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1回目の胚移植とその結果。

 前回は体外(顕微)受精の為の採卵や受精についてでしたが、今回は約3年前に行った1回目の胚移植(受精卵を子宮に戻すこと)についてと、その結果について書いていきます。

胚移植への準備

 高度不妊治療は、きつい言い方をすれば”薬づけ”になります。””薬を多用します”でもいいのですが、私の実感としては”薬づけ”の方がしっくりくるのです。胚移植というと、受精卵を子宮にポン!と戻せばいいんですよね?と思っていたら、全然違う!移植をする為には、様々な薬を使って身体の準備をしなくてはなりません。

まずは女性ホルモンを注入するためのテープを下腹に貼ります。2日に一回張替ますが、最初は3枚だったシールが移植日が近づくにつれて6枚まで増えます。500玉程度の肌色のテープ。下っ腹がテープだれけになります。私は肌が弱いので、かぶれて、日に日に痒くなります。医師に相談したら、ムヒを塗って乾いてから貼ると痒くなりにくいらしい。やってみたら本当でした!

ホルモンシールと同時に、膣にアプリケーターを使って挿入する親指第一関節ほどの大きさの膣錠を使用します。アプリケーターの半分以上を膣に挿入し、内筒を押して薬を入れます。これを朝・昼・夕・就寝前と1日4回使用します。(クリニックによっては一日2回の所もあるらしい。医師の判断の違いでしょうね。)8時間以上あけないことが鉄則です。この膣錠を使うと、残った薬がおりものとして出てくるので、おりものシートの使用が必須になります。一日に何度もシートを取り替えないといけないほどの量がでます。女性ならわかる生理中にドバッと血が出る感覚。あれが毎日何度も…。ずっと不快です。

これらの薬は、子宮内膜を厚くするためのもの。移植後、受精卵がふかふかのベッドに着床しやすくするためです。しかし、薬によって排卵は止めている状態なので、薬の使用をやめてしまうと体が勘違いして生理を起こそうとします。そうするとせっかく育てた内膜が剥がれ落ちてしまうので、例え妊娠成立しても、妊娠10週目までは薬を続けなくてはなりません

とにかく8時間以上あけないように、時間を気にしながら、またトイレに行くタイミングを気にしながら過ごす日々になります。出先だと、使用したアプリケーターを汚物入れに捨てていくのも気が引けるので、小さなゴミ袋を持ち歩き、持ち帰って自宅で処分。これが面倒。。。

最初の頃はいいのですが、膣錠の使用期間が長くなると、毎日4回異物を挿入するわけですから、膣の入口が痛むようになってきたり、膣で膣壁が傷つき出血を伴うこともあります。膣錠、個人的に不妊治療において最も嫌いな薬です。


移植日

 移植日当日の朝から凍結していた卵を解凍させます。わずかな確率ですが、解凍が上手くいかず受精卵がダメになるケースもあるそうです。私は、一番ランクの良かった体外受精の卵が無事に解凍できたので、その卵を戻すことになりました。

この日は私服のまま下着だけ脱ぎ、処置台にあがります。他人の卵との間違いがないか、管理番号と名前をしっかり確認されます。

さぁ、いよいよ移植です。下っ腹にエコーを押し当て、子宮の卵を戻す位置をモニターを見ながらドクターと一緒に確認します。
その位置に向かって細いチューブを挿入していきます。子宮口を通過するとき、僅かにズン!とした痛みがありました。目標地点まで到達すると、ドクターの「はい、戻します!」という声と共に、モニターに白くキラッと光るものが映し出されました。「これが、私の卵かぁ・・・。あとは上手く着床してくれるだけだ」と、心の中で祈っていましたが、処置が終わるとすぐに処置台から起き上がり待合室へ、と案内されます。「え!?少し安静にするとかしなくていいの?」と思いましたが、そのまま会計を済ませ、帰路につきました。移植当日は感染症を防ぐため、入浴は禁止、シャワーのみです。この日からも引き続き、シールと膣錠を使用し、流産防止の飲み薬が追加されました。


妊娠判定日


 移植から10日後が妊娠判定日です。血液検査を行います。診察室に呼ばれドキドキしながら先生が口を開くのを待っていると「結果は、陽性です。おめでとうございます。ただ!!血液検査の結果のhcgの値が今日時点で50欲しかったのですが、25しかありません。流産の可能性もあるので、また10日後来院してください。」と。

やったー!!陽性だ!!思い切って体外受精にトライして良かった!!卵もまだ沢山あるのに、1回目で上手くいくなんて!!残りの卵で、あと2人は産めるかも♪

っと、喜びたい!けれど、流産の可能性??まさかね。きっと大丈夫。夫もその日は私からの連絡を待ってそわそわしていたようで、メールで「どうだった?」と連絡ありました。ドクターから告げられたままを報告すると、夫も喜ぶには早いと思ったようで「わかりました」と返信は一言だけでした。

翌日から少しばかりの吐気を感じるようになり、眠くもないのに気が付けばソファで眠ってしまっていたりと、僅かながら体の変化を感じるようになってきました。きっと、赤ちゃんは少しずつ育ってくれている!体を冷やさないよう、腹巻や靴下をつかったり、コーヒーなどのカフェインは控えたり、早寝を心掛けたりと気を配りながら、次の診察日を待ちました。

10日後の検診です。今回は、5週目になるので赤ちゃんが入っている袋・胎嚢がエコーで確認出来始めるころです。胎嚢が確認できれば、一安心ということになります。ドキドキしながらドクターと一緒にモニターをのぞきます。「これかな~?ん~、これっぽいけど、まだはっきりわからないねぇ。たぶんこれが胎嚢ですね~。」微かに、胎嚢らしきものが!念のため血液検査をすることに。hcgの値はおよそ500。医師の期待値では1000だったそうです。またしても数値が低い。とはいえ、妊娠は継続しているのは間違いありません。確実に胎嚢が確認できるまでは、子宮外妊娠の可能性もあるとのこと。まだ妊娠を喜ぶわけにいかず、少しばかり肩を落として、そしてエコー写真に写っていた影が赤ちゃんであることを信じて、また一週間後の検診を待つことになりました。


稽留流産


前の診察の後から、おりものに血のような茶色い物が混ざるようになっていたのですが、次の診察の2日前から明らかに「出血」と呼べるほどの鮮血が出始めました。「ダメかもしれない」という不安を抱えながら病院へ。胎嚢・心拍確認できますように…と祈るような気持ちで診察台へ。カーテン越しに感じる医師と看護師さんの会話の雰囲気から「ダメみたい…」と感じ取りました。医師がカーテンを半分開けて、エコーのモニターを見せてくれます。素人の私でも「これが胎嚢だ!」とわかるほどの黒い豆の様なものが見えました!

しかし、胎嚢中に白っぽく大きくなったり小さくなったり動いている赤ちゃんが見えなくてはならないそうなのですが、何も見えない。そう、まもなく8週目に入るというのに心拍の確認ができなかったのです。

その後、診察台を降りて別室でドクターから説明を受けました。このタイミングで心拍確認できなかったので、今回は赤ちゃんが成長できなかったようです。自然流産を待つ手もありますが、酷い腹痛や大量出血がいつ起こるかわからないし、全部流れ出なかった場合、子宮に癒着してしまって、次の妊娠が上手くいかなくなるリスクもあるため、摘出手術をしましょう、と。

稽留流産です。

まだ喜ぶには早いと解っていても嬉しかった妊娠。突然告げられた流産の診断は信じたくない。天国から地獄でした。

妊娠初期の流産は10~15パーセント。10人子供を産んだ人でも1回は経験する確率です。そのほとんどは、卵の染色体異常。お母さんのせいではありません。37歳から妊娠率は低下し、流産確率は上昇します。仕方のないことだし、現実を受け止めなくてはいけないのに、突然押し寄せてくる悲しみをどう処理して良いのかわかりませんでした。

手術の日程は、その場ですぐに決めなくてはなりません。まだお腹の中にあかちゃんはいるはずなのに、もうダメだなんて。現実を受け入れられないまま、手術の日程を決め、手術についての説明を受けます。

夫からも「どうだった?」とメールが来ました。ダメだったとメールを返信しながら、泣きそうになりましたが、まだクリニックなので、ぐっと我慢。自宅に帰り着くころ、義理の父からもメールが。まだ喜ぶには時期尚早とわかっていたはずなのに、やはり妊娠が嬉しかったようで夫が早々に連絡していたのです。

「残念だったね、また次頑張りなさい」と。とても優しい義理の両親です。待ちに待った長男の嫁の妊娠報告だったはずなのに、そっと私の体調を気遣ってくれるのですから。このご両親の為にも、早く孫の顔をみせてあげたい。こんなに良いおじいちゃん、おばあちゃんがいるのに、どうして赤ちゃんは空へ帰ってしまうのだろう??義父からのメールを見て、声を出して泣きました。

多くの人が、当たり前に妊娠して、当たり前に心拍確認できて、当たり前に赤ちゃんの成長を日々感じているのに、どうして私たち夫婦には、当たり前のことが起こらないのだろう?やはり妊娠・出産に当たり前はないのだ、と痛感しました。


摘出手術

 摘出手術は4日後になりました。ちょうど8週3日目。
まだ悪阻の症状は続いていましたが、前の診察の後から一気に出血量が増え、普通の生理のような状態になっていました。前夜12時からは絶飲絶食。当日、手術前にエコーで最後の検診です。

「血の塊は出ましたか?半分くらいは出てしまってるね~。でも残ったらいけないから、やはり手術はしましょう」。この数日の出血量から赤ちゃんが成長できる環境でなくなったことは間違いない。赤ちゃんは生理としていつの間にか流れ出てしまったのだろうか、まだ内膜に残っているのだろうか?

消毒、麻酔、3呼吸したら意識はなくなり、目が覚めたら「山口さん終わりましたからね、大丈夫ですか?」という看護師さんの声。あぁ、いなくなっちゃんたんだ…。ごめんねぇ…。悲しさと、麻酔による具合の悪さで2時間ほど眠りました。目が覚めたころ、実母に迎えに来てもらいました。私の顔を見た瞬間、母が少し泣きそうな顔になったのをみて、母にもこんな思いをさせたことが本当に申し訳なくて。本当なら、孫を腕に抱いて喜ぶだけでいいはずなのに。おばあちゃんになかなかしてあげられなくて、ごめんね。でも、あなたが私を産んでくれたように、私もまた頑張るから、と心の中で誓いました。

手術から1週間はシャワーはOKですが湯船はNG。11月末でもう寒い季節だったので、シャワーのみは辛かったです。1週間後にまた診察へ行き、子宮の状態をチェックします。順調に回復していたので、お風呂OKを出してもらえました。やっと自分の身体を労ってあげられる。初めての胚移植を経験した1か月と少しは、とてもとても長く、精神的なダメージも多い日々でした。

早速、次のスケジュールの相談が始まります。正直、精神的にはかなり参っていたので、少しお休みしたい気持ちもありましたが、医師からはせっかく今回妊娠したから続けてみてもいいと思うよ、というアドバイス。2人は産みたいと思っていたので、年齢的にも急いだほうがいいし、休まず次の移植をすることを決めました。



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