焦ることなく綴る日々の細事。 戻ることのできない水の流れのように ちっぽけな今日のささやかな瞬間を。 今の楽しみは美しいもの、かわいいものを探すこと。 今年こそは、和菓子の水無月を見つけて食べることができるでしょうか。
調子づいてきて、次の本を手に取った。 ジョージ・オーウェルの「一九八四年〔新訳版〕」 (ハヤカワepi文庫)は、8月下旬に買って音読の順番待ちの列に入れていた。 ルビもたくさんついていて読みやすい。 音読の授業があるならば、教科書として使いたいと思った。
10代半ば、誘われて入部した文芸部で何か書くようにと言われ、『生きた死人は渇きを覚えて』というタイトルの短編を書こうとした。 原稿用紙2、3枚にしかなってないけど、部誌に載せてもらって、それが最後の部活動になった。 『狂気の山脈にて クトゥル一神話傑作選』(新潮文庫)を少し音読してみて、あのころ書こうとしていた世界とそっくりだと思った。 (小学生の頃はXファイルが好きで、角川ホラー文庫の『黒魔術白魔術』とか読んでいた。)
小説を読むのも上達した。 会話の部分は緩急をつけて、地の文は少しゆっくり淡々と読む。 ドキュメント72時間の鈴木杏さんのナレーションをイメージしたらうまくいった。
毎日ちょっとずつの音読を続けているのだが、少し単調さを感じ始めてきた。 「現代アメリカ文学を読むぞ」という意気込みが、やや強すぎたのかも。 なので、「思考の整理学」外山滋比古(とやま しげひこ)さんのエッセーを間に挟んでみることにした。 エッセーって、びっくりするくらい読みやすいというか、ゴクゴク飲める。 驚いたね。
今朝方のまどろみの中で見た夢が怖かった。 夜の病院の緑の光 暗くなったみかん山ですれ違った人 古めかしい保養所の廊下 前日に合わせて20ページほど音読した。 『マッカラーズ短篇集』 『舞踏会へ向かう三人の農夫』 『一九八四年』 混ざり合った物語によって夢が複雑になるのかもしれない。 坂や階段、建物のザラザラした壁、夜のひんやりした空気、人の声、足音まで鮮明だった。
誰かに読んでもらうために書く仕事と、誰も読まないけれど残す日記と、何も言葉として残さない瞬間とがあるならば、日記くらいがちょうどよい。
不思議なことに、いつの間にか、どっちでもよくなったことがある。 男女という性別、かわいい・かわいくないの境目、おもしろい・おもしろくないの判断も。 気づいたときにはあらゆる属性が分類できなくなっていて、判別できるのは「白くて細っこい猫」レベル。 性別や年齢、趣味嗜好、所属グループ、家族という情報への関心がほとんどなくなっていた。 「それってあなたが永遠に選ばれない側ってことじゃない?だから分けるのをやめたんじゃないの」そう言われそうな気がするし、確かにそう言えると思う。
傘の持ち手や歯磨きセットなど、自分の持ち物にマスキングテープを巻くことがある。 リップクリームに巻いてみたら、落とすことが少なくなった。 少しザラザラして、ちょうどよい滑り止めになったみたいだ。 意外に使える、マスキングテープ。
『ドラえもん のび太の創世日記』(1995年) のび太がドラえもんのひみつ道具を使って夏休みの観察日記をつけるという話。 『映画ドラえもん』なのでアサガオの観察日記ではなく、惑星の誕生から生命の進化までを観察するというスケールのデカさ。 小学生の時からシジュウマエの今も『創世日記』を引きずっている節がある。 どのへんが衝撃的だったかというと、それは、のび太が『神様』になっちゃうところ。 「のび太は小学生なのに、危なくないんかい」とちょっとハラハラしたり、怖くなったり、と
一度だけ勉強に成功したことがある。 学生時代は勉強してこなかったのに 社会人になって何年も過ぎたころ、通信制の専門学校で勉強をした。 薦められて受験した模擬試験であまりに点数が取れなくてびっくりした。 そのとき初めて、学校の先生に申し訳なく思った。 『たとえ合格できないにしても、「ちゃんと勉強しましたよ」という点数を取らねば。』 試験まで時間はなかったが、やるしかなかった。
映画館で真っ黒なスクリーンを見つめる。 音楽とスタッフロールが流れるとき、人生の終わりのようだなと思う。 坂本龍一さんの『out of noise』というアルバムに『hwit』というタイトルの作品がある。 聴くと涙が出る。 灰色の空のようだ。 雨に色はないのに、緑は濃くなっていく。
夏が怖くなった話。 むかし、夏休みは最高だった。 涼しい部屋でアイスを食べて マンガを読んだり、ゲームをしたり 永遠に続いてほしいと願った日々。 だが、いまの夏は暑い。 怖いほど暑い。 日中、仕事に行くのは 職場のエアコンで涼みたいから。 半ば本気でそう考えてしまう。 エアコンを使っていても、涼しくならないこともある。 もちろん、間違えて『暖房』を押したわけではない。 6月半ばのある日、 『冷房』の設定温度が28度だった部屋で昼寝をしたら、熱中症になりかけた。
体に痛みが出て、眠れなかった話。 原因ははっきり分からなかったけれど、だんだん体が痛くなって 手洗いするときの前屈みの姿勢も 座ったり、階段の上り下りも、仰向けで寝るのもつらかった。 何とか2日間で回復した。 次に同じことが起きたら、治らないとしたら。 家族が病気になったら、介護が必要になったら。 食べるものがなくなったら、仕事がなくなったら。 冷静でいられるだろうか。 いや、冷静ではいられない。
人生の折り返し地点はどこか。 いつまでも若いままではいられない。 分かっていたが、もしかして、そろそろ、人生の折り返し地点かもしれない。 これまで何に時間を使ってきたのか。 何を大事にしてきたのか。 今からでは遅いかもしれないけれど、 これからは少しだけ、いろんな気持ちを大事にしたい。 自分だけじゃなくて、いろんなことを考えたい。 世界が少し広がりますように。 新しい出会いがありますように。