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真実はいつも危険

ごきげんよう、で御座います。

大阪でごきげんようなんて言ったら「芦屋かいな」って言われそうですがw上品ぽいことは全部芦屋って言われるw

いつもお早い更新ありがとうございます。

まったくもって、がっちり「バーチャルメガネ」をかけて生きてる人の多いことよ。現実主義者を自称する人ほど幻想しか見ていない。オカルト界隈の方のほうが現実を見ていたりします。TwitterのOSHObotさんの引用。

目の前の世界は幻想であるというのは仏教の基本的な概念ですから、多くの人が幻想しか見ていないのは今に始まったことではなさそうですが、現在は誰かの都合のよい幻想がまるで事実みたいに巧妙になって大衆に流布されている特徴があるように思います。

ただ多くの人は、うすうすおかしいなと思ったとしても、それでも幻想の方を選びます。なぜなら、ここにもあるように真実は危険なので。薄い偽物ばかり食べている人が、本物を食べると、体の調子を壊してしまいます。命も危ういかもわかりません。

ところで、漢文のガイド的記事をいつもありがとうございます。毎回「ああこの一節見たことあるけどこういう意味だったのか~」って思います。この「漁夫」もそのうちの一つ。

周りは「はだかの王様」が、豪華な衣装を着ているという幻想に酔いしれている。自分はそれが嫌でしょうがない。
「王様は、はだかじゃないか」と叫んで迫害される道を選ぶのか。
または、処世術とわりきって、周囲に口を合わせるのか。

二択ではないとは思うけれども、このジレンマについてどう受け止めればよいかと易に聞いてみた。

すると!!!

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「 沢天夬 」の卦を得ました。決壊寸前…やっぱり…(;´∀`)

一番、納得のカードだが、一番ヤバいっていうか出てほしくなかったくらいのカード。

キーワードとしては
『あふれる、脱皮、下剋上、変容、地位剥奪、蓋が飛ぶ、変化の前兆』ってかんじで、いうたら「もう我慢の限界じゃあ~~~!!!」っていって大爆発、ボロボロになった蓋(トップ)を吹き飛ばす直前っていう感じですね。


OSHOは何というでしょうか。同じ質問をOSHOタロットにしてみました。すると!!!これまた、なんと~~!!

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「Ⅳ THE REBEL」これは、タロットで言うところの大アルカナ「皇帝」なのですが、OSHOでは「反乱を起こす者・反逆者」となっています。

なんと、鳥肌立ちました。先ほどの「夬」で、「愚かな王」を討った人物が「皇帝」となり民衆を率いて立ち上がるすがたがこの「THE REBEL」の人物ということです。連続したコマとしてこの二枚のカードが出てきました。この人物、情熱と信念を象徴するたいまつをかかげて、足元で鎖をぶった切っていますが、このぶった切られている鎖の方が、「夬」のカードに描かれている、刺されたがわ(古い王)が布いた決まり事でしょう。

これは納得で、OSHOのセリフにも「マジョリティは常に愚かである。マイノリティにこそ活き活きとした真実と信念に溢れている。そしてそのマイノリティが勢力を広げ、マジョリティになったころには力を失い、愚かになっている。それはすでに抜け殻だ」といったようなものがあったと思います。内容だけが頭に残っているので言葉は違うとおもいますが、このような趣旨です。つまり、本物の、民衆を率いる王というものは、常に「愚かな王を討つ立場にある者」だということですね。これは真理だと思います。


この反逆者つまり皇帝はだれか?もちろんそれぞれ自分自身です。それぞれの心の中にある反逆しようとする精神。よりよい世界に向かおうという野心。

自分自身が反逆者となり得るというのは本当に危険な真実ではないかなあ。王がひっくり返る時、混沌となるのは間違いないですし。

危険な真実を、臆することなく見つめる勇気を。それぞれがこの絵を自分のこととして見つめてみてほしいものだなと思います。いやあ久しぶりにカード見てスッキリしました!

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