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現代語訳「仙境異聞」(平田篤胤著)

せっかくノートのアカウントを作ったので、
試しに投稿してみます。
内容は下記のブログと同じです。

平田篤胤さんの「仙境異聞」の現代語訳。
【参考】「仙境異聞 勝五郎再生記聞」
平田篤胤著 子安宣邦校注 岩波文庫(9頁ー13頁)
出版社の出してる現代語訳は見ていないので、
解釈違いもあるかと思います。
素人が好きに読んでるのでご容赦ください。

朗読しています。

上巻 一の巻① ”神誘い”にあった子ども

篤胤、屋代翁と美成の家に向かう

文政3年(1820年)、10月1日、夕方4時だった。
屋代輪池(62歳)さんが来て、
「山崎美成(24歳)のところに、天狗に誘われて、
長年、そのお使いをしていた子どもが来ています。
その子が“彼の境”で見聞きしたことを語るのを聞くと、
先生が以前から考えて記録している説などと
一致することが多いのです。
私はこれから美成のところへ行って、
その子どもに会おうと思います。
一緒に行きませんか」と言う。
私も常に、
「そういった者に実際に会って問いただしてみたい」
と思うことがたくさんあったので、
その申し出がとてもうれしく、
その時、家には伴信友(41歳)が来ていたのだが、
「すぐに帰るから」と言って、一緒に出かけた。
 
美成は長崎屋新兵衛という薬屋の生まれで、
以前は私のもとで学び、
さらに高田(小山田)与清に学び、
今は屋代さんの門下に入っている、広く読書を好む男である。
家は下谷長者町にあり、
私が住む湯島天神の男坂下より7、8町、(約700~800㍍)
屋代翁の家とは4、5町(400~500㍍)離れていた。

さて途中で屋代さんに私は言った。
「“神誘い”にあった者は、言うことがおぼろげで、
確かではありません。
とりわけ“彼の境”のことは秘密にしてはっきりと言わないものです。
その子どもはどうでしょう。」と。
屋代さんは
「世に聞くたいていの“神誘い”にあったものはそうですが、
その子どもは、包み隠さず語るそうですよ。
既に蜷川家に行ったときには、
遠い西の果ての国々にも行き、
迦陵頻伽(かりょうびんが:
上半身が人で、下半身が鳥の仏教における想像上の生物。
その声は非常に美しく、仏の声を形容するのに用いられる。)
さえ見たといって、
その声を真似てみんなに聞かせたと、
美成が言っていました。
最近も、ある所で神誘いにあった者が、
秘密にせずに話すというから、
昔は“彼の境”のことが世の中に漏れることは
禁忌だったようですが、
近頃は隠さなくなったように思いますね」
と言い、
「先生、よく質問して、忘れずに記録してくださいよ」
そう何度も言うので、私もそれに同意し、
また心に思い浮かんだことは、
「この世の考え方も変わったきたのだろう。
昔は秘密にしていた書物や物事も、
今は世の中に知られるものが多くなった。
知ることが難しかった神話の時代の事も、
隅々まで次々と明らかになってきている。
外国の事や、もの、いろいろな器なども、
年月が経って、世に知られることになっている。
そのことを思うと、これは全部、神の御心であり、
彼の境のことも、聞いて知られるべきだと、
そういう時のめぐりあわせがきているのだな」
そんなことを思い続けていると、
間もなく美成の家に着いた。

篤胤、三白眼の子どもと会う

ちょうど美成がいて、その子どもを呼び出し、
屋代さんと私に会わせてくれた。
子どもは私と屋代さんの顔をつくづくと見つめて、
お辞儀をしようともしないので、
美成が「お辞儀をしなさい」と言うと、
とてもぶかっこうなお辞儀をした。

醜くはない、普通の子どもに見えた。
年は15歳だと言うが、13歳くらいに見える。
目は人相見にある、下三白、三白眼で、
普通よりも大きく「眼光人を射る」といった、
人を威圧するようなするどい目、光があり、
顔つきは普通と違っていた。

私は医者でもあるので、彼の脈と腹を診察してみた。
下腹部はかたくて力があり、
手首の脈はとても細く、6~7歳の子どもの脈に似ていた。

彼は下谷七軒町の越中屋与惣次郎という者の次男。
名を「寅吉」と言った。
それは彼が文化三年、1806年12月31日、
朝四時の生まれで、それが寅年、虎の日、寅の刻だったから
寅吉と名付けられたのだという。
父親は今から三年前に亡くなっている。
その後は、寅吉の兄、今年18歳になる壮吉が、
小さな商売をして、母親と弟妹を養い、
細々と生計をたてているそうだ。

寅吉の両親と兄のことは、寅吉に会ったあと、
私自らが、その家に訪ねていったことを書き記している。
母親は、「寅吉は5、6歳の時から、
時々まだ何も起こっていないことを事前に言うことがあった」
と話した。
下谷広小路に火事があった前日に、家の屋根の棟に上がって、
「広小路に火事がある」と言ったのだ。
人々もそちらを見たが、何も起きておらず、
「どうしてそんなことを言うのか」と問いかけると、
「あんなに火が出て燃えているのに、
みんなには見えないの? 早く逃げて」
などと言う。
人々は、「気がふれたようだ」と思っていたが、
翌日の夜に広小路は火事で焼け落ちた。

ある時は、父親に向かって、
「明日ケガをするから気を付けて」と言う。
父親は気にせずにいたが、果たして大けがをした。
またある時は「今夜泥棒がくる」と言い、
父親が「そういうことは言うもんじゃない」と叱ったが、
その夜泥棒に入られたのだ。
また、立つことができず、
はいはいをしていたころのことを覚えていて、
語りだすこともあったという。
母親は「生まれつき感の強い子で、ほんの小さい頃は、
顔色も悪く、いつもお腹を壊して、おねしょもあって、
この子は大きく育たないのではと思っていましたが、
今年、旅から帰って来てからは
とても丈夫になったのです。」と語った。

さて、なぜ起こってもいないことを言い当てるのかが不思議で
後で、このことを寅吉に
「どうやって知ったのだい?」と尋ねると、
広小路の火事は、前日に屋根に上ったとき、
翌日火事で焼失した場所に炎が見えたから言ったのだという。
父親のケガや泥棒のことも、
なんだか耳のあたりでざわざわと言うように思えると、
その中からどこからともなく
『明日は父親がケガをする』
『今夜は泥棒が入る』
という声が聞こえると、
自分でも気が付かないうちに
言葉が口から出ているのだそうだ。

最初にあった時のことに話を戻そう。

寅吉は私の顔をつくづくと見て、ふと笑い出すと、
思いをはなつように
「あなたは神様なんですね」
と何度も言った。
私はその言い方が奇妙で答えもせずにいたのだが、
「あなたは神様の道を信じて、学んでいるのでしょう?」
と言う。
美成がかたわらから、
「この人は、平田先生と言って、
「国学」の神道を教えて下さるお方だよ」
と言うと寅吉は笑って、
「そうでしょう!そうだと思ったんです」と。
ここで私は驚いて、
「君はどうやってそれを知るのだい?
また私が神の道を学ぶのは、良い事だろうか、
それとも悪い事だろうか?」と問うた。
寅吉は「なんとなく、神を信じてる人だと
心に浮かんだから、そういったんです。
神の道ほど、尊い道はないですから、
それを信じるのは、とってもいい事ですよ」
と答えた。
ここで屋代さんも、「私はどう見えるかね」と聞いた。
寅吉はしばらく考えてから、
「あなたも神の道を信じているけれど、
あなたはいろいろ広く学問をすることでしょう」と言った。

のちに屋代さんはこんな歌を詠んでいる。
「神といはれ仏という名も願わずて ただよき人になる由もがな」

これが、私がこの子どもに驚かされた最初のことだった。

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