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図々しさ

PagesというMacにデフォルトで入っているアプリケーションを初めて使ってみた。

プレゼン資料作成なんて一瞬の会社員生活以来で浦島太郎どころの騒ぎではなく地球外生命体と初めて出会う時ってこんな感じかな…とビックリしたまま作業を進めているうちに次第にそれらしき形になっていくことに大興奮。EDMとPDFの区別もよく分かっていないままに試しに書き出しをしてみると綺麗に配置したはずの写真が重なっていたり段落がおかしな所で改行されていたりと社員なら上司から大目玉を喰らいそうな低脳ぶり。慌てて修正して保存してみると嘘のようにデータが何処かに消える。あらまぁ、現代でも神隠しって在るのねぇ、と感心していたらどこからかヒョイと出現。

大騒動ではあったがとりあえずクライアントが泣いて喜ぶ資料が出来たのでヨシとする。

還暦を前に平均的には新たな学びとか新天地とは無縁になってゆきがちではあるが、こうやって未知のものにアンテナが向くのは嬉しい。若い人のようにデジタルツールを難なく使いこなせるのは無理でもアナログも併用して体温が感じられるモノを作れるのは年の功と思い込むことにして程良く錆びつかずに生きていきたいものだ。

そう言えば、2002年に市川崑監督が自らの手でリメイクした映画「黒い十人の女」を観た。1961年に公開されたオリジナル版は予告編でしか観られていないが、ヌーベルバーグの影響を色濃く感じることの出来る作風はリメイク版でも十分に堪能出来、全く飽きることなく最後まで夢中で観た。

高度経済成長期からバブル崩壊までの浮き足だった空々しい空気感の中で真実と必死に向き合おうとする人々の姿は、今日のバーチャルで空虚な時代にも違和感なく置き換えられる気がして酷く後味が悪い。

「仕事をしない男なんてそんなのただの不良ですよ」

愛人から妻に昇格した市子に風が狼狽して叫ぶ台詞がずっと頭の中を回っている。

男も女も他人や社会に必要とされていると感じるから生きていける。責任を任された仕事と愛、どちらも欠けては辛いものになる。

そうか、僕も新しいものに挑戦したいのはただ楽しいからという理由ではないのだな、とハッとした。何らかの評価が欲しいのだ。

なんて図々しい。

でも聖人になるつもりもないからこの図々しさは苦々しく受け入れるとしようか。

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