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北欧語翻訳者の読書日記『ウナギが故郷に帰るとき』

『ウナギが故郷に帰るとき』めちゃくちゃ面白かったです。読み終わっちゃったのが切ないぐらい。

お父さんとの回顧録とウナギをめぐる謎探求の歴史が最後、こう繋るのか〜、してやられた〜、とうならされました。2つを繋ぐキーワードは、意識と謎です。
文章めちゃ上手いです。パトリック・スヴェンソン!


(好きだった文章)
●ウナギは父さんの好物でもあった。・・・・・・皮を剥いできれいに洗ったウナギを、母さんが一〇センチぐらいの大きさに切って、塩ひとつまみと胡椒で下味をつけパン粉をまぶし、バター焼きにした。

●人はウナギのことを、どこまで本当に知ることができるのだろう? あるいは他の誰かのことを? この二つの疑問には、じつはつながりがあることがわかる。

●ひょっとしたらウナギは新たなドードーになるかもしれない。・・・・・・「dead as dodo」(ドードーと同じようにすっかり忘れ去られた)という表現の代わりに、そのうち「dead as eel」(ウナギのようにすっかり忘れ去られた)っという表現が使われる日が来るかもしれない。

(印象深かったところ)
●ウナギは人々にとっての謎だった。ウナギの謎を追い続けたが、ついにはウナギについての真理探究をあきらめたフロイトの話など面白い。

●漁師達の言い分が逆説的で面白い。「ウナギ漁を完全に禁止し、人々がウナギを食べなくなれば、人々はウナギに関心を失い、ウナギがいずれこの世から姿を消すことになる」

●ウナギの謎がなぜ人々を惹き付けてきたのかが中盤まで描かれていて、そこから動物を殺すというテーマがふいに現れる。展開が意外性に富んでいて最後まで一気読みさせられる。

●科学界のタブーをあえておかしたレイチェル・カールソン。それは生きものを、ウナギを擬人化することだった。ウナギに人間の意識に近い認識力を与え、そうすることによってウナギにより近づくことに成功した。彼女がそうしたのは、ウナギがいかに特異で複雑な生き物であるかを、人々によりよく理解してもらうためだった。

●自分とは異なる種をとにかく殺さずにはいられない案外サイコパスなミンク。

●一七世紀、デカルトによって人間以外の生物はすべて「機械人形」であると主張した。この動物と人間を区別するという考えが、その後科学界で物議を醸すこととなる。リンネ→ダーウィンらの議論へ。

●スウェーデンの死の判定基準。何をもって死とするか?

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