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ECDという人のこと

ECDが亡くなってからもう随分経つ。当時は特になんの感慨もなかったけどここ最近考えが変わりつつある。

僕がヒップホップに興味を持ったのはDragon AshがZeebraと一緒に曲を出した頃だったかと思う。あれは中学を卒業するくらいだったか。当日地方都市に住んでいた自分からしたらOPAの上にあったタワレコに置いてあるCDが音楽の全てで、まだそこにはJapanese Hiphopは大して置いてなかった記憶がある。

高校に入ってターンテーブルを買ったのでようやくアナログを探せるようになって聞ける曲の幅が広がって、確かLibroのfirst e.pなんかを買ったのを覚えてる。ロンリーガールっていう曲がヤバいと聞いてECDのレコードもこの頃に買った。前奏のK DUB SHINEの合いの手がダサいなと思った。

当時そう思って申し訳ないけど(そして今もそう思ってるけど)別にラップが上手いわけじゃないんだよね。ロンリーガールもトラック欲しさに買った記憶がある。10年以上あとに当時出ていたアルバムを聞いたときも相変わらずだなと思ったくらいだ。ECDは僕からしたらさんぴんキャンプをやったというだけで有名だったというイメージがあって、晩年は極端な活動に染まっていってしまったので(スペクタクル社会のジャケットにドン引きした)もうあの人は終わったと思ってた。亡くなったときにもああそうなんだ、くらいの感じだった。

ただなんとなく、植本一子の本を読んでからこの人への評価が変わりつつある。植本一子の一連の本はAmazonでも酷評されているレビューが合ったりで賛否が分かれると思うけど、個人的には凄く文章がうまいと思ったし、別に読んでいて嫌な気持ちにはならなかった。流石にECDが亡くなる間際の正直な気持ちはどうかと思ったけど。

彼女の本で現されていたのは一人の弱い人間としてのECDで、苛烈にデモ活動をする姿とか、ラップで強い言葉を吐く人と同じ人には感じられなかった。

すこし時間ができたので、ECDの「他人の始まり 因果の終わり」を買って読んだ。なんだよこの人、すごく素敵な文章を書く人じゃないか。読むうちにどんどん惹きつけられていって止まらなくなるタイプの文章を書く人だなと思った。

本を読む限り決して順風満帆だった人生ではないと思う。けど晩年には二人の子供がいて、その子達に看取られていくのは決して不幸ではなかったと思う。最期の妻との関係はわかんないけど。

病に苦しみながらもできる限り普段の生活を続けるなかで、あんなにもきれいな文章をかける才能を持っていたこと、亡くならなければもう何冊かはこの人の書いた本が読めたのにと思うと今更ながらいなくなってしまったことが残念でならない。


もう少し早く気づければよかったんだけど。

奇しくも先月末にはBuddha Brandの新譜も出て、2000年前後の雰囲気を思い出したこともあってECDのことを強く再認識してこういう文章を書いています。



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