スーパーの時短営業で晩飯が危なかったところから話を始める

先週無事に仕事始めをしたわけなんだけど、初日からまあまあ帰りが遅くて、晩飯をとりあえず買いに行こうとしたら地元のスーパーがコロナ渦で時短営業ですでに閉まっていたので仕方なくコンビニ弁当でお茶を濁したわけなんだけども。

うっかりコンビニとかまで時短営業で閉まっていたら危うく晩飯にありつけないところだったのでコンビニに感謝するわけですけども

まあ普段からちゃんと備蓄しとけよって話なんですが、世の中には夜勤従事者とかそういう人たちもいるなかでなんでもかんでも時短営業すればいいってわけでもないよなっていうやつですわ。下手うつと若干生活に関わる。

タイトルから話は恐らくすごく脱線する話題になっていくと思うけど、時短だったりテレワークだったりまあいろいろな形で人との接触を避けるようにする努力自体は大いに結構です。だがしかしそういうふうにしたところでどうしてもできない業種とかもあるしその今の勤務体制を支えるためにライフラインを支える仕事をしている方もいるわけでどこかしらで誰かが無理をしていることには変わりがない。

だからこそオレは明確にこうしなければならないということを他者に社会に明確に提示する意見を出すことはできない。

例えばgo toキャンペーンなんかもそうです、一方の意見もあれば一方の意見もある、そのどちらにも立場からの意見ってのはあるわけで、どちらとも言い分は筋が通ってるものがあるにはある。

オレの最大の自身の問題は双方の意見から打開策を見つけるというモノの見方をするのは非常に苦手で、結局の所、片側からの目線からでしか恐らくは意見することしかできないだろう。そしてそのようにオレ自身が考え抜いて出した答えは経験上だいたい理想論とか机上の空論とか綺麗事とかそのように周りから揶揄されることがほとんどだと思う。というか実際そうだった。

コロナ渦によりいろんな人がいろんな事態に巻き込まれてまた生活を大きく変えられているとしても世界中のみんながみんな結局同じ方向を向いてるわけでもないし向けれるわけがない、生き方も生い立ちも立場もなにもかもが違うし正義も悪もあればなんでもござれの混沌の世の中。

じゃあ誰の意見が正しいのか?どうすればいいのか?そのようなことを求めようにも何が正しいか自分でもわからないしtwitterなんかを開いてみても各々の立場の人間から発言してるだけだし悪意も交じってるしでぶっちゃけ鵜呑みにもできない。結局は自分で考えて動けっていう結論に至るわけです。正解に自信がない、自分が確たる意見を持つことができないオレにとっては苦しい状況に変わりはない。

だから相馬怜治は終末思想に走ってしまうわけだ。皆が好き勝手に自分の言いたいことだけ言って助けたい人だけ助けて意見合わない連中は知らんの理論、結局オレもそういう人間だけど、だからこそそんな人間に可能性なんか求められないし一歩先のステージへ進めそうにもない。漫画やアニメやラノベのような希望を持てそうなカリスマ的人格者なんかこの世にはいない。オレでさえ目の前の世界でそれとなく生きることで精一杯だ、そんな世界が続くより無に帰したほうが良い。そういう思想になってる。


脱線した話を無理やり戻すと、コロナ渦で今動いている社会が正しいかどうかは別にしてどっちにしろ何らかの形で犠牲は生じてる。何を選択し何を切り捨てるのか?また全部を救うことは可能なのか?もしやんごとなき力をお持ちのそういう方がオレのこの駄文を見てくださっているのならその力をこの世界のために奮ってほしいと切に願うし、自分でやれというのなら賛同してほしいし手を貸してほしい。何にしてもこのオレ相馬怜治は自身だけの力では何もできない空っぽ人間だ。結局は助けを乞うことしか出来ない、動いてもらうにしても自分で動くにしても。


だからこそ願う、完全なる滅亡か、究極の救済を・・・


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