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ねーのこと

フォローしている社会学者さんのXで子供の頃に飼っていた猫について申し訳ないという思いしかないという意味の記述を見た。
それを読んで自分が初めて飼った猫「ねー」を思い出した。彼女は初めて飼った猫であり、本当にかわいかったけど、はやいうちに(今うちにいる甘えん坊より若いうちに)虹の橋を渡らせてしまったことに本当に後悔している。私が死んだ後も彼女にはきっと会えないだろう。

「ねー」がうちに来たのは私が高1の時だった。かわいいかわいいとうちの猫にしたけど、当時は室内飼いなどという考えはなく、寝る時は家の中、あとは好き勝手に外にいかせていた。そして雌だったので当然子猫を産んでしまい、貰い手を探すのに走り回った。父は「動物に金をかけるなんてw」な人だったので当然協力は得られなかった。
しかし成熟した雌猫は毎年のように子猫を産む。なんとか貰い手を見つけてもこれはエンドレス。猫を回収して不妊手術をしてくれる獣医を母が見つけ出し、依頼して「ねー」を引き取ってもらったのは彼女が6歳か7歳のころだったか。
回収時にケージに入れられた時の「ねー」の声は今でも耳から離れない。今まで聞いたことのない、「なに?」「どうして?」と言いたいような不安に満ちたなきごえだった。
そして手術が終わった頃に電話をかけたところ「食べてくれないんです」に不安を感じ、病院に行った時に見たのは「ねー」の遺体だった。
そのあとはよく覚えていない。泣きながら家に着いたら父から「死んじゃったんだってな」と言われて号泣して一晩中泣き明かし、翌日は目が開かなかったのは覚えている。

身の丈に合わない進学校に入ってしまい&合わない担任のもとで苦しんでいた自分を「ねー」はそばにいるだけで助けてくれた。それを飼い主の無知のためにあんな短い猫生で終わらせてしまった私は一生許されないだろう。ほんとうに、ごめん。

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