見出し画像

火砕流から30年の、サバイバーズ・ギルト

「今までの所とはだいぶ違……アッ今、手前に、我々のいる所まで猛烈に火砕流が迫って来ています! これ危ない、逃げよう逃げよう! ダメだよ逃げなきゃ、来るよ、来る来る来る‼︎ 逃げなきゃダメ、早く早く! 来るよ‼︎ 来た来た来た、火砕流来たよー! 逃げろォーー!!

半分裏返ったような僕の叫び声が、先週木曜夜、久々にTBSの画面から流れた。
43人の犠牲者を出した「雲仙・普賢岳の大火砕流から30年」を報じる、『ニュース23』の特集。最大時速100キロ以上で自分に向かって突進してくる灰色の巨大なカリフラワーのような塊に、はっきりと死を意識した瞬間だった。

映画が客席に飛び出て来た衝撃


僕らが立っている平らな麓(フモト)の向こうにそびえ立つ普賢岳では、その10日ほど前から小規模な火砕流が時々流れ下るようになっていた。それは僕ら報道陣の構える位置からは、映画のスクリーンの中での[上から下への動き]という垂直移動型の見え方だった。

そしてーーーちょうど30年前の、6月3日。僕らTBS『ビッグモーニング』取材クルー(リポーターの僕と、ディレクター、カメラマン、音声係、運転手さんの5人チーム)は、普段カメラ三脚を据えている定位置より少しだけ山に近い方に行ってみることにして、たまたま合流予定時刻に遅れていたメンバーの1人の到着を待っていた。

そんな我々の横を、地元の消防団らしき男性2人の乗った軽トラックが、ゆっくり通り抜けて行く。「何かありましたか?」と一応声をかける僕に、車内から1人の方が

「ただの(定時の)交代です」

と のどかな口調で答えてくれ、そのまま軽トラは山の方へと走り去って行った。

そして、午後4時8分。突然、異変は起きた。それまでよりも相当勢いのある火砕流が山腹を流れ下って来たので、僕は急いで実況リポートを喋り始めた。すると、山裾まで到達したその先端が、そのまま止まらず平地を僕らの方に向かって突進して来たのだ。ずっと垂直移動に見えていた現象が、いきなり[向こうからこちらへ]の水平移動に豹変した! 映画がスクリーンを飛び出して客席に襲いかかって来たような、そんな有り得ない事が起きた衝撃だった。

反応する人、しない人。 30年前も、そして今も。


ついさっき、あの軽トラックが入って行った先も、クルー仲間が定刻に合流していればこの僕も現に行っていたはずの地点も、そして今まさに報道陣や消防団が展開している一帯も、みるみるカリフラワーの怪物の下敷きになっていく。飲み込まれてゆく人の姿までは見えないけれど、火砕流について多少は勉強していた僕は、この灼熱の突進に追いつかれることが何を意味するかを知っていた。

だから、必死で冒頭の言葉を叫んだ。視聴者に向かってのレポートではなく、クルーの仲間や、周囲に点在していた他メディアの人達に向かって。

スクリーンショット 2021-06-05 23.18.38

その上ずった声にはこのように字幕が付けられ、この日から何度もニュースの中で消費された。プロとして冷静なリポートが任務だった僕としては、こんな取り乱した言葉を日本中に晒されることは恥以外の何物でもなかった。だがそれ以上にショックだったのは、それを叫んでいる瞬間の、周囲の反応の鈍さだった。

さらに山に近く危機が差し迫った地点では状況は違ったのだろうが、少なくとも僕がいた辺りでは、わがクルーのカメラマンも微動だにせず三脚で迫り来る巨大カリフラワーを撮り続けたし、視野に入った他の数人の同業者にも「逃げろ!」は完全に聞き流された。皆、尋常ではない事態が目の前で起きていることは理解していたが、それゆえに一段と仕事モードに入ってしまい、避難モードに切り替わらなかったのだ。

自分は大丈夫と根拠なく信じる《正常性バイアス》の強固さ、恐るべし。あの時の「こいつ、何を1人で大げさにびびってるんだ」という周囲の冷ややかな表情は、あの日僕が見た最大の恐怖画像だったかもしれない。

***[ここから少しだけ脱線]***
あの ほんの数ヶ月前まで、いくら「こんな景気は破綻する!」と警告されても無視して土地やら株やらを買いあさりバブルを膨らまし続けていた私達。3・11当日まで、「原発事故は起きる!」と主張する運動家を非科学的な変人という目で見ていた私達。そして今、いくらコロナへの警戒続行を要請されても、つい気が緩んでしまう人達。社会の分断・破局を避けるため「大至急メディアリテラシー教育の強化を!」と唱えられても、なかなかピンと来ない人達。
何か《警鐘を鳴らす人 vs 冷ややかな世間》という構図を見るたびに、今も僕はあの火砕流の時の周囲の視線をありありと思い出してしまう。あれは30年前の光景ではなく、本日ただ今のこの社会の姿なのだと。
***[失礼しました、本題に戻ります]***

本体の突進は止まったけれど

スクリーンショット 2021-06-07 15.52.28

辛うじて、大火砕流は僕らの少し手前で突進を止めてくれた。数日後にざっくり試算したところでは、あの怪物が仮に時速100キロであと十数秒 突っ走っていたら、僕らはアウトという位置だった。

最後まで動じずにあの映像を撮り続けたカメラマンは、とても真面目でいいヤツなのだが、

「自分の所まであの煙が来たら、すぐ横のワゴン車の中に入ればいいと思ってた」

と後に述懐している。いや、砂ボコリじゃないんだから……僕は、予習していた火砕流の恐ろしさを「みんな知ってるだろう」と思い込んでクルー仲間にあらためて確認共有していなかったことを、猛省した。(現地にいたどのメディアも、危機感の甘さは似たり寄ったりだったのだろう。それが、[犠牲者の中で一番多かったのが報道陣]というあの結果を招いたのだから。)

とにかくその地点からは撤退を決めて、街の方に避難して行きながら、僕らは時々停車して、ワゴン車の屋根の上によじ登っては短い状況レポートを繰り返した。
地表での突進は止まったものの、火砕流から立ち上った 手で触ったら固そうなほど濃い黒煙は、アッという間に全天を覆っていく。みるみる辺りは暗くなっていき、世界が灰色に染まり、言いようのない不気味な不安感に包まれた。

「もうどの車も、ヘッドライトをつけています!
 ヘッドライトをつけないと、全く走れません!」

スクリーンショット 2021-06-07 14.46.27

そこまでしゃべったあと僕は、しばし絶句してうつむいてしまった。降り注ぐ火山灰が、絶え間なく目の中にも飛び込んで来て、開けていられない。

軽トラックの荷台には


なんとかリポートを撮り終え、その場で口の中や喉の奥に張り付いた火山灰を取り除こうと、持っていたお茶でうがいをしようとした時だった。つい普段通りに上を向いて(目は閉じていたくせに口までは意識が及ばず)ガラガラ…と大きく口を開けた途端、大量の火山灰が天から殺到して来て、瞬時に口の中が灰で一杯になり、あまりの驚きと窒息しそうな苦しさに、一瞬パニックになった。火山から吹き出た灰が、自分の体の中に入ってきた衝撃。これしきの事でこんなに苦しいのに、火砕流本体の熱に身を包まれ絶命した43人の方達は、どんなに苦しかったろうか。

もちろん、大混乱の只中にあったこの時点では、まだ犠牲者が出たという公式確定情報は、僕らの所には届いていない。しかし、事態は容赦なかった。

かなり山から遠ざかり、何度目かの状況リポートに備えて僕がワゴン車の屋根の上に再び登った時、山の方からかなりのスピードで走ってきた軽トラックが、我々の横をすり抜けていった。
その荷台には、真っ黒い人の形をしたものが積まれていた。

一瞬の目撃で、焦げていたのか、灰まみれだったのかはわからない。火砕流の直前に「ただの交代です」という言葉を残して山に向かって行った、あの軽トラかどうかもわからない。ただ、荷台の人の形だけがくっきりとーーそれ以上は文字にできないーー恐ろしくリアルに、まぶたに焼き付いた。

とにかく、最悪のことが起きてしまった。続々と山の方から逃げて来る車列の脇で懸命にリポートをしながら、ただそれだけは理解した。

スクリーンショット 2021-06-07 15.37.43

逃げる時間はある、という通説


先週木曜の『ニュース23』は、同日夕方に地元NBC(長崎放送)でオンエアされた特集の要約版だった。NBCでは、当時の下村リポートの映像を最新技術で鮮明化し直し、現場にいた僕でさえ気づかなかった噴煙の中の稲光(火山雷)などを新たに発見していた。ーーーそして後半では、あの時 犠牲になった地元消防団員・山下日出雄さんのご家族のその後をたどった。

「本当は救えた命だったんじゃないかなと思うし、どうして犠牲にならなくちゃいけなかったのかというのが、見えてないところもたくさんあると思うんですよね。」

という、妻 睦江さんの言葉。《どうして犠牲にならなくちゃいけなかったのか》が、30年たっても見えていないという重い問いかけ。この突きつけに揺さぶられ、僕はもう一度、あの時の取材ノートを読み返した。

ーーー大づかみに言えば、当時 言われていたのは、

*(フランスの火山学者が犠牲者の中に含まれていたことに象徴されるように) 専門家も予測しきれない現象だったこと

*それにしても、警戒態勢の取り方(特に報道陣の取材体制)に甘さがあったこと

だった。しかし、本当に予測はできなかったのか? 僕の取材ノートには、大火砕流発生13日前に書いたこんなメモが残っていた。

スクリーンショット 2021-06-07 15.46.07

冒頭にある通り、「普賢岳の溶岩は粘性が高い(ドロッとした)タイプでゆっくり流れ下るから、避難には余裕がある」。これが、前年秋に噴火活動が始まった時からの、最も基本的な共通理解だった。専門家もメディアも地元住民も皆そう信じていたし、確かに《溶岩の性質に限って言えば》その説明は間違っていなかった。この日の長崎県防災会議による今後の想定4ケースの中にも、上記のメモの通り、猛スピードで流れ下る火砕流災害については、触れられていない。ただ ーーー

溶岩ドームが与えた“仮説”


この防災会議の前日に山頂付近に忽然と現れた「溶岩ドーム」という新現象には、専門家もメディアも当然 着目はしていた。まさにドロッとしているからこそ、火口から出現した溶岩は流下せずその場ですぐ固まって、山頂付近にドーム状に留まったままジワジワと体積を増して行った。

溶岩ドーム出現から3日目。その様子を観察しようと、僕はヘリコプターで山頂に横から慎重に接近した。その5年前の伊豆大島三原山大噴火の時、かなり高度を保って乗っていた自分のヘリコプターの腹の部分に、噴き上がってきた小さな噴石(と思われる物)がコンッと当たった音がして肝を冷やしたことがあったので、決して火口の上付近には行かず、横からこわごわと。

近くで見た溶岩ドームに、僕は息を呑んだ。つい数日前まで影も形も無かった巨岩がそこにあるという、超常現象を見るような不気味さ。見た目は岩なのに、巨大な生き物が黙ってうずくまっている、いつ目覚めるかわからないような恐ろしさ。狭い山頂にかろうじて乗っかっているような、危なっかしさ。そして眼下の ふもとに広がる、無傷な人里。

これは皆に知らせなければ、大変な事になるかもしれない。僕はヘリの中のモニター画面で、カメラがドームを捉えているのを確認しながら、録画用のリポートを吹き込んだ。

「普賢岳の溶岩は流れがゆっくりなので避難には時間があると言われていますが、このように固まってしまったら、岩状になった溶岩の塊が速いスピードでどこまで転げ落ちるかが、新たな問題になってきそうです。」(要旨)

ーーーそれまでほとんど言われていなかった新たな危険性を仮説として提起したこのリポートは、翌朝(5/23)の『ビッグモーニング』で全国放送されたが、残念ながらあまり重視される事はなかった。

そして自分も、活かさなかった。


この放送の翌日。仮説は現実のものとなり、第1号の小規模火砕流が山肌を少し駆け下った。それが発表された時点で、おそらく僕は初めてこれが「火砕流」と名付けられている現象であることを認識したのだと思う。(聞いたことぐらいはあっただろうが、今回の普賢岳の仕事とは結びつけていなかった。) そして、取材ノートに専用のページを用意した。

スクリーンショット 2021-06-07 15.50.02

かの有名な古代ローマの都市ポンペイ壊滅の悲劇も、被害の主因の1つは火砕流だったのか。こんな事も知らなかった。夜、島原の宿で勉強しながらそんな知識を1つ1つ頭に入れ、僕は肥大化する溶岩ドームへの警戒感を高めていったーーーつもりだった。けれど、それは何の役にも立たぬまま…いや“立たせぬまま”、6月3日の惨事はやって来た。

「テレビがいたずらに不安を煽るな」と言われようとも、もっと繰り返し危ない危ないと報じるべきだった。せめてメディアの同業者には、何とか認識を共有してもらうべきだった。それに、同じ危機感を抱いていた専門家や報道人は絶対に点々といたはずだから、なんとか見つけ出して連携し、意識を形にするべきだった。

しかしそれら全ての反省以前に、僕にとって最大のショックは、もしあの時クルーの1人が遅れていなかったら、この自分もポンペイの悲劇を知りながら火砕流に飲まれていた、ということだ。結局自分が一番、《正常性バイアス》にとらわれていたんじゃないか!

ーーー「どうして犠牲にならなくちゃいけなかったのか」と言う、山下郁子さんの問いかけ。その少なくとも1つの答えは、「危ないと思った者が打ち鳴らす警鐘の音が小さかったから」だ、と言わざるを得ない。
取り返しがつかない申し訳なさと自戒を込めて、この教訓を30年後の今に伝えたい。


[追記] たとえまた、床が焦げ始めても


この日から、5年ぐらいだろうか。僕は時折、同じパターンの夢を見た。ありふれた日常生活のシーンで、ストーリーと何の関係もなく唐突に、今いる部屋の床や地面が音もなく黒く焦げ始める。「え、何、何?」とうろたえているうちに、ドーン!と床を突き破ってカリフラワーのような灰色の煙が吹き出して、大慌てで逃げ惑う。

毎回、そのショックで目が覚める。せいぜい月に1〜2回程度だし、別に昼間メンタルがしんどいわけでもないのだが、あーこれは軽いPTSDってやつなのかな、この夢とは一生付き合っていくのかな……と、思っていた。

しかし、ふと気づいてみると、いつの間にか僕はその夢を全く見なくなっていた。それ自体は結構なことのはずなのに、僕はなんだか自分の心の奥深い所まで、あの出来事への忘却が進んでしまった証のように感じ、逆にそれが怖くなった。

だから。先週の30年報道にインタビュー出演という形ででも関われた事は、自分には大切なことだったんだと思う。鮮明化された火砕流の映像を初めて見て、たとえ今後またあの悪夢が多少再発したとしても、あの出来事はやっぱり忘れちゃいかんのだから、絶対に。

この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?
気軽にクリエイターの支援と、記事のオススメができます!
◆報道現場25年。「筑紫哲也NEWS23」「サタデーずばッと」等で取材キャスター ◆民間任用で内閣審議官。民主&自民の3政権で、首相官邸の広報を担当 ◆東大・慶応大・関西大などの教壇を経て、白鴎大特任教授 ◆令和メディア研究所主宰、「インターネットメディア協会」リテラシー担当理事