だから僕はデリカシーがない。
「あんなやつもう別れたったわ」
「私もあんなにデリカシーのないやつだとは思わなかった」
以前見た、女性二人がやっている生放送の視聴者コメントとの会話だ。
付き合っていた彼氏と別れたらしい。
そんな内容だった。
このデリカシーってなんだろう。自分のなかで何か引っかかるものを感じた。
漫画の世界でしか耳にしたことのないデリカシーという言葉。
調べてみると、
繊細さ・気配り
類語:無配慮・無神経
とある。
自分もこのデリカシーとやらがないのではないかと心配になり、
同時にこういうことを他の人はどう考えているのかが初めてここで気になった。
何も言えない子ども時代
自分は、人の気持ちを考えるよりも、思ったことを優先して正直に言ってしまうことがよくある。
これを言ってしまったら相手が傷つくかもしれないと思うことがあっても、空気を読まずについ口に出してしまうのだ。
小さい頃はとても無口で、自分の思ったことを言わない子だった。
言えない子だった、と言った方がいいかもしれない。
自分で自分をよく理解できてないのもあるし、頭のイメージや考えを言葉にすることがとにかく苦手だった。
ある時から、思い切って自己の内にある想いのカケラをぶしつけに発するようにしてみた。
こんなことをして、相手を傷つけるかもしれない。
間違って伝わるかもしれない。
それが怖い。
でも、何も言えずにモヤモヤするよりはずっといいのではないか。
そう思って、空気を読むことはせずに開けっぱなしな言葉で自分の意思を伝えようとしている。
これが悪いことだとは思えない。
しかし、この女性たちの生放送を見て、デリカシーのない発言になっているんじゃないかと心配になった。
『コジコジ』から見るデリカシーのなさ
さくらももこ原作のアニメ『コジコジ』を知っているだろうか。
作中でこんな話があった。
――――――――――――
オシャレを自称しているキャラが自慢の服を着てきた。
それは中世ヨーロッパのような服で、首元には襞襟(ひだえり)がついていた。
それを見て、主人公の妖精コジコジはこう言うのだ。
「その服ちょっと変だね」
コジコジは正直な感想を言っただけで悪意があるわけではない。
まわりの友達もコジコジに賛成して離れてしまい、その服を着てきたキャラはガッカリしてしまう。
――――――――――――
それが、おそらく自分にも起きている。
自分はこれがいい事だと思っている。
真正面からこのように言えば、もうその服は着てこないだろう。
他にも同じように思っている人はたくさんいたので、恥を上塗りしてしまうのを防ぐことができる。
でも、本当にそれが正しいのか。
だって話を聞いてくれないじゃん
「言い方を考えろ」
という人もいるだろう。
それはもっともだ。
しかし、遠回しな言い方はどうにも伝わらず、結局無視される傾向にある。
「それはちょっとどうかなーとも思いますけど」
と言ってもまったく伝わらない。
ちゃんと
「それはないです」
「おいしくないですね」
「ダサいです」
とはっきり言わないと、そもそも話を聞いてくれない。
もともとわかりにくい話し方をする自分が、もっと遠回りかつ人に伝えられる言葉を考えられるほど器用ではない。
言葉を作り出すのに時間のかかる自分がそんな巧みな表現を考え付くのに、おそらく12時間はかかるだろう。
すると、その話をする機会は永遠に失われてしまうのだ。
だとしたら、なにも気にせず自分の意見をぶつけたほうがマシなのではないか、と思うのである。
対策法がない
デリカシーのない発言が出るのは、自分の場合はおそらく2パターンある。
ひとつは人の気持ちを考える前に言ってしまう時。
もうひとつは、わかっているけれどあえて空気を読まずに発言する時だ。
ポロっと出てしまうときは気をつけようがない。
本当に一言一言気をつけようとすると、小さいころのようにまったく話せなくなるからだ。
そして空気を読まずにあえてする発言。
これは治す気がない。
それは、自分で正しいと思っているから。
多分傍から見れば、嫌な奴かもしれない。
自分はそれがいいこと、マシなことだと思っている。
この差はきっと埋められない。
あなたはデリカシーのない発言をする人を、どう思うだろうか。
……こんな話、普段できないから他の人の意見を聞く機会が無いんだよね。
だから書いてみたんだ。
それだけ。
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