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瑠璃の部屋57

「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」読み終えた。「人間」性と「アンドロイド」性がテーマになっているようなのだが、1シーンだけ、腑に落ちないところがあった。(なぜ、山羊を?)ここだけが、どうにも分からなかった。
(この本を読んだ人と、論議を交わしたい)そう、初めて思った本だった。
あ!そうか、あとがきに参考になる記述があるかもしれない。期待に胸膨らませ、訳者あとがきを。なるほど、そういう作品なわけだ。「・・・合理的な解決のないままに終わる結末・・・」。そう言われると疑ってかかりたくなるのが俺の天邪鬼たる性格で。

確かに軽い感じで終わってはいたけど。そうか!あれはストーリーではなく、筆者の都合だ。本物の山羊では駄目なんだ。デッカードが、子供のようにウキウキして持ち帰った、それほど価値のないそれを、彼のために・・・なるほど。全体を読むからこそ、最後のシーンが持つ意味がわかる。だからわざわざ「自分のために熱いブラックのコーヒーをいれる」と書いてあるんだ。わかった!ひょっほーい!

作者はフィリップ・K・ディック 1982年に没している。訳者のあとがきには、映画「ブレードランナー」公開前に没したと書いてあるが、wikipidiaによると生前の公開と書いてある。まぁ、情報源から言えば、訳者のあとがきに軍配が上がるだろうが、謎は謎のままってのもいいかもしれない。