緊急事態に臨んで――― 3・11当時の官邸から、今の官邸に伝えたい事


2011年の今日3/11―――突然大震災と共に襲ってきた、福島原発事故。危機は短時間でピーク状態に駆け上がり、首相官邸は、目に見えない放射性物質の拡散と格闘。事故現場の状況を判断するデータが得られぬ中、正解も出口も見えないままに時々刻々の判断を迫られていった。

そして、2020年―――今度はじわじわと襲って来た、新型コロナウィルス。危機は次第に増大してゆく形で始まり、首相官邸は、目に見えないウィルスの拡散と格闘。なかなか検査データが増えぬ中、正解も出口も見えないままに時々刻々の判断を迫られている。

2011年のあの時、たまたま私は官邸の内閣広報室に、期間限定の民間登用で勤務していた。
時には総理執務室という最奥の中枢で修羅場を目撃したその体感・教訓から、今懸命に闘っている現官邸に、いくつか伝えたいことがある。
アドバイスなどという偉そうなものではなく、ただ「あの時はこうだった」と知らせることで、わずかでも今日からのヒントや自戒になるならば。


前編・目次

[A] 意思決定のあり方

1) 強権発動も、非常時にはやむを得ない。だがその魅力・誘惑に絶対負けるな。
2) 異論百出で決まらないときは、トップの決断もたしかに必要。ただし酔うな。
3) 重大決定は、その副作用を最小限にする精一杯の配慮を。
4) トップの独走に対する抑え役の存在は、絶対に必要。
5) トップの決断材料として、十分な現場の声が届く体制を確保せよ。
6) 科学的判断の場合、近くに置く助言者は、「組織が上の人」でなく「知識が上の人」を。
7) 専門家も百家争鳴となる。対策は《大きめに・だが大き過ぎず》。
8) どんな緊急時でも、指示の発出には理由説明を省いてはいけない。

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【A】 意思決定のあり方

1) 強権発動も、非常時にはやむを得ない。だがその魅力・誘惑に絶対負けるな。

【2011では】

*原子力緊急事態宣言を事故当日のうちに発し、その後、周辺住民への避難指示でピーク時には16万人の方々に日常生活の場から離れていただいた。(宣言は今なお解除されておらず、数万人の方々の避難生活もまだ続いている。)

*それ以外にも例えばーーー原発事故発生の翌々日夜、東電が「今晩告知→翌早朝実施」で計画停電を始めようとしていることを知った枝野官房長官は、生命維持関係の装置の利用者らがそれを知らずに死亡する事態を懸念。「国民に周知する時間を取るため、数時間だけ停電開始を遅らせられないか」と東電に打診した。東電側がこれを渋ると、「これで死者が出たら、東電を殺人罪で告発もあり得る」と言う強烈な言葉で揺さぶって、従わせた。

 法的にはこれは強権発動したわけではないが、事実上、一民間企業にイヤとは言わせない形。おかげで周知時間は確保され、結果オーライとなった。普段の官房長官の流儀とは違う例外的ケースではあったが、間近で見聞した私は「官邸が本気を出すと、制度以上の事ができるのだな」と、その威力と乱用した時の怖さを実感した。

【2020では】

 今回も水面下でこうしたやり取りが既にどの程度行われているのかは知らないが、法改正で緊急事態宣言等の権限が付与されれば、強権発動へのハードルは公然と下がる。手っ取り早く意向を実現する方法として首相サイドにとっては極めて魅力的であるだけに、《どうしてもそれが必要かの内部検討&外部チェックはとことん慎重に》


2) 異論百出で決まらないときは、トップの決断もたしかに必要。ただし酔うな。

【2011では】

 菅首相による突然の決断が最も物議を醸したのは、浜岡原発の停止要請。総理執務室では「影響が大きいので、関係各方面と調整してから要請会見を」という慎重論と、「調整なんか試みたら異論続出で実行不能になる。唐突と非難されるのを覚悟の上で、今すぐ要請会見を」という積極論が衝突。
 膠着状態を打開するため、結局首相の決断で後者が選ばれ、その1時間余り後に緊急首相会見で停止要請発表となった。英断と称賛する声もあったが、当然各方面から轟々たる非難も寄せられた。

【2020では】

 2月末の全国一斉休校要請の安倍首相会見は、上記と酷似している。あの唐突さの背後には、官邸として上記のような膠着状況に陥らないため…という判断もあったのかもしれない。
 しかし、2011のことを思い出しても、そうした決断は「これしか無かったんだ、これは判断ミスではないのだ」という強い自己肯定感を伴うので、批判されればされるほど、逆にその批判内容が心に届きにくくなる恐れがある。
 (一斉休校自体の是非論はさておき)、今後もそのような局面はまた来るかもしれないので、“リーダーの孤独”への《一種の陶酔に陥らぬよう、要注意》


3) 重大決定は、その副作用を最小限にする精一杯の配慮を。

【2011では】

 例えば上記の、浜岡原発停止要請の時。経産省が用意してきた会見原稿の文案には、“これは例外的な措置で、他の原発は止めない”という彼らが望むニュアンスが色濃く盛り込まれていた。
 しかし、1時間後の首相会見に向け、官邸サイドは大幅にこれを書き換え。一律に他の原発の「存続」や「全廃」といった誘導につながる伏線的表現は一切入れず、ただ浜岡を停止する必要性について説明するのみの文面にした。

【2020では】

*小中学校一斉休講要請では、各校・各自治体の個別事情に応じた自主判断の余地を認める言葉が、最初の会見では薄かった(後付けされた)。このため、「要請」と言いつつも「命令」に近い受け止め方をほとんどの学校がしてしまい、「保護者の困惑」や「子ども達が心待ちにしていた行事の強制中止」といった混乱・悲劇が、各地で大量発生した。(わずかな独自の工夫で、影響を軽減する余地はあったのに!)
 この痛い反応が「狙い通りでニンマリ」だったのか「想定以上でアチャ〜」だったのか、官邸の胸中は知らないが、いずれにせよ今後の同様の局面では、《劇薬を処方する時は、薬効の最大化だけでなく副作用の最小化にも更なる意識を》!

*副作用最小化の一つの方策は、統一性を求めつつも《現場対応ができる余地》を残せるものなら残すこと。「津波てんでんこ」という言葉は、「目の前の津波から生き残るには、一律の行動を取らず個々人の判断で動け」という警句だが、これは他の有事にも通じる。社会の打撃を最小化することを求めての柔軟な「コロナてんでんこ」であるならば、《「不ぞろい」「足並みの乱れ」といった決まり文句で批判されることを恐れるな》


4) トップの独走に対する抑え役の存在は、絶対に必要。

【2011では】

 早くも3·11当日夕方の私の記録ノートに、「○K(菅直人の略号)に冷却水が必要」と言う総理執務室での走り書きが残っている。非常時こそ首相の下に一致結束しつつも、いざと言う時は取り巻きがリーダーを落ち着かせねば、という責任感のような意識が、首相周辺に明確に存在した。

【2020では】

 当時の官邸よりもトップの求心力がかなり高そうなのは良い反面、忖度や遠慮が発生しないよう相当な注意が必要。ウィルス本体の対策と同様に、総理執務室を組織論的にも《換気の悪い閉鎖された空間》にしないことが、絶対的に重要。


5) トップの決断材料として、十分な現場の声が届く体制を確保せよ。

【2011では】

 福島第一原発の現場で何が起きているのかの情報が、残念ながら東電本社経由では本当に総理執務室に満足に届かず、間近で見ていた私も愕然とした。判断材料が入らず危機感を抱いた首相は、事故発生の翌日早朝、まだベントも成功せず圧力が高まり続けている極めて危険な状態の現地に、直接ヘリコプターで乗り込み現況を確認することを決断。この強行によって、現場で起きている事をようやく官邸が把握できた効果は非常に大きかったと、同行した私も心底思った。しかし当然、吉田所長を始めとする第一原発の現場にとっては(短時間とは言え)極めて邪魔な来訪者となってしまった。

【2020では】

 首相は現場に出向いて迷惑がられるような行動は控えているが、代わりにきちんと様々な《現場のリアルなニーズの声が届いているのか、自分たちで不断のチェック》が必要。


6) 科学的判断の場合、近くに置く助言者は「組織が上の人」でなく「知識が上の人」を。

【2011では】

 原発暴走の状況が刻々と変わるので、即時に対応を判断できるよう、総理執務室には基本的に常時、東京電力と原子力安全委員会と保安院から1人ずつトップクラスが常駐していた。しかし残念ながらこの3人が本当に何を聞いても明確に答えられない人たちで、疑問に思った首相が保安院長に「あなたは原子力の専門家なのか」と尋ねると、「私は東大経済学部の出身です」と言う答えが返ってきて、唖然とした。緊急事態下で専門外の人間に国家の命運が掛かる答えを求めていたわけで、ご本人にも地獄だし、日本社会としても大悲劇だった。

【2020では】

 内閣官房の危機管理担当部門に、感染症対策に精通した人間はいるのだろうか。逆に、同じ内閣官房にある「国際感染症対策調整室」などは、危機対応できる胆力のある人員が用意されているのだろうか。チャーター機の帰国者やクルーズ船の対応時のように、専門性の不十分な者が現場に行かざるを得ない状況は、今後も続くのか。
 そうした体制が整備されていないのなら、「誰も行かないよりはマシ」だから当面出動せざるをえないが、その“エラい人”たちが現場でミスリードをしないよう、ぜひ心して、《判断時には“組織よりも知識”をリスペクトする姿勢》の共有を!


7) 専門家も百家争鳴となる。対策は《大きめに・だが大き過ぎず》。

【2011では】

 例えば、原発周辺の住民が避難すべき範囲について、専門家らの様々な進言に対し、官邸は「後で大げさだったと批判されてもいいから」という方針で範囲の数字を決定していった。だが当然、これほどの規模になると「避難指示を出すことで人が死ぬ」=例えば避難行動によって、無理に動かした入院患者が死亡するので(実際に続発)、無用な犠牲者を増やさないためにはただ「避難範囲は広ければ広いほど良い」と言う単純な判断はできない。何がベストかの確証が誰にもわからないまま、目隠しで手探りするような判断が続いた。

【2020では】

 放射性物質の拡散の仕方は、人の動きとは無関係に、放出量や風向きなどで決まる。政策的に人間をどう動かすか(避難や屋内退避など)で、拡散具合が変わることはない。だから、例えばもし東日本全員の避難を指示していたら、「この事故でこの判断は、過大だ」と非難され得る。
 これに対しウィルスの拡散の仕方は、政策的に人間をどう動かすか(隔離や外出規制など)で、大きく変わる。だから、かなり大胆な規制をかけても、「判断が過大だ」という批判に対し「これだけの措置をしたからこの程度の拡散規模で済んだのだ」と堂々反論できる。
 それだけに、大きすぎる判断を抑制するブレーキは、2011に比べて心理的に働きにくくなる。そのことを政策決定者は意識し、《必要以上のダメージを社会に与えぬよう慎重に判断》を。


8) どんな緊急時でも、指示の発出には理由説明を省いてはいけない。

【2011では】

 避難範囲をはじめ刻々の判断を発表するときに、「他にはどんな選択肢があり、なぜその中からこれを選んだのか」十分な説明をする余裕がなく、後々まで政府不信の元凶となった。
 しかし、「震災対応用と原発対応用と普段の政務用の3つ、政府が欲しい!」(某・官邸スタッフ)と言う過酷な状況の中で、記録・広報要員の援軍はどこにも求めることができず、会議の議事録をつける人さえ確保できない状況が続いて、大きな禍根を残した。

【2020では】

 上記の反省から前政権下で制度化された「歴史的緊急事態」指定(会議の議事録作成や資料の保存を通常よりも徹底して義務付けるルール)を、初めて実行へ。過去の教訓を活かす姿勢は評価できるが、どうか文章に後から手を加えたり、初めから書き方を手加減したりせず、《ありのままを厳密に残すと言う当たり前の作業を》ぜひ忠実に実行してほしい。

―――以下、明日以降に続く。


【中&後編・目次】


[A] 意思決定のあり方
9) 不都合でも隠すな/不確かなら流すな!
10) 泥縄、場当たりの避難を恐れず、臨機応変な政策更新を。
11) 他にも政務があるのはわかるが、必要なときには思い切って時間を割くべし。
12) 権力者としての分をわきまえ、メディアの批判に真正面から反論するな。
13) 各部署が指示を待たず、先回りで最悪に備えよ。

[B] 情報の伝え方
14) 伝わる言葉を使え!
15) 平時と有事用の情報伝達ルートを、フル活用。
16) 国民への直接情報伝達ルートを、新旧多彩に展開せよ。
17) ポジティブ情報の発信も意識的に。
18) 他の現象との対比は効果的に、慎重に。
19) 先進的 ITユーザや技術の取り込みを。

[C] 腹の決め方
20) 「お前が悪い」は後に回し、ひたすら協力体制を。
21) 情勢が落ち着いてからの“普段化”も、頭の片隅に。

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