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不思議ちゃんと普通くん

「不思議ちゃん」という言葉が嫌いだ。

己のごく短く浅く狭い人生経験と照合した結果、彼らにとっての「標準」から外れ、違和感や嫌悪感を覚えた相手に対して、円滑なコミュニケーションを行うことを諦める宣言であるからだ。

違和感を覚えた箇所を明確に指摘し、「なぜその考えに至ったのか?」を掘り下げていく。

そんな簡単なスコップも放り投げ、彼らは「不思議ちゃん」のレッテルを彼女に貼り付ける。
いや、「貼り付ける」という能動的な動作ですらないのではないか。

裏面のシートを少しずつ剥がし、シワにならないように端からそっと押さえ貼り付けていくような、そんな繊細な活動ではない。

選挙時に候補者のポスターを街の掲示板に貼り付けたことがある人にならわかるだろうが、あれはともすると陶芸と並ぶほどに繊細な活動だ。

せいぜいカーテンを引くくらいのものだろう。
それも、一般家庭のカーテンだ。

高速バスのカーテン、あれはなかなか努力や気遣いが必要なタイプのカーテンである。
たいていのバスカーテンは2〜3席にまたがって引かれてあるので、座席によっては前後の人に確認をとる必要があるのだ。


さて、「不思議ちゃん」と言いのけるくらいなのだから、彼らは「普通くん」なのだろうと思う。

金原ひとみの小説『ハジケテマザレ』にこんな一節があった。

"普通は尊いし、普通は貴重だし、普通はむしろ普通じゃありません"

これを読んで私は今まで簡単に「不思議ちゃん」というカーテンを引いてきた普通くんらにとても申し訳ないことをしてきたと反省した。

普通くんは普通である(と彼らは感じている)ことにコンプレックスを抱いている可能性があるのだ。
何者かになりたい、普通である自分を脱したい。
そんな風に悶々と苦しんでいる彼らの、最後のSOSを見逃してはならない。

そうなった場合、我々は一つの使命を賜ったことになる。
そう、普通くんに不思議くんのレッテルを貼ってあげることだ。
スコップ、いやシャベルでまるっと掘り起こし、不思議くんの種を探し出し、不思議くんというネームプレートを土に刺してやろうではないか。

いつか、大輪の「不思議くん」が花を開きますように。太陽の光が、新鮮な水が、彼らに降り注ぎますように。
そう願ってやまないのである。

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