見出し画像

多様化が進む特別支援教育(まちの不思議 おもしろ探究日記 #23)

(本記事は雑誌『社会教育』2024年4月号に掲載された記事を転載しています)

今年の春、次男が小学校の特別支援学級を卒業した。
次男が通っていた特別支援学級は、この六年間の間に、三十人前後だった児童数が四十人を超える大所帯となり、子どもたちの特性の幅もどんどんと広がっていった。

多様性あふれると言えば聞こえはいいが、実際のところは怪我やトラブルも多く、安全面や安心面には大いに課題があるような状態でもあった。
現場の先生方は精一杯対応してくれていたが、不安が強く出るタイプの次男は、不登校になった時もあり、学校に行けるようになってからも、遅刻や早退をしながらなんとか通う毎日であった。

それでも、この六年間で次男は充実した学びを得て、本人の強い希望もあって、中学校も特別支援学級に進学する予定である。
どんな日々になるのかはわからないが、一つ一つ小さく自信をつけながら、次男が次男の人生を歩んでいくことができているのであれば、それもそれでいいのかなと思っている。

多様な子どもたちであふれる特別支援学級

少子化で子どもの数は減っているが、特別支援教育を受ける子どもの数は年々増え続けている。
知的障害の特別支援学級に通う子の数はこの十年で約一.五倍、自閉症・情緒障害の特別支援学級に通う子の数は約二.五倍、通級型の特別支援教育を利用する子の数も約二.五倍に増えている。
特別支援学校に通う子の数も増え続けており、特別な支援が必要だと判断される子は、どんどんと増え続けているのである。

そんな中、地域の学校の中で特別な支援を受けながら過ごすことができる知的障害の特別支援学級は、制度として曖昧な部分も多く、自治体によって運営のされ方が大きく異なるというのもあり、特に多様な子どもたちがあふれる現場となっている。

例えば、療育手帳の交付は受けておらず知的障害とは定義されないものの、ボーダーライン上の軽度の遅れがあるという子もいる。
通常学級と同じ学習内容を進める自閉症・情緒障害学級を希望していても、多動性や衝動性が強く、教室で座っているのが難しい子は、学習活動の難しさゆえに在籍が叶わないこともある。
また、不登校になり発達検査を受け、特性がわかったものの、学校に通えていないため、通級での指導は難しく、特別支援学級に来る子もいる。
その結果、ほとんど通常学級の学習内容を理解できるような子でも、知的障害の特別支援学級に在籍していることもある。
また、教育委員会で特別支援学校が適当であると判断された子について、保護者の方が地域の学校を希望して特別支援学級に在籍するケースも増えてきている。
さらには、外国語を母語とする子が、言葉の面が壁となり学習が進まず、特別支援学級に在籍している例もあると聞く。
そもそも、知的障害と言っても単に発達だけがゆっくりという子はとても少なく、情緒面の特性を併せ持つ子も多い。

この、ものすごく幅の広い多様な子どもたち全員が、特別な支援を必要として、特別支援学級に集まってくる。
そして、その必要な支援の方法は、一人ひとりで大きく異なっている。
さらには、特別支援学級は、子ども八人につき教員一人という教員配置や、児童の状況によって特別支援学校の教育課程を採用することもできるといったことは決められているが、その教員に特別支援教育の免許状が必要といったことはなく、特別支援に関する専門性を持たない先生が担当していることも多い。

特別支援学級設置校の割合が低く、特別支援学級の学級規模が大きい東京都ならではの状況なのかもしれないが、
この六年の間に見て聞いてきた特別支援学級は、
実に多様な子どもたちであふれる大混乱の現場であった。

そのため、特別な支援を求めて特別支援学級に来ても、
その子の特性に合わせた支援を受けられているかというと、
そうでもない側面があるのも実情であった。

問われる通常学級の在り方

一方で、これだけの子どもたちが特別支援学級に流れてくるというのは、
通常学級の在り方が問われているということでもあるように思う。
制度として、通常学級において一人ひとりの特性へ対応する
ということが難しい現状があるのであろう。

障害の社会モデルという考え方がある。
個人の特性そのものに障害があるのではなく、
特性を持った個人が生きにくさを感じるのは、その生きにくさを生じさせている社会の側に障害があるからであるという考え方である。

それで言うと、これだけ特別支援教育が求められる現状は、
教育という視点において
「学校の側に障害がある」とも言えるのではないだろうか。

不登校三十万人、特別支援教育六十万人。
もはや、特別な支援が必要なのは全ての子どもたちなのである。

もっと子どもたちの多様性を前提として、
一人一人に特別支援を行うように通常学級が運営されるとしたら。
例えば、学習が個別最適化され、自由進度で進めていくようなスタイルを取ることができれば。そうしたら、特別支援学級にくる必要がなくなる子はたくさんいるだろう。
また、発達がゆっくりな特性を持つ子たちも、同じ場にいながらそれぞれの学びを展開することで、お互いを受け入れ合い理解し合っていくこともやりやすくなるだろう。

多様な特性を持つ子どもたちと一緒に過ごすことで、
子どもたちには共生社会の芽が育つ。
そういった経験がある子とない子では、
普段の子どもたち同士の特性の受け入れ方も、
明らかに違うのだと先生方は口を揃えて言う。

ただ、それはそう簡単なことではない。教員不足や教室不足が叫ばれる中、現状の学校の要件を満たすだけで精一杯という状況もある。
特別支援教育もパンク寸前であるが、もはやすでに学校全体もパンクしているのである。

そんな中で、保護者は、地域は、多様な子どもたちを前に、
学校に何を求めるのだろうか。
学校だけに頼るのではなく、
いよいよ本格的にまち全体で考えていかないといけない時が来ている。

▼ 雑誌『社会教育』


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?