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グッバイ過去

どうも、シンガーソングライターの高尾伶です。


地元の学生時代の友達と話してると、
どうやら僕は記憶力が異常のようで、
毎度「よくそんなことまで覚えとるね」
と呆れ半分でびっくりされる。


20歳から東京に住んでるから、
必然的に地元の思い出は学生時代のみになる。


とはいえ、最近になって異常な気もしてきた。


物心ついてから一番古い記憶は3歳の頃(年少さん)に、さくらんぼ組の中で背の順で並んだときに一番後ろだったこと。


「あ、俺が一番デカいんだ」
みたいな感情になったことを覚えている。


少年野球でピッチャーをやっていたとき
たまたま相手バッターが友達で
たまたまデッドボールを当ててしまった試合後
その友達のお母さんに
「伶くんわざと当てたでしょ〜?笑」
と言われて、曖昧な感じでヘラヘラしてしまったことを未だに

「バレましたか笑」

と冗談で返せなかったことを後悔していたりする。笑


このように昔の記憶がスッと思い出せるのは、
このエピソードを誰に話すでもないのに
数年に一度思い出したりしてるからだ。


それの19歳までの記憶がバァーーーっとあって、
小中高の地元の友達に合わせて当時の思い出を話すと友達のほとんどは覚えていない。


そしていつものように少し引かれる。笑


これが何でなのかは自分ではわからない。


中学時代の超内輪の笑い話を急に思い出して
バイト中ニヤニヤしてしまったりして焦る。


小学生高学年でどんどん口が悪くなっていって
体育で熱くなってミスをした友達に
「バカか!!アホ!!代われ!!」
とか言っちゃったことを眠れない夜に
急にフラッシュバックして心臓がギューっと
痛くなったりする。


東京来てからの10年で、こういったことが
月に一回はある気がする。


昔の彼女は今元気してるかな?
もう結婚したりしてるのかな?
とか思っちゃう時もある。。


とにかく気を抜くとすぐ頭の中は過去に埋め尽くされていて、
今こうやってnoteを書いている最中もバンバン思い出してる。


頻度が高いから懐かしい気持ちにはならなくて、
後悔とか苦しい気持ちが蘇る。


僕の『パノラマに街を見渡して』という曲で
「誰かと喜んだ日より悲しませてしまったあの日の記憶の方が強くこの心を形成っている」
という歌詞を書いたけど、ほんとずっとそんな感じ。



地元に帰ると「全然変わってない!」
と驚かれることが多くて、
反対に友達はどんどんおじさんっぽくなってるなぁと思う。笑


で、それは過去ばかりを見てるからなのかなぁと
最近考える。
みんな、ちゃんと今と未来を見ている。


なんでこうなっちゃったんだろう?
と考えるけど、
その大きな要因として、
シンガーソングライターという職業柄が関係していると思った。


シンガーソングライターとして
自分の音楽を作る、自分の言葉を書く、
というのはどうしても「高尾伶とは何か?」
と過去を振り返る作業になりがちだ。


「あんなこといいな、できたらいいな。」
と未来のことばかり書いてしまうと、
それは "自分じゃなきゃいけない" 音楽では
無くなってしまう。


さらにもう一つの要因として、

「家にこもりすぎている」があると思った。

僕はとにかく、今ある楽曲たちはちゃんと高尾伶を自己紹介(自己表現)できているだろうか?

という不安と疑念で抜けきらず、
いまいち外(LIVE活動とか)に出られずにいる。


だから新しい出会いや風が吹かず、
感覚が昔と変わらないまま、
30歳になってしまい、
晴れて、超絶過去人間になってしまった。
(なんそれ!)


ということに、先月ようやく気がついた。笑


冒頭の方でも書いたけど、
最近地元の仲の良い友達と話す機会があって、
そのときに僕が話すエピソードをその友達がことごとく覚えていなかったのだ!


めちゃくちゃ寂しかったし、
なんかすごく恥ずかしかった。


俺も未来を生きなきゃと思った。
過去の過ちや後悔をどうやったら取り返せるだろうか?とばかり考えたけど、その取り返し方は昔の人に会って反省を伝えるとかそういうことじゃなくて、もっと大胆に自分の未来を真っ直ぐ生きるだけだと直感した。


過去を憶えていることは誠実なことだと思ってたけど、
見方を変えれば過去を引きずってウジウジしてたんだな、と自分に冷めた。


外に出なきゃダメだと思った。
未来を生きなきゃダメだと思った。


だから、まだ、
頭の中で考えてるだけの状態だけど、


今年中にバンド体制でLIVEやりますね。


新しい人とじゃんじゃん会っていくんだ。




どうも、ありがとうございました。

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