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論理の限界点
記事ありがとうございます。
>マジで「戦略」でみるのなら自分すら「善・最良」とみては、過つ。自分すら、「胡散臭い・正しいか?」と見れてこそ、戦略で「まともな手」が打てる。
これはそうですね、「己を善や最良であると看做してしまう」のは「戦略的だから」と言うよりも「(浅い)理論で考えるから」といったほうが正確だと思います。言葉や論理というものは、精神が未熟なうちは、自分を正当化させるためばかりに使われるものだ。ということが言えると思います。
言葉や論理、つまり知性の本質的で理想的な使い方は、「自分を客観視するために使う」ことだと思います。そういうことをできる人が精神的に成熟した人であり、且つ、そういう風に論理や知性を使うように気を付ければ、精神的にますます成熟していくだろうと思います。
つまり載晋人さんがおっしゃるように、
>「悪意」も「善」も超越した立場に立たないといけない。
ということですね。
なので
>「戦略的に正しい事」を言う人は、私欲と保身の為政者・権力者や、発狂した民衆に、迫害される。
ということになると思います。なぜなら民衆は大半が精神的に未成熟だからです。
対岸に居るものだけが損得で読んでいるのではなく、己を正義と信じ込んでいる当事者も、目先の損得だけで動いているのだと思いますね。
まとめると、「自分の論理」というものは自分が組み立てているだけあって、自分にとって都合のいいところだけをピックアップして脳内に格納しているものですし、それを使って作った「理屈」は、無自覚なうちに、自分の口に合うような、自分に都合のいいような論理に組みあがっているものなのです。ですが、愚かな人はそれを知らない。本当に賢い人は、「自分の頭は自分に対して自分に都合のいい幻想を見せるものだ、だからその幻想に振り回されてはいけないのだ」ということをいつも自覚している、という感じでしょうか。
ところがまあ幻想に振り回されてヒステリックに持論を振りかざす人ほど、声もパフォーマンスも大きい。なぜなら、心の底からガチでその幻想を真実だと信じ切っているし、それを主張し続けて勝っていかないと自分は滅びるという恐怖に駆られているし、それをし続けないと自己嫌悪に陥りやすいからだと思います。つまり精神性が脆弱なのですよね。なので派手ですから、一般の民衆もその勢いに乗って、そうだそうだとか、あるいは、そうじゃない俺の考えの方が正しい、という感じで、お祭りに発展しやすいわけですね。
真の知性を持っている人は自分の目に映るものが幻想だと知っているし、誰か他人に勝つことには興味を持たないし、必要もないのに発言はしませんから、地味なので迫害されやすいですね。もう有史以来ずっとそうだと思います。歴史とは愚か者が本当に智慧のある者を迫害するエピソード集だと言ってもいいのではないのでしょうか。
とまあそんなことを思いました。
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