【永久保存版】VA20thのSMA48の謝罪文

今のTwitterのアイコンに使ってる画像の元ファイルの在処がわからなくてPC内を頑張って捜索してたらまさかのVA20thのときの2ちゃんVIPスレにも貼られてしまったSMA48企画の謝罪文の恐らく原文であろうメモ帳をうっかり発見してしまった。(尚アイコンは行方不明)ついでにドラスピの初期の頃の型の動画をついでに発掘した。オレ由来のファイル(音楽ファイルとかそういうのじゃなくて)の最古のファイルは2009年なので恐らくそれ以上は遡れないっぽい。(一回HDD完全に飛ばしてるし)

とりあえずせっかく見つけたので記念にnoteに貼っておこう。ってやつです。

トーノやられがやらスギさんやらに添削してもらったやつかその前段階なのかはわからないけどたぶん近しいもののはず。。。

以下コピペ

--------------------------------------------------------------------------------------

このページをご覧になっている方へ。

はじめまして、私は今回SMA48+αという企画の中心にいます相馬怜治と申します。

以下の文章は義務教育もまともに出来てなくて高校も何とか卒業できたような基本的な社会の知識や礼儀作法、
文章能力などいろいろな普通の人間には身についているはずの能力が欠落した人間がつたない文章で書いていますので、
なにぶん読みづらいところもあると思いますがそのあたりはどうかご容赦願います。

もしかしたら知っている方は知っていらっしゃると思いますが,
私の知り合いが3人、今回のVIP席に当選されたということで企画進行を一緒にやりませんかと声をかけさせていただき,
VIP席のルームが3枠を同時進行という形で指揮を取らせていただきました。

広く宣伝したりツイッターやその他の媒体で知れ渡っており他のライブ参加者の皆様、
スタッフの皆様には自分の力が及ばず多大なご迷惑をおかけしたことをこの場を借りてお詫び申し上げます。

ここで自分なりの想いとかいろいろありましたので今回このような形で伝えることに決めました。

なお、すべての社会的責任、法的な罰則、その他がありましたらそれらはすべて私、相馬怜治・・・・いや自分という存在は嫌いですが本名「湯浅健太」にあるものとし、
他の企画参加者ならびライブ参加者に一切の責任はありません。この文章にて何らかのトラブルが発生した場合は私が責任を持って命を捧げ対処します。

まず今回の企画を決めた段階でツイッター等で,いわゆる相馬界隈がVIP席3枠を独占したという流れになっていたりしたことについて。
名目上、自分が主催をしているのでその流れになるのは十分理解できますし、多方面に拡散していたので噂になることもある程度は覚悟していました。
ただ、独占したとかそういうのではなくて、単純に知り合いがたまたま当てて全部知り合いだっただけです。
自分の名前で企画したのはそのほうが人の集まりもいいですし、なにも名前が無いよりはテンションというか参加者の鼓舞にも繋がると考えたからです。
企画名が傍からみれば悪ノリしているように見えていますが私は真剣に企画をしていたことは間違いないです。
自分自身も古くからI've soundのファンを続けていますし、真剣なファンの一人です。
KEY作品であるKanonに影響され、この業界に飛び込んできた人間でもあります。
ただ、多くの方がご存知かと思いますが、私「相馬怜治」という名前は良くも悪くも影響力が大きく、
その名前によってVIP席参加者にいわれのない誹謗中傷が行ってしまうような事態は避けたかったのです。
しかし一部の一般参加者にひとくくりにされていたようで、その責任を大きく感じております。

ただ、自分も参加者に楽しんでもらうために、3枠が別々にやるよりはお互い共通の認識でやるほうがいいと思ったからこそ声をかけさせていただいたのであって・・・・


その結果集団をまとめきれず、途中途中で一般参加者、VIP席参加者、スタッフの皆様、それぞれにご迷惑をおかけしました・・・・


それでも、VIP枠参加者の方には「楽しかった」,「ありがとう」という言葉を言ってもらえたので、企画したこと自体には後悔はありません。


話は変わります。
今回のVIP枠の話、当選者に非常につらいものであったことは事実です。
短い時間の中でこれだけのことをまとめるのは正直骨が折れたと思います。
運営スタッフさんは当選者にかかる負担を与えすぎたのではないかと思う面もあります。
当然当選したのだからそれぐらいは自分たちで解決をしろというのが筋なのかもしれないのですが、彼らも社会人です。
限られた時間の中で相当厳しい状況だったと思います。
もし次回があるとするならば、その点を考慮したほうがよろしいのではないかと思います。

運営スタッフさんの不手際もありましたが、私はそこはある程度仕方ないと思います。
ただ、VIP参加者に対する対応がよろしくなかったことも事実です。
また一方で参加者の態度に悪い面があったことも事実です。

とあるスタッフさんの一言が脳裏によぎります「3つ一緒にやるのではなくて別々でやっていれば君ももう少しラクだったのではないか」
それはよくわかりますし事実です。
実際、この大きな集団をまとめきることが出来ずトラブルを起こしてしまったこと、それが尾を引いてしまい、
私を含め純粋に今回のライブを楽しむことができなかった人もいます。
それは私の力量が無いからに他ならないです。

しかし、多くの人と同じ感動を得られればきっと楽しいことになると、自分はそう信じて活動してきました。

だから別の選択はできなかったのです・・・

ライブの内容については私の口から多く語るべきことではないですし、多くの方がそれぞれの意見を出していると思われますのでここではあまり語りません。
しかし、私は馬場社長の最後のサプライズの演出は不謹慎ではないかなと思います。
それを除いても今回ライブイベントは「ビジュアルアーツ20周年記念大感謝祭」としては大成功とは呼べないと思っております。ライブに関しては自分が言いたいのはこれぐらいです。

一般のライブ参加者にもいろいろな問題行為が目立っておりました。それに対する不満も耳にしております。
もっとも、私もそういった類の人間に分類されるので私から批判することは出来ません。

ただ・・・私は自分の信念や情熱、そういったものを胸のうちに秘め真剣に活動してきました。
その結果として、ご承知のとおり私は多くの方々から批判やさまざまな評価を受けている立場にあります。
それは自分自身が今まで矢面に立って目立つような行為を過去に繰り返してきたからに他ならないと理解しております。
そのことによって、今回の企画を立ち上げた時点で多くの方々の目に留まり多くの批判を受けた。
因果応報というべきか自業自得というべきか、少なくとも自分の犯してきた罪の代償であることに違いはありません。

「そういうことしなければならなかったの?」「そういうことをしなくて良かったのじゃないの?」そう思われる方もいるかもしれません。
けど私はそうするしか道が無かったのです。


自分自身の居場所、自分が生きている実感。そういったものを作り上げるために私は必死だったのです。

現実の私、湯浅健太は子供のころからいじめを受け、また性格も内気で、頭も良くなくて、取り柄もないどうしようもない少年でした。
友達も多いわけではなく、輪の中に適応することが出来ませんでした。
また、生まれつき体も弱くて今では完治しましたが心臓に病もありました。

中学生のとき、進路相談で私は高校に通うことができない学力だと言われましたが、農業科でしたがどうにか合格し、ギリギリではありましたがなんとか卒業できました。
ですが、専門学校に進学してから勉強についていくことができず中退しました。
その後、なんとか就職できました。

大人になった今でも現実の湯浅健太は友達も少なく、また社会でもあまりいい立場ではなく仕事もまともにこなせなくていつクビになってもおかしくないような本当にどうしようもない人間です。
社会の隅っこで細々と毎日つらい日々を送っています。つい最近部署からも外されました。
頭も禿げてきましたし、心も疲れてきて、現実ではなにも取り柄がありません。


そんな人生の中、私はKanonというゲームに当時出会いました。その中で出会った2つの曲が私の人生を大きく変える原因になりました。
Kanonとの出会いがI've soundとの出会いに繋がり、私にとってI've soundを聴くことが人生の生きがいになりました。

田舎に住んでいるせいでなかなか発達しませんでしたが、後々インターネットにも繋がるようになり目には見えない顔もわからない人とコミュニケーションを取るようになりました。

後に私はリネージュIIというオンラインゲームと出会うことになり、そのゲーム世界で多くの顔も知らない人たちと交流を深めていきました。
そのゲームの中で企画を行い、それを成功させたことによって人と何かをすることの素晴らしさ、
矢面に立って少し批判は受けたりするものの、人を引っ張っていくことに喜びを感じることが出来ました。

KOTOKOさんがメジャーデビューを果たし、はじめてのライブを行うとき、私は心躍りました。
今でも当時の思い出が目に焼きついています。

後に私はmixiというSNSに出会うことになり、リネージュIIのプレイヤー同士のオフ会や、KOTOKOさんのライブなどのオフ会に顔を出したことにより、
人とコミュニケーションを取ることの楽しさを見出し、内気だった性格も大人になってようやく外交的になり、性格も明るくなりました。

なぜ、私は変わることが出来たのか、それは現実の湯浅健太でなくHN「相馬怜治」として活動できたからです。
現実ではどうしようもない人間だけど、
この世界の人たちは自分を温かく迎えてくれる。はじめて、この世界で自分の本当の居場所を見つけた。そんな気持ちになりました。だからこそ私は自分のHNである相馬怜治を深く愛するようになり、この名前と共に生きていくことを決めました。

そうやって広い多くの方々と知り合っていく中で、ライブに参加する楽しさ、人と何かをする楽しさ、そしてリネージュIIで知った企画することの楽しさ。
これが今の私の原動力に繋がり5年以上もの間、さまざまなライブイベントに参加したり企画したりするようになりました。

同時にこの世界に、生きる意味と、自分が生きた証、自分の存在証明を求めるようになり、時には反社会的な行動を伴うこともありました。それにより大勢の方々に迷惑をかけることも多々ありました。

その結果が今の自分の評価であり、また多くの人から反感を買う理由にもなりました。
その事実は受け止め、今、深く反省しています。

ただ、私には何も考えが無かったわけではなく、自分なりの信念と、覚悟と、目標を持って活動を行い。自分の自己表現を行いたかった。
自分がこの世界に存在していることを多くの人々に認めてほしかった。生きてきた証をこの世に残したかった・・・ただそれだけなんです。


そして反省を深め、次に生かそうといろいろ努力してきました。

ですがそのたびに求められるのは、社会人としてのマナーや常識といったものでした。
自分にとってこの世界は現実逃避の世界であり、現実のことを考えたくありませんでした。

現実逃避の世界で求められるのは現実と同じ行動、これが私の中で徐々に重たくなってきました。
ルールやそれにのっとって活動を行おうとすると、そういった常識や道徳を考えないといけない。そうすると現実世界で逃げてきた自分と直面することになりました。

結局はそんな逃避するためになんでもかんでも無茶が出来る世界ではない、そう気づいてしまったのです。

そして、今回の企画は特にその色が強くて、参加者同士の意見の食い違い、人間関係、さまざまな物が見えてしまい、頭を抱えました。そして当日の最中にもいろいろなトラブルに遭遇しました。
結果自分がもっと頭を軽くして行動したかったのに責任を取らなくてはならない、成功させなければいけない。だんだんと自分に重荷になってきたのが実感できました。

年齢的にも、社会的にもそれ相応の態度が求められるようになり、それはどちらの世界でもそうなってしまいました。

自分はひたすら相馬怜治としてがんばってきましたが、それはただ湯浅健太から逃げていただけで何も成長していない、がんばれていない。

分けて考えたいはずの二つの自分が混合し、いよいよ持って、自分が何がしたいのか、どうしなければいけないのかわからなくなってきました。

今から自分を取り戻そうにも自分は年齢を重ねすぎた、現実世界ももう限界が来ていて、取り返しが付かないところまできてしまった。


今まさに、自分は崖っぷちに足のつま先で立っている状態です。あとは・・・もう・・・堕ちるしかないのでしょうか?

私が心の支えにしていた、大好きだった曲があります。ビジュアルアーツさんも関わりのある曲です。
それはKOTOKOさんの「Just as time is running out」です。

歌詞の一文をあげます。

こんなどうしょうもなく好きなこと
今まで感じたことないくらい
誰にも譲れないと思うなら つかむしかない

生意気なくらい 挫けなければ
手に入れたいものは 少しずつでも近付く
心の破片を見逃さないで
がんばる時には 思いきりがんばろうよ

自分がくじけそうになったとき、つらいとき、この曲を聴き、この歌詞に感銘を受けてひたすらがんばってきました。
がんばってきたんです・・・精一杯・・・がむしゃらに・・・がんばったのですよ!


でも・・・実際はどうでしょうか?私は何が出来たでしょうか?
手に入れたいものなんて手に入らなかった、最初からなかった・・・ただ・・・いろいろなものを失っただけでした・・・

今回、ビジュアルアーツ20周年記念ファン大感謝祭を私の区切りにしようとこの日まで頑張ってこの日を臨みました。

ですが、いろいろなトラブルが起き、ライブ内容に自分が原因ではありますが満足できなかった。自分の中で結果を残さなければならなかったものに結果を残すことが出来なかった。
これは自分が勝手に目標を決め、達成できなかったため落ち込んでいるだけで、他者から見ればこのようなこと知ったことではないでしょう。

ですが・・・今回の一件で私は目標を失いました・・・生きがいを失いました。なぜ自分がこうしているかもわからなくなりました。

HN、相馬怜治として生きる目標を見出すことも出来ず、また現実の湯浅健太としても今後の人生の見通しは不透明です。

だからといって自害できません。正直今すぐにでもこの地球上、この次元から存在を抹消したいです。ですが、自分を生んでくれた両親、そして家族、周りの友人たちは決してそれを許してはくれないでしょう。そして死んだら死んだで、外野の人間から「こんなことで死ぬなんてバカなヤツだ」と鼻で笑われ終わるだけです。

自殺を世界が認めてくれるのなら、赦してくれるのなら、私は今すぐにでも消え去りたいです。

あきらめずに頑張れ?努力しろ?散々聞きましたよ。
でもがんばったからどうなるというのです?努力して結果が出なければ認めてももらえないのにどうすればいいんです?

私にはもうわかりませんよ・・・

人間とは不公平なものです。平等であることは絶対にありません。

だからこそ私たち人間はルールを作り、組織をつくり、社会を作り、そうやってレールを敷くことで世界の安定を図ったのでしょう。
ですが、その中で自らを見出すことが出来なかった。自らの居場所を作れなかった者はどうなるのでしょう?結局、その人が最期を迎える瞬間まで足掻き続けるほかないのでしょう。
答えは永久に出てこないと考えております。

先ほども書きましたが、私は今、自分を見失っています。湯浅健太なのか、相馬怜治なのかもわかりません。

ですがこれだけはいえます。罪は消えない、過ちは消えない。私は償うことができるかもわからない大きな十字架を背負い、残り少ない生涯を歩んで行こうと思います。
そんなみじめでこっけいで情けなくて・・・泥水の中のような暗い世界をのた打ち回る私を・・・どうしようもない私を・・・どうか声高らかにあざ笑ってください。


最後になりましたが、イベントを企画、進行していただいた株式会社ビジュアルアーツ様、イベントを運営していただいたスタッフの皆様、VIP席の企画「SMA48+α」に参加していただいた皆様、また一般の参加者の皆様、大変お疲れ様でした。


平成24年8月1日 相馬怜治であり湯浅健太でありナニモノでもない存在の私


--------------------------------------------------------------------------------------

以上まで


長いし読む気になれんけどだいぶやばいことだけは伝わる。つうか恐らくこの頃と今と比べてもなんというかあんまり自分が変わらないなってすごくよくわかる。

ということでこれでPCのHDDが飛んでもnoteが生きてる間はここに保存できる過去の自分の記録でした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?