出来なくないのだが、15cmの方から数えながら引くか引き算して書いている。銀行のボーンペンやカラオケのタッチペンに付いている紐やグルグルが右側に付いているので、突っ張ってとても書きづらい。スープバーや給食のお玉も尖った部分が右側にあるので、私は左手で持ち、やりづらいがそのまま丸い方で入れている。
物的環境ではこのような感じである。

その次に人的環境についてだ。
右利きが殆どな故に、我々左利きは肩身の狭い思いをしており、気を遣う場面が多々存在する。
例えば、一番よくすることとして、横並びで食事をする際、右利きの人と箸を持つ手が当たってしまうので、左端に着席するようにしている。
そして、友人からハサミを貸してと頼まれた時、左利き用のハサミで貸すことが出来なかったり(左利き用だけどそれでも良いか確認を得て貸すこともある)、逆に、友人の持っているハサミが使いづらかったりする(借りる身で贅沢だと言われればそれまでなのだが)。
また、左利きだと言うことを相手が知ると、天才だとか器用だとか羨ましがられることが多く、いつも謙遜しており、そんなやり取りに若干の嫌悪を感じている。
実際、天才でも器用でもなく、不便なのだから笑

というように、我々左利きは数々の不便を抱えて生活しているということだ。
左利きの方は共感する部分が多かったのではないだろうか。
一人一人に不便さの程度はあると思うが、私は二十年間過ごしてきた慣れで当然ともいえるが右で使いやすいそれらを、左手もしくは右手で適応出来ている(している?してしまった?せざるを得ない?)のだ。それが左利きが器用と言われる理由なのだろうか。

現在では、左利きの人の為に左利きに特化した用品が豊富になってきている。その為、そこまで言うほどでもないのだが、もっと左利きに優しい世の中になっていって欲しいと思う。
そのために、不便さを声に上げたり、当事者だからこその不便さをなにか商品開発などに繋げられないものかと感じている。

思っている事をつらつらと述べていったら約1600字の長文になってしまいました笑 
最後まで読んでくださりありがとうございました。

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