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選択するのは、極力自由が効く。


生きていて数回は、忙しいとイライラする方に出会う。
その行動は、その場の空気を悪くし、周りに気を遣わせ、人としての信頼も同時に裏切る。そしてそれらの状況には気がつかない
そんな方。

生きていて数回は、自分の意思しか見えていない方に出会う。
相手がこれをやって喜ぶかの考えが足りず、自分の"したい!"の割合が異常に高い。
そんな方。

生きていて数回は、自分の大変さや疲労をブランディングとして扱い、それをわざわざ言葉にして評価を得ようとする方に出会う。
聞いている側は、反応やリアクションが業務化し、素で会話なんてできない。
そんな方。


別に悪い人。ではない。
ただ私にとってこのケースは、苦手なだけ。
寝ている時に見る夢(夢占い)に影響するくらいに。

逆にそんな人たちにとっても、私の、
嬉しい時のリアクションの大きさや、自分の好奇心で他人を巻き込んでしまうところ、対人関係において考えすぎるところが苦手だと思われている人も、たくさんいると思う。




「完璧な人はいない。」
この言葉はよく使われる。私にとって違和感を抱く言葉。

完璧を求めている訳ではなく、
私にとっての私は、理想や目標の途中にいる人間で、
目標と理想の違う他者をどう受け取り、どう受け取ってもらえるか
こういうことだと考えている。
だが、その受け取り方が人それぞれなため、人と関わる難しさが生まれてしまう。

だが、選択するのは、極力自由が効く

私は自分を、もっと、もっと、大切にして生きて行きたい。
自分自身の貴重な時間を、付いて行き心地の悪い人とは過ごしたくないし、感謝の交換は自然としたいし、会話で起こる反応は極力自然に起こして行きたい。

まあ人生そんな上手くいくものでもなく、壁は次々と押し寄せる。
(そんなこと言ってるけど、私は壁がなかったら求めに行ってしまう、だはは)

人間の作り出す芸術にリスペクトがあるからこそ、
人間そのものにリスペクトをしつつ、これからも選択を繰り返していきます。



最近、上記の苦手なケースに2回出くわし、別に死んでもいいかも。と思ってしまった。
自分の目標や理想がまだまだ弱いのかもしれないと、痛感した。

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