大河ドラマのトリを飾るのは……

『どうする家康』の第11話『信玄との密約』では松本潤さんが演じる家康が松平から“徳川”に苗字を変え、徳川家康となった。

家康が源氏の血を引いていることを証明出来ればという話から、源氏の血を引くことを証明した先祖は世良田や得川という苗字を名乗ったらしいという話になり、そして家康の苗字も得川にしてはどうかという話となっていったのだが、そこで家康はかつての主君だった今川義元(野村萬斎さん)とのやり取りの中で自分が言った台詞を思い出す。

「武をもって治めるは覇道 徳をもって治めるのが王道」

もちろんこのドラマ内でのストーリーではあるが、松平家康が得川家康ではなく徳川家康となったのは、それが由来だった。

『どうする家康』は1話目で桶狭間の戦いがあったため、本編の時間軸での義元は1話目で戦死することになる。

しかしその後もこういった場で家康が義元のことを思い出し、義元の教えを大切にする描写があるということは、今作での家康にとって義元は死して尚尊ぶべき師であったようだ。

この他にも家康が織田信長(岡田准一さん)と同盟を結んだ後も桶狭間の戦いで戦死した義元を師と仰いでいるらしい描写は度々見られる。

例えば家康が本證寺に与えられた不入の権を犯して年貢を取り立てようとしたことから始まった三河一向一揆の最中、家康が本證寺側についた本多正信(松山ケンイチさん)から火縄銃で撃たれて死にかけた時には義元とのこんなやり取りを思い出していた。

義元は当時今川家の人質だった次郎三郎元信、すなわち後の家康にこう問うた。

「この国の主は誰ぞ?」

次郎三郎は「もちろん太守様(義元)にございます」と応えたのだが、それに対する義元の反応は……

「否!」(←ここガチで印象に残っています。さすが野村萬斎さん……)

不思議そうな顔をする次郎三郎に対して義元はこう続けた。

「この天下の主はな、あの男じゃ。そしてあの女じゃ。あるいはあの僧でもあり、あの百姓でもあり、あるいはあの年寄りでもあり、あの子供達でもある。よいか?あの者達が汗水垂らして得た米と銭で我等は生きておるのじゃ。我等は民に生かしてもらっておるのじゃ。よく覚えておけ。民に見放された時こそ、我等は死ぬのじゃ」

そしてその義元の台詞と共に、一向一揆で家康と戦って命を落とす民衆の姿、その民衆が平和に暮らしていた頃の姿が画面に映る。

大切にしなければならない民と戦うことになってしまったことを家康が深く後悔した瞬間だった。

このように家康にとって恩師であり死後も家康の中に大きく残る人物だった義元だが、それだけ人望のある人物であったが故にだろうか?

義元の死後、信長と同盟を結んだ家康と敵対することになった鵜殿長照(野間口徹さん)は家康を強く憎んだ末に戦いの中で捕虜となることを拒んで自刃という壮絶な最期を遂げているし、その妹の田鶴(関水渚さん)は夫の飯尾連龍(渡部豪太さん)が家康と和睦することを拒み、夫の死後に引間城の城主としてかつての皆が笑っていた時代を取り戻そうと家康と戦い、火縄銃で撃たれて命を落としている。

そして義元の息子である氏真(溝端淳平君)もまた家康のことを許せないでいるようだ。

今作を見ると、家康だけでなく駿河や遠江の多くの人々から慕われていた義元の死は、多くの悲劇を生むこととなってしまったように感じる。

以前の記事で触れた通り、歴史ドラマはどんな資料を参照するか、誰の視点で描かれるか、そして制作に関わる方々がどう描きたいか等が反映されるから同じ時代を描いた作品でも、作品によって違いが出てくることになる。

『麒麟がくる』で染谷将太君が演じた信長が桶狭間の戦いで片岡愛之助さんが演じた義元を討ち滅ぼした時は長谷川博己さんが演じた明智光秀から「皆が褒めてくれましょう」と言われていたのだが、今作では岡田准一さんが演じている信長はこの時点で家康を含む多くの人から相当恐れられているようだ。

しかしこの信長との同盟がなければ、家康の生涯は全く違ったものになっていただろう。

もし家康が今川方についたままだったら、鵜殿長照を初めとする人々のように戦いの中で命を落としていたかも知れないのだ。

従って信長もまた義元に負けず劣らず家康にとって大きな存在だったことは明白だ。

第11話の時点で信長は足利義昭(古田新太さんが演じるそう)と共に京入りするらしいことを言っていたから、いよいよ天下統一への流れとなってきているわけだし、ここからはより信長にスポットが当たるようになっていくだろう。

個人的にはやはり『麒麟がくる』では描かれなかった長篠の戦いがどう描かれるのかも気になる所だ。

また、信長が本能寺の変で自刃した後に信長に代って天下取りを目指した豊臣秀吉(11話の時点ではまだ木下藤吉郎で、演じているのはムロツヨシさん)もまた家康に大きな影響を与えた存在だと言えるだろう。

この他、三河の家臣団や三河の農民のために織田方につくよう、酒井忠次(大森南朋さん)と共に家康を説得したり今川方に捕えられていた家康の妻の瀬名(有村架純さん)を奪還するための交渉役を担う等、家臣団の中でも重役となっているが後に出奔することとなる石川数正(松重豊さん)も家康にとっては大きな存在だし、逆に瀬名奪還作戦で重宝されたかと思いきや三河一向一揆で家康を裏切り、その咎で追放される前には家康が自分のせいで一揆が起きてしまったことを悔いてそれでも三河を収めなければならないという覚悟を持っていることを知って助言を与え、後に戻ってきて家康から信頼される家臣となる本多正信も家康にとって大きな存在だ。

さらには家康の母である於大の方(松嶋菜々子さん)は現代の感覚で見ると強烈キャラな印象を受けるが、家康の父である松平広忠(飯田基祐さん)や家康を影で支えた戦国時代のお母さんだ。

ここで記事のタイトルを思い出して頂けるだろうか?

大河ドラマでは基本的にオープニングでキャストやスタッフが紹介されるが、キャスト陣の中でトップクレジットで紹介されるのはもちろん主役、すなわち『どうする家康』では家康を演じる松本潤さんだ。

そして今作ではヒロインに当たる瀬名役の有村架純さんがセカンドクレジットになっている。

それではトメ書きと呼ばれるキャストのトリを務めるのは……?

先程挙げた家康に大きな影響を与えた存在となった人物達の誰かだろうか?

確かに今川義元役の野村萬斎さんと石川数正役の松重豊さんは11話目までの時点で既に数回トリを務めている。

しかし、全キャストが揃った時の大トメと呼ばれるトリを務めているのは武田信玄役の阿部寛さんだ。

確かに武田信玄は家康について語る上で欠かせない人物の1人だ。

何しろ家康の生涯の中で唯一の負け戦といわれる三方ヶ原の戦いで家康を敗走させたのが武田信玄だったのだ。

そして『どうする家康』の11話では、信玄がいかに家康のことを見抜いているかが描かれた。

家康は今川領の駿河と遠江を狙う信玄と談判をすることとなったのだが、談判の場となった山寺に信玄は現れない。

代わりに山寺には信玄の家臣である穴山信君(田辺誠一さん)と山県昌景(橋本さとしさん)が来るという。

「わしが来ているのに信玄が来ないのでは割が合わん」(←だったと思います。違ったらごめんなさい)と怒る家康に対して「割を合わせたから穴山と山県をよこすのではありませんか?」と酒井忠次は言う。

忠次は「信玄がここだとすると、殿(家康)はここ」と手で表現するのだが、その手を石川数正が下げさせる。

一見すると数正は「いくら何でも殿に失礼だろう」と忠次の手を下げさせたようにも見えたが、そうではなかった。

忠次が「殿はここ」と手で表現していた所でその手を下げさせたということは数正は「否、もっと下」と言いたかったのだ。

これに対して尚更怒った家康は忠次と数正に「後はお前達に任せる」と告げると、本多忠勝(山田裕貴君)と榊原康政(杉野遥亮君)の2人だけを連れて寺から出て行ってしまった。

そして寺から出て行った家康達が石に腰掛けて「信玄は甲斐の虎などと言われているが実は猫のような男ではないか」と信玄の悪口を言っていた所に「日が傾くと、一気に冷え込みますでな」と、1人のお坊さんがお茶と団子を持って現れる。

当初こそ寺の和尚さんがお茶とお茶菓子を持ってきてくれたのかと思っていた家康だったが……

「猫は嫌いではない。寝たい時に寝て、起きたい時に起きる。あやかりたいものじゃ。非礼はお詫びいたす。堅苦しいのは好きではごさらんでな。このように、肩肘張らずに会った方が、相手のことを、よう分かるというもの」

そう。お坊さんの正体は信玄。

そして家康達の周りにある木の上からは武田家の家臣達が見張っていた。

「(今川領を)駿河からは我等が、遠江からはそなたが互いに切り取り次第で……ようござるな?」
そう言いながら信玄は家康の口に串に刺さった2つの団子を差し出す。

家康は震えながら団子の1つを半分かじり、残った半分ともう1個を信玄は一口で平らげた。

そして今川領の切り取りを急がざるを得なくなった家康は田鶴の命を助けられなかったのだった。

家康が怒って寺から飛び出して信玄の方が有利な状況で団子(密約)を差し出される展開はまさに後の三方ヶ原の戦いに通じる展開だ。

このように家康が唯一敗れた相手で且つ家康のことを見抜いている最大の脅威として描かれているわけだから、武田信玄を演じる阿部寛さんがキャストのトリを飾るのは何ら不思議ではないのだが、個人的には信玄がトリとなっている理由はそれに止まらないのではないかと思うのだ。

その理由を書く前に去年の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』のオープニングでのキャスト紹介を思い出してみよう。

トップクレジットはもちろん主人公、北条義時を演じる小栗旬さんだった。

セカンドクレジットは源頼朝役の大泉洋さんだろうか?それとも北条政子役の小池栄子さんだろうか?……と思っていたら、ヒロインポジションとなる八重姫役の新垣結衣さんだった。

サードクレジットは源義経役の菅田将暉君だったのでちょっと意外な気もしたが、前半のメインとなった源平合戦で最大の功労者となり、平氏が滅びた後には鎌倉にとって最大の脅威となり、義時が粛清した(させた)最初の1人だということを考えるとなるほどと思える配置だ。

では、大トメとなるトリは?

……義時と深く関わる人物の中で、北条政子役の小池栄子さんや北条時政役の坂東彌十郎さんの名前は既に出ていた。

そうなってくると源頼朝役の大泉洋さんか?大泉さんついに大河ドラマのトリか?

……と思った直後に後白河法皇役の西田敏行さんの名前が……

盛大にずっこけたのは僕だけではないはずだ。

確かに後白河法皇は前半のメインとなる源平合戦に大きく関わった人物ではあるけど義時との関わりは僕の記憶違いでなければドラマ内で1回しか描かれていなかった。

正直、「演じていたのが大御所の西田敏行さんだから義時とほとんど接点がないのにトリにした感じなのか?」とも思っていたのだが、そうではなかったことが後に判明する。

後白河法皇が病没した回で、後白河法皇の意思は後鳥羽天皇に受け継がれていくということが語られたのだ。

後鳥羽天皇、すなわち後の後鳥羽上皇(尾上松也さん)は後に承久の乱を起こすこととなる。

後白河法皇役の西田敏行さんが『鎌倉殿の13人』でトリを飾った最大の理由は、武士が台頭してきた世の中を天皇を中心とする世の中に戻そうとする意思が後鳥羽上皇に受け継がれ、承久の乱へとつながっていくことの伏線だったのだ。

その上で再度『どうする家康』の武田信玄に注目してみよう。

風林火山の名将として恐れられた信玄だが、実は同じ相手に2度敗れたことがあった。

信玄(当時の名は晴信)を2度破った武将の名は村上義清。

信玄が北信濃に進出してきた際、義清は1度目は上田原の戦いで武田の軍勢を挟み撃ちにし、武田の重臣だった板垣信方や甘利虎泰を討ち取って信玄を敗走させたのだった。

2度目は砥石城に侵攻した信玄の背後から義清と和睦した高梨政頼が攻撃し、信玄は再び敗走することとなった。

しかしその後、信玄の家臣の真田幸綱(幸隆)によって村上方の武将が切り崩されたことで砥石城が攻略され、義清はどんどん信玄に追い詰められていった。

そして義清は信濃から越後へと逃れ、上杉謙信を頼ったのだった。

そしてそこから、川中島の戦いへとつながっていくことになる。

ここで注目して頂きたいのが、信玄の家臣で砥石城の攻略に成功した真田幸綱だ。

真田という苗字に聞き覚えはないだろうか?

……そう。真田幸綱は真田昌幸の父で、幸村の祖父だ。

昌幸と幸村は信玄とその子の勝頼に使えたが、天目山の戦いで武田家が滅亡した後に自立して織田信長の軍門に降り、本能寺の変の後に再び自立して最終的には豊臣秀吉の下で所領を安堵されたのだった。

そして……。もうお分かり頂けるだろう。

武田信玄に仕えていた真田一族は関ヶ原の戦いや大坂の陣で徳川家を苦しめることとなる。

……信玄を演じる阿部寛さんは『どうする家康』における紛れもない大トリだったようだ。

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