田岡良一「増補 國際法学大綱」下 1939年(昭和14年)

田岡良一「増補 國際法学大綱」下 厳松堂書店 1939年6月

      第九版の序

 國際法學大綱下巻は昭和十四年に初版を出してから未だ改訂を加へて居ないから、今囘の終戰を期として全部的に書き改めて見たいと思つたが、最近の印刷事情に墓き、本書のやうに大部で且つ色々の活宇を用ひて印刷の複難なものを、全部的に組直すことは甚だ困難であるといふ意見が、出版書肆から出たので、この度は改訂を断念して、たゞ巻末に、國際聯合による紛爭處理に關する附録を付加へることにした。
 本書の後半は戰爭法の研究である。各國が戰爭の抛棄を誓ふ今日戰爭法はもはや無用に歸したとの考が生じ易いが、しかし世界のすべての國がその主權的行動としての武力行使を止めて、たゞ不法國に封する共同的制裁としてのみ力を併のせる時代が來ても、戰爭法の精紳はなほ活きる。戰爭法は、武力の行使を、その目的を達するに障害とならぬ範圍に於いて、全人類的利益の保護のために制限し、不必要な惨害を除かうとするものに過ぎないからである。只武器の進歩に伴つて法規も變化して行かねばならないから、第一世界大戰時代の武器の状能を基底とした論は、今日再考を要する箇所が生じるのは止むを得ない。
 本書の前半は國際紛爭の平和的處理を取扱ふ。その第一章の國際裁判の歴史及び理論は、修正を加へる必要はない。但し舊聯盟時代の常設國際司法裁剣所に代へて、新に國際司法裁判所が設けられたが、その裁判所規程は舊の其れに若干の修正を加へて踏襲したものであり、本書中に常設國際司法裁到勝について説く所は、概ねそのまゝ新國際司法裁判所に當はまる。條文の番號もそのまゝでよい。
 同一のことけ第二章の國際調停の歴史及び理論についても言ひ得るが、國際聯盟の紛爭處理方法について述べた所は、新國際聯合憲章の定める所と異る所がある。この點については巻末附録を參照せられるやう御願する。

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 義勇兵團及び群民蜂起

 海牙陸戰條規は

(一) 人民の自發的に組織した團體であつて、一定の統率者(軍人たるか否かを問はず)を其の頭に戴き、且つ其の團員が一定の記章を附して、武器を公然と携帶して敵對行爲を行ふもの(民兵團叉は義勇兵團)(一條)
(二) 敵國軍の侵入を受けた地方の住民であつて、團體を組織し統率者を選ぶ時間の餘裕無くして侵入軍に向つて抵抗を企てるもの(群民蜂起 Levee en masse)
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に交戰資格を認める。第二の例外は、敵國軍の侵入を受けた地方の住民が郷土愛に基いて敵國軍に抵抗する事は人惰の自然に出で、之を戰時犯罪人として虚罰するは酷に過ぎる、と言ふ人道的考慮に基づく。但し此の場合にも武器を公然と携帶する事、及び其の行動に就き戰時法を遵守する事は必要とせられる(二條)。叉此の交戰資格は、侵入軍が該地方を完全に占領して軍政を布き、事實上統治の樺力を把握すると同時に消滅する。其の後人民が占領軍を撃退しようとする時は、第一條の要件を充たして闘はねばならぬ。

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            第三節 兵力に依る害敵手段

 敵國陸海空軍兵力の攻撃、敵國領土の占領、敵國領土内又は敵軍の占據地帶内に存する建物及び工作物の破壊、敵國領土内又は敵軍の占據地帶内に於ける軍事上の情報の蒐集、公海上及び敵國領土領水上に於ける敵船舶及び敵航空機竝に敵國を利する或種の行爲に從事する中立船舶及び中立航空機の拿捕は、交戰國の兵力に依つてのみ行はれ、交戰國の陸海空軍軍人、及び國際法が一定の條件の下に軍人に準ずべき資格を認めた個人の外、是を行ふ事を禁止せられる。之等の害敵手段を兵力に依る害敵手段と云ふ。
 兵力に依る敵敵手段は、專ら敵兵力のみに對するものと、一般の平和的人民の身體又は財産に對する加害を其の中に含むものとに分たれる。後者は又敵國に國籍又は住所等の連鎖を持つ個人のみを害する手段と、斯かる連鎖を持たない個人にも損害を與へる手段とに分たれる。
 以下第一款に於て此の手段を行使する資格(交戰資格)の歸屬者を述べ、第二款に於て交戰國が此の手段を行ふ事を國際法上許さるべき場所的限界を説き、第三款以下の數款に於て各種の手段に關する禁止又は制限法規を述べようと思ふ。その中敵國兵力に對する加害手段を第一に論じ(三款)、次に平和的人民の身體及び財産を害する手段に及ぶが(四款以下)、後者の中では此較的敵人多く害

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する手段を先にし、漸次に中立人を此較的多く害する手段に及ぶことゝする。
   從來國際法の教科書は、兵刀に依る害敵手段を、陸戰法と海戰法とに分つて説くを常とした。航空機の出現後は新たに空戰法と題する項目が設けられ、航空機に關係ある戰爭法上の諸問題は皆こゝに收められた。斯くして陸戰法、海戰法、空戰法の三者を鼎立せしめることは、最近の戰爭法の教科書の皆採用する體系である。本書が此の體系を踏襲することを避けたのは、次の檬な實際的必要に基くのである。
   例へば、敵國都市に對する攻撃は、陸軍の砲兵によつてもな(ママ)され、爆撃機によつても爲され、又海上より軍艦によつても爲される。 此の三つの兵力に依る都市攻撃を支配する法規は、根本の原理に於て同一であり、只各兵力に固有な技術的問題が、三種の攻撃の各々に就いて、多少異る法規を生んだに過ぎない。然るに從來の體系によれば、三種の攻撃に闘する國際法は各陸戰法、海戰法、空戰法の一部分としばて説かれるが、寧ろ此等を一括して「都市砲撃及び爆撃」の項目を設けて説いた方が、三種の軍事行動を規律する法規の同一なる點と相違する點、共通の原理と相違を生じた理由とを、理解するに便宜であり、又無益の重複を避ける利益がありはせぬか。之は只一例であるが、類似の必要は他の諸問題に就いても存在する。
 又從來の體系を踏襲して陸戰法と海戰法とを説き、最近航空機の出現にょつて生じた戰爭法上の諸問題を室戰法の項目に收める學者は、從來の書物が陸戰法及び海戰法中に説かなかつた航空機關係の問題を皆空戰法中に纏め樣とする結果、體系の混亂を來すことがある。例へば航空機の捕獲も、航空機による商船の捕獲も、共に空戰法中に收められる。然るに前者即ち航空機の捕獲は、陸軍によつても、海軍によつても、又空軍によつてもなされる。後者即ち航空機による商船捕獲を空戰法に説くのは、捕獲する者が航空機なることに由るのであろが、此の標準を貫くならば、前者即ち航空機の捕獲は陸戰法、海戰法、空戰法に分つて説くべきであり、若し是を、捕獲せられるものが航空機なるを以て、空戰法に收めるならば、航空機による商船

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捕獲は寧ろ海上捕獲の中に、軍艦による商船捕獲と共に併せて説くのが妥當である。而して法規の類似性に着眼して類似の法規によつて支配せられる害敵手段を纏めて説く方針を取るならば、商船捕獲の機關としての性能に於て、航空機は潜水艦に近  く、從つて類似の法規の支配を受けるから、航空機による商船捕獲は潜水艦に依る夫れと並べて、海上捕獲の項に收めるのが、讀者の理解の便を計り、又理論説明の重複を省く效果があるであらう。何れにしても、現在空戰法の題下に一括せられる内容は、體系を合理的ならしめ、讀者の理解を便ならしめる爲には、分解せられる必要がある樣に思はれる。
   右の樣な考慮は、本書をして、害敵手段の行はれる場所が陸上なるか海上なるか空中なるかを問はず、又行使する者が陸軍なるか海軍なるか空軍なるかを問はず、支配する法規の類似性に據つて害敵手段を分類する方針を採用せしめ、從來の陸戰法、海戰法、空戰法の三者鼎立の體系を抛棄することを止むなからしめたのである。

             第一款 交戰資格

              第一項 概  説

 交戰資格は、交戰國が正規に任命する軍人に原則として歸属する。普通人民、は、後に述ぶべき若干の例外の揚合を除くの外は之を持たない。交戰國民たると中立國民たるとを問はず、又自己の發意に依るか交戰國政府又は軍隊の命令に依るかを問はず、私人が本節の冒頭に列擧した各種の手段に従事する時は、敵交戰國の手に捕へられた場合に戰時犯罪人として處罰せられる。又本來交戰資

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格を有する軍人と雖も、其の資格を表示する制服を脱して、私人に變装して右の行爲に從事する時は、同一の地位に立ち、軍人に輿へらるべき俘虜の侍遇を受けることを得ない。蓋し交戰國の軍隊は、敵の軍人は之を發見すると共に攻撃する事を得るが、平和的人民の生命は是を保護する義務を負ふものであるから、此の平和的人民の地位を利用して爲される敵對行爲は、軍人たる資格を表示して爲される攻撃以上に危険を齎す。故に交戰國は一般豫防の手段(deterrent)として、斯かる行爲を處罰する灌利を輿へられるのである。

 個人的交戰資絡と船舶又は航空機としての交戰資格

 交戰資格は原則として個人的に與へられ、從つて個人的に交戰資格を有する者と有しない者との區別を生ずるが、海軍及び空軍にあつては、船舶又は航空機が一個の戰闘單位を形成する結果、個人的交戰資格と區別せらる可き船舶叉は航空機としての交戰資格を生ずる。船舶及び航空機の交戰資格は、交戰國軍人の指揮する軍艦及び軍用航空機に原則として歸属する。他の種類の船舶及び航空機は次に述べる一の例外(交戰國兵力に依る捕獲行爲に對する抵抗)を除き敵對行爲を爲すことを禁止せられる。
 船舶及び航空機としての交戰資格なるものが有る結果として、陸戰に於ける軍人が其の資格を表はす制服を著用する必要があるのと同樣に、軍艦及び軍用航空機も亦一定の外部標識を以て、其の資

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格を表示することが必要となる。船舶の交戰資格は、列國は皆其の軍艦に特有な旗章を制定して居るから、此の軍艦旗を掲げる事に依つて忠以示せられる。軍用航空機の記章は、軍艦の夫れと異り、單に水平の方向から見得るものであるのみでは十分ではなく、垂直の方向からも亦見得るものであることを必要とする結果、旗を使用せずして機體の上下左右に固定記章を附する事が大戰以來の慣行である。
空戰法規三條「軍用航空機は其の國籍及び軍事的性質を示す外部標識を掲ぐべし」
同七條「前數條に定むる外部標識は航空中變更し得ざる樣固著せらるべし。右漂識は成るべく大なるべく且上方下方及各側方よ  り見得べきものたるべし」
  第七條は、航空機の記章が航空の途中に取外し得ない樣に固著せられる事を要求する。現在の軍用機の記章は塗料を以て機體に直接に描かれるのを常とし、從って實際上第七條の要求に合するが、法律上の義務としては、軍艦が取外し自在なる軍艦旗を以て交戰資格を表示し、且っ敵の攻撃を免れる爲に必要に應じて是を取外す事が(勿論敵に向つて攻撃を開始する場合には別であるが)許されて居る以上、航空機にのみ固著記章を附する事を要求することは、妥當でないと信ずる。
船舶及び航空機の交戰資格が表示せられて在る以上は、船舶及び航空機の乘組員は、船内又は機内に存する限り、個人的に交戰資格を表示する事を必要としない。從つて敵地に着陸して捕へられた軍用航空機の乘組員は、軍服其の他の記章を著けて居なくとも、俘虜の待遇を受ける。機體を離れて後に敵情偵察又は鐡道爆破等の行爲に從事する場合は別の問題であるが、單に機體を離れて逃

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走しようと企てゝ、途中に於て捕へられた場合には、軍服を著用して居ないことが俘虜の待遇剥奪の原因とはならない。
 空戰法規一五條「軍用航空機の乘員は、其の航空機より離れたる場合に於て遠方より認識し得べき性質を有する固著の特章殊徽を帶ぶベし」
  此の規定は、乘組員が機體を離れた場合に右の記章を佩用する事を要求するに止まらずして、航空機に搭乘して居る時から佩 用する事を必要とするのであるが、此の規定の下に於ても、敵地に著陸して乘組員が機體を離れずして捕へられた場合には、記 章を佩用せざるの故を以て俘虜の待遇を奪はれるものではない、と解すべきである。機體から離れて逃走を企てた場合に、第一 五條の下に於ける其の取扱は、本文に述べた私見と一致するか否か疑問である。
交戰資格無き、又は交戰資格を正當に表示しない者の敵對行爲を處罰する理由は、其の秘密性が齎す危険の大なることに在る事は既に述べた。從つて害敵手段が船舶又は航空機を基點として行使せられるものである場合に、船舶又は航空機自身が交戰資格が有る時は、船内又は機内に在つて害敵手段を行使する個人の交戰資格の有無は問ふことを要しない。其の反對に、交戰資格無き船舶又は航空機を基點として行使せられる害敵手段は、假令行使者が交戰國軍人である時にも、戰時犯罪を構成する。
 軍艦又は軍用航空機の乘組員の行使する害敵手段であつても、船舶又は航空機を基點としないも

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のである場合、例へば軍艦の乘組員が陸戰隊を編成して上陸し、又は軍用航空機の乘組員が敵地に著陸して機體を離れて軍事工作物の破壊其の他の敵對行爲に從事する場合には、個人的交戰資格の有蕪、及び其の外部標識は重要となる。此の場合には、交戰資格なき、又は正當に標識しない個人の敵對行爲は戰時犯罪を構成する。
 大戰中屡々實例を見た間諜の空中輸送、即ち敵情偵察又は鐵道破壊等の任務を帶びた個人を飛行機に乘せて、敵の地上戰線を越え其の後方に至り、落下傘に依り又は飛行機自ら著陸して之を降して其の任務を遂行せしめる事は、斯かる個人が變裝せざる軍人である時は、何等國際法上問題は生じない。然し斯かる場合に用ひられるのは原則として私人又は私人に變裝せる軍人である。
從つて彼等は敵に捕へられた時戰時犯罪人として處罰せられる。此の事は明かであるが問題となるのは、彼等を輸送した軍用航空機乘組員が敵に捕へられた時の其の地位である。後者も亦共犯として戰時犯罪人となるか、或は軍人たる資格が之を救ふか。大戰中の交戰國の見解は前説を肯定したものゝやうである(Spaight,Air Power and War Rights二七二-二九〇頁參照)。一九二三年の空戰法規は此の問題に解決を與へて居ない。

                第二項 間   諜

 私人又は私人に變裝せる軍人にして、一方の交戰國の利益の爲に其の敵國の領土又は敵軍の占據する地帶に潜入して、軍事上の情報を探り又は軍事行動を妨害する者を、一般の用語として間諜と云ふ。間諜に對して、被害者たる國家は之を捕へた時刑罰を課する權利鴨持つ。死刑は彼等に加へられる普通の刑である。此の刑罰の目的は、一般豫防、即ち同種の犯罪の頻發を防ぐ爲の見せ

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しめである、從つて愛國心に基づく犠牲的精神から出る事の多い彼等の行爲の道徳的價値は刑の量定を左右しないのを常とする。
海牙の陸戰條規は間諜と題する一章を設け、間諜行爲の構成及び處罰の要件に就いて、右の慣習法の規定と甚だ異る、且つ意義不明暸な既定を設ける。
  第二九條「交戰者の作戰地帶内に於て、對手交戰者に通報するの意思を以て隠密に又は虚僞の口實の下に行動して情報を蒐集し又は蒐集せんとする者に非ざれば之を間諜と認むる事を得ず。故に變装せざる軍人にして情報を蒐集せんが爲敵軍の作戰地帶内に進入したる者は之を間諜と認めず、又軍人たると否とを問はず自國軍又は敵軍に宛てたる通信を傳逹するの任務を公然執行する者も亦之を間諜と認めず。通信を傳逹する爲及び総て又は地方の各部間の聯絡を通ずる爲輕氣球にて派潰せられたるもの亦同じ」
  第三〇條「現行中捕へちれたる間諜は裁判を經るに非ざれば之を罰する事を得ず」
  第三一條「一旦所屬軍に復歸したる後に至り敵の爲に捕へられたる間諜は俘寡として取扱はるべく前の間諜行爲に對しては何等の責を負ふことなし」
 右の第二九條一項は、間諜爲行【ママ】を購成する四の要件として、(一) 一方の交戰者の作戰地帶内に於て、(二) 相手交戰者に通報するの意思を以て、(三) 秘かに、又は虚僞の口實の下に、(四) 情報を蒐集し又は蒐集せんとせる事、を擧げる。此の四要素を悉く備へて居ない行爲は間諜行爲とならない。
 從つて作戰地帶外の敵國領土及び敵軍占領地に於ける軍事情報の蒐集、及び作戰地帶の内外を問はず情報蒐集以外の手段を以てする敵軍軍軍行動の妨害(敵の軍用鐵道。火藥庫の爆破の如き)は、此の規定に從へば間諜行爲でない事になる。然し木條が、此の種の行爲を處罰する交戰國の慣習法上の權利を廢止しようとするものであるか、又は單に陸戰條規の用語としての間諜を定義義す

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るに止り、 一般の用語としての間諜にして本條の間諜に該當しない者を處罰する交戰國の權利には觸れないものであるか、は明瞭でない。
 本條の成立の由來に徴すれば寧ろ第一の解釋が肯定せられる。 一八七〇年の獨佛戰爭に於ける獨軍の巴里攻圍の際、獨逸軍によつて未だ占領せられて居ない南部諸州との連絡を通ずる爲に氣球に乘じて巴里を脱出する者が續出した結果、獨逸軍は斯かる行爲に從事する者を間諜として處罰すべき事を宣言した。此の事件が其の後の國際法學界の問題となり、一八七四年のブリュッセル陸戰法典編纂會議に於て議題の一に掲げられ、此の會議の採擇したブリュッセル宣言の第一九條以下の規定が作られた。陸戰條規二九條は其の第一項に於てブリュッセル宣言一九條を、又第二項に於て宣言二二條を殆んど文字通りに再録したものである。故に陸戰條規二九篠二項の最後「軍又は地方の各部分間の連絡を通ずる爲氣球にて派遣せられたる者は間諜と認めず」は、斯かる者を、交戰資格無くして敵對行爲に從事する者として處罰する事を禁止しようとするものである事は明かである。然るに此の第二項は「故に」と云ふ接續詞を以て第一項と結ばれる、從つ一て第一項に於ける「間諜と認めず」も亦、單に陸戰條規の、用語としての間諜を定義するだけの意義を有するものではなく、第一項に定める四の要件を具備しない個人を、交戰資格無くして敵對行爲に從事する者として處罰するを得ない事を、完めたものと解釋するの外はない。
 然し情報蒐集のみを罰して、夫れ以上に危險な破壞行爲を罰してならない理由は無く、又作戰地帶内の情報蒐集のみを罰して地帶外に於ける夫れを罰してならぬ理由は無い、海牙會議後の如何なる戰爭に於ても第二九條は交戰國に依つて遵守されなかつた。
實際上の必要と調和せしめる爲には、第二九條は單に陸戰條規の用ひる間諜の語義を定めたに止まると云ふ-恐らく制定者の意圖に合しない-解釋を採るの外はないであらう。
 第三條も亦慣習法上の交戰國の權利を制限する規定であつて、且つ斯かる制限を加ヘた理由は不明である。慣習法上間諜の處

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罰は、間諜が現行中に逮捕せられた事を要件とせず、逮捕が行爲完了後に行にれた時と雖もなすことが出來る。然るに本條は、間諜が一旦所屬軍に復歸せる後敵に捕へられたる時は前の間諜行爲に就いて處罰せられず、と定める。間諜に對する交戰國の刑罰權を斯く制限する根據は、多數の學者に依つて次の樣に説明せられる。「間諜行爲が道徳的に見て賞讃すべき場合多きに拘らず交戰國が之を罸罰するのは、其の行爲が自國にとつて危險なるに由り、此の危險を防止する必要に、基づく。從つて行爲が終了し危險が既に現實のものとなつた後に、間諜を逮捕處罰する事は無意義である」と。
 間諜行爲を處罰する理由が、行爲の醸す危險を防止する必要に在る事は、既に述べた樣に眞實である。然し此の處罰の目的は、問題となつた具體的間諜行爲の醸すべき危瞼を防止する事にあるか、又は同種の行篇が他の人々に依つて行はれる事を威嚇防止する一般豫防のためであるか。若し前者ならば行爲終了後處罰の必要の無い事は理解せられるが、然し間諜を逮捕した時、必要の期間彼を拘禁するに止めずして通例銃殺の刑に處するのは、此の目的を越えた刑罰であり、一般豫防としてのみ斯かる刑罰の必要は了解せられる。而して一般豫防の目的である時は、行爲終了後の處罰の必要は無いとの結論は生じないであらう。故に本條は、間諜の運命を出來得る限り緩和せんとする人道主義以外に根據を求める事を得ないと思ふ。若干の學者が此の規定を「法學的構成不能の變態規定 juristisch nicht konstruierbare Anomalie」と批評するのは蓋し適評である(Meurer 海牙平和會議、 二巻、 一八九頁及び此所に引用せられた Zorn の言を參照)。

   即時に利用され得べき軍事上の情報の航空機による傳逹

 右の陸戰條規二九條は、非軍用航空機が軍事上の情報の傳達に從事する事を一般に適法と認めるが、此の規定に對しては既に大戰前から非難の聲が在り(Manchot 航空及び空戰の國際法的整の藤發逹、一九三〇年、四九頁及び註七〇文獻參照)、一九二三年の空戰法規も、「軍事上の情報にして交戰者が直に利用すべきものを、航空の途中に於て傳達する事」を、非軍用航空機に禁止

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せらるべき敵對行爲の三とワ(一六條一項)、陸戰條規二九條の原則に除外例を設ける。此の除外例は、航空機が、(一)空中より無電又は信號の方法に依つて、(二)一方の交戰國が即坐に利用し得べき軍事上の情報を傳達する場合、にのみ關する。單に軍事上の情報を信書として輸送するが如き行爲は此の中に含まれない。空中よりする右の如き情報傳逹行爲の危險性が特に大きいために、乏を處罰する權利を交戰者に與へようとするのである(尚ほ無電管制法規六條一號參照)。

               第三項 普通船舶及び航空機の軍艦及び軍用航空機への變更

 軍艦以外の船舶及び非軍用航空機、例へば國有及び民有の商船、トロール船、商業航空機、郵便機の類も、交戰國が正規軍人を搭乘せしめて是を指揮及び操縦せしめ、軍艦旗其の他交戰國の軍艦又は軍用航空機の特殊記章を附する時は、交戰資格を取得する。
乘組員の全部を正規軍人を以て充當する事は必要ではないが、軍人以外の乘組員も指揮者たる軍人の直接の支配の下に置かれることを必要とする。
商船を軍艦に攣更する事に關しては一九〇七年の海牙條約が在るが、其の要旨は右に述べた所と異らない。
 第一條「軍艦に變更せられたる商船は、其の掲ぐる國旗の所屬國の直接の管轄直接の監督及び責任の下に置かるるに非ざれば、  軍艦に屬する權利及び義務を有する事を得ず」
 第二條「軍艦に變更せられたる商船には其の国の軍艦の外部の特殊記章を附する事を要す」
 第三條「指揮官は國家の勤務に服し且當該官憲に依て正式に任命せられ其の氏名は艦隊の将校名簿中に記載せらるべきものとす」
 第四條「乘員は軍紀に服すべきものとす」

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 第五條「軍艦に變更せられたる一切の商船は其の行動に付き戰爭の法規慣例を遵守すべきものとす」
 第六條「交戰者にして商船を軍艦に變更したるものは成るべく速に右變更を其の艦隊表中に記入する事を要す」
 本條約は商船と云ふ語を用ひるが、商船以外の公私船舶を軍艦に變更するに際してても準用せらるべきである。條約は只最も普通に起る場合を考慮して商船の語を用ひたものである。
 非軍用航空機を軍用航空機に變更する事に就いて條約は未だ無いが、 一九二三年の空戰法規は第九條に於いて此の變更の許さるべき事を規定する。故に非軍用航空機も第三條(外部標識)及び第一四條(指揮者及び乘組員が軍人たること)の二要件を充す時は軍用航空機に變更せられ得ることゝなるのである。但し第一四條は、乘組員が全部軍人たる事を要す、と定めるから、若し空戰法親が實際に行はれるものとせば、商船を軍艦に變更する場合に比して過重の條件を課せられる事となる。然し斯かる條件が必要か否かは疑はしい。既に述べた如く、交戰資格無き者の敵對行爲を禁止するのは其の秘密性の齎らす危險の大なる事に基づくものであり、而して航空機としての交戰資格がある時に此の航空機を基點として爲される敵對行爲は、何人の手に依つて爲されるかを問はず此の危險を含まないからである。
 變更の場所の問題
 商船の軍艦への變更に關聯する法律問題であつて今日迄の國際會議に依つて數次の努力に拘らず解決を見ないものは、變更の場所の問題である。交戰國が白國港又は占領地港に於て商船を軍艦に變更する事の適法性は疑ひ無いが、是等の港を商艦として出帆した船が公海に於いで俄かに軍艦に變じて商船拿捕に從事する事を事を若し許す時は、公海の交通の安全は甚しく害せられ、殊にかゝる船舶が、中立港に於て商船として、中立法上軍艦としては享け得ない逆宏便益を享け、公海に出れば軍艦として行動して、戰鬪及び敵船中立船の捕獲に從事する詐欺的行爲を敢てする便宜を與へる結果となる。故に公海に於ける變は禁止すべきであると言ふ説

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が有力である。此の問題が世人の注意を集めたのは日露戰争中の一事件に由來する。
 露西亜の黒海に在つた義勇艦隊の數隻は、海峽條約により軍艦の通航が禁止せられてあつたボスフォラス・ダーダネルス海峽を商船の資格にて通渦し、其中二隻、ペテルブルグ號及びスモレンスク號は紅海に達した後軍艦旗を掲げて、東洋に向ふ英獨商船より禁制品を押収し、又ぺテルブルク號は一隻の英商船(ピーオー汽船會社のマラッカ號)を拿捕した。此の爲に生じた英露間の紛爭は、露西亜政府が英船を解放し且つ將來同種の行爲を爲さゞるべき事を約したに依つて落著したが、 一般に商船を公海に於いて軍艦に變更することが許されるか否かの法律問題は、此の時以來世の注目を惹き、遂に一九〇七年の海牙會議の議題に上された。
會議に於て否定説を採つたのは、英・日・米・伊・和蘭・ブラジルの諸國であつた(但し伊太利は戰爭開始前に本國港を出帆した商船に就いて例外を認むべきことを主張した)。其の論據は、右に述べた公海の交通の安全特に中立海運の安全の保護の要求と、英國代表の主張した法理論「商船を軍艦に變更する行爲は主權的行爲であるから 交戰國は其管轄(交戰國領水及び占領地港)外に於いて是を行ふ事を得ない」とであつた。肯定説を唱へたものは、露・獨・墺・佛の諸國てあつたが、獨逸全權は右の英國の法理論を駁して、「軍艦の變更が主權的行爲なりとするも其の故を以て公海に於いて是を行ふを得ずとする理由はない。國家は公海に於ける自國船舶内に於いて主權を行使するものであるからである」と云ひ、又露西亜全權は「交戰國が其の拿捕せる敵商船を、自圃捕獲審檢所に引致するに先立つて、公海に於いて軍艦に變更する事の適法性は一般に認められ、、又英國の實行する所である。此の現行法の下に於いて、自國船舶を公海に於いて軍艦に變更する事を禁止すべき理由はない」と唱へた。
  我が國の或學智は、商船を軍艦に變更する事は主權的行爲なるが故に、他國の領域内に齢のいては爲す事を得ざるも、公海は何れの國の領域にも屬せざるが故に、特に篠約を以て禁止せざる限りは之を爲し得る、と唱へる。此の説は右の獨逸代表の説と似面非なるものであつて、公海の法律的性質を正しく解しないものである。獨逸代表は、國家が公海に於いて原則として主

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  權的行爲を行ふを得ない事を認め、只自國船舶に主權が及ぶ事を唱へるのみである。
斯くの如く重要な海國の意見が二分した結果、會議の採擇した「商船を軍艦に變更する事に關する篠約」中に、變更の場所の問題に就いては規定を設け得ず、條約の前文に、此の問題が未决の問題なる事を特に明記した。本問題は更に一九〇一八年の倫敦會議に引繼がれたが、此の會議に於いても遂に意見の一致を見るに至らなかつた。
獨逸代表の法理論が本問題を解決しない事は明かである。國家は公海にある自國船舶内に於いて主權行爲を爲し得ることは眞實であるが、若し此の事から直に商船を軍艦に變更する事を許すべしとの結論が生ずるならば、一旦軍艦に變更船舶を再び商船に變更する事も亦許さる可きである。從つて同一の船舶が、機に臨み變に應じて或は軍艦と成り又は商船と化して行動する自由を與へられる事となる。斯くの如き結果を許し得べしとは何人も主張せず、そして斯くの如き結果を許すべからずとする根據は、公海交通の安全、中立國の利益の考慮に外ならない。然るに此の考慮を貫く時は、第一囘の變更、即ち商船として自國又は中立國の港を出帆して公海に於いて軍艦と成る事の正當性も亦疑はれねばならぬ。只露西亜代表の唱へた所の、敵商船を捕獲後直に軍艦に變ずる慣行を基礎とする説は、注意に値する(我が海戰法規一三二條も亦敵商船を捕獲後審檢所に引致するに先立ち海上に於いて軍艦に變更する事を認める)。此の慣行が詐されて居る以上、自國商船を公海に於いて軍艦に變更する事も、捕獲商船を軍艦に變更する事が許されて居ると同じ程度に於いて、即ち第一次の變更のみは、適法と見做すことは止むを得ないと信ずるする事が許されて居ると同じ程度に於いて、即ち第一次の縫更のみは、適法と見倣すことは止むを得ないと信ずる。但し此の攣更の適法性を認めるのは
(一) 現行法の解釋としてゞあつて、立法論として變更を禁ずべきか否かの問題とは關係は無い。立法論としては我々は寧ろ禁止説に輿したい。然し之を禁止すべしとすれほ、捕獲物を海上に於いて軍艦に變更する事も併せて禁止すべきである。
(二) 國際條約に依り軍艦の通航を禁止する海峽・運河等を商船として通過した後、外海に出て軍艦に變ずる事が、此の國際條約

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の違反を構成しないか否か、の問題とも關係は無い。是は個々の條約の解釋の問題に歸するが、一九〇四年の露西亜義勇艦隊の行動は、明かに一八五六年の海峡條約の精神に反する。
 軍用航空機以外の航空機を軍用機に變更する事に就いても、右と同一の理由により航空機の本國(及び占領地)以外に於いて是を行ふことは禁止するを可とする。海牙空戰法規九條は「交戰國非軍用航空機は其の公たると私たるとを問はず之を軍用航空機に變矯する事を得。但し右變更は該航空機の屬する交戰國の管轄内に於いて之を行ふべく公海に於いて之を行ふ事を得ず」と定める。本條は元日本の提案に出で、佛蘭西代表は賛成を拒否したが、Lex ferenda(立法論)として此の規定は適當であると信ずる。

                第四項  普通人、普通船舶及び普通航空機に交戰資格の認めらるゝ場合

 前述の原則に對する例外として、國際法は一定の條件の下に、普通人及び之に凖ず可き船舶航空機に、交戰資格を認める事がある。此の條件に從つて敵對行爲を爲した個人は、敵の手に捕へられた時、俘慮として遇せられ、戰時犯罪人としての處罰を受けない。

 羲勇兵團及び群民蜂起

 海牙陸戰條規は

(一) 人民の自發的に組織した團體であつて、一定の統率者(軍人たるか否かを問はず)を其の頭に戴き、旦つ其の團員が一定の記章を附して、武器を公然と携帶して敵對行爲を行ふもの(民兵團又は義勇兵團)(一篠)
(二) 敵國軍の侵入を受けた地方の住民であつて、團體を組織し統率者を選ぶ時間の餘裕無くして侵入軍に向つて抵抗を企てるも の(群民蜂起 Levee en en masse)

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に交戰資格を認める。.第二の例外は、敵國軍の侵入を受けた地方の住民が郷土愛に基いて敵國軍に抵抗する事は人情の自然に出で、之を戰時犯罪人として處罰するは酷に過きる、と言ふ人道的考慮に基づく。但し此の場合にも武器を公然と携帶する事、及び其の行動に就き戰箏法を遵守する事は必要とせられる(二條)。叉此の交戰資格は、侵入軍が該地方を完全に占領して軍政を布き、事實上統治の權力を把握すると同時に消滅する。其の後人民が占領軍を撃退しようとする時は、第一條の要件を充たして闘はねばならぬ。