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人生で初めての「言葉」の展示を終えて。

「言葉」を展示する

人生で初めて、展示なるものをしました。

展示をしたのは「言葉」。

福井に住むゆうさんと始めた「海と山の往復書簡」。その手紙を中心に(まだ2往復しかしていないけれど。笑)、それぞれが書いた小説や詩・エッセイを展示しました。

展示をさせていただいたのは、福井・三国に拠点を置く若い世代が中心となって立ち上げた「集団小商」主催ポップアップイベント「Co-ten」。

「個」であり「Co(一緒に)」なのが素敵。

自分のアイデアを形にできる場所で、何よりみんなが心から楽しんでいて、たくさんエネルギーをもらいました。

展示した空間も「言葉」と相性抜群でした。30年前まで旅館だった建物。ナイスリノベーションすぎる。

目の前で、自分の知らない人に、自分の言葉を読んでもらうことは、もちろん初めてでした。最初はソワソワしていたけれども、読まれる回数を重ねるごとに、自分の言葉がだんだんと確かな形になっている気がして、不思議な感覚でした。

今回の展示に誘ってくれたゆうさんは「氾濫」という作品集をつくっています。エッセイや詩・小説など、彼女のありのままの言葉が詰まった作品集です。

ゆうさんのおかげで、自分の表現を外に出すことのハードルが下がりました。ゆうさんには大感謝です。一緒に書けることが嬉しい。自分も2023年には自費出版にチャレンジしたいです。

書きたいのは「小説」より「詩」なのかもしれない

今回の福井滞在で、ゆうさんと話していて得た大きな気づき。自分は「小説」よりも「詩」が書きたいんだなぁと。

物語のプロットや人間関係の機微には、あまり関心がないみたいです。笑

そもそも、自分が「言葉」と向き合うようになったきっかけは、4年前に「こころが死んだ」と感じてから。それから、自分のこころが動く瞬間を探し続けてきたし、その瞬間を「言葉」の世界の中に求めてきたような気がします。

だからこそ、自分が感じていることや、自分が世界をどう見ているのか。そこに向き合って言葉にしていくことに、意味を感じる。自分の中に潜って、言葉をあぶり出していくことが、楽しいのです。

「手紙」がもっと好きになった

展示の途中から、ふとアイデアが浮かんで「永遠に届かない手紙ノート」を始めてみました。

展示に来てくださった方に、誰かへの思いを書き残してもらう。

その言葉が届くことはないけれども…届かないからこそ、書けることがあるし、書いた本人に刻まれるものがあるはず。

相手に伝えながらも、自分と向き合っている。その矛盾した営みを可能にしているのは、「手書き」というゆったりとした時空間。だからこそ届く自分の深さから、言葉を掬い上げることができる。

実際に何人もの方が、ゆっくりと言葉を残してくれて、とても嬉しかった。

内容は伏せますが、言葉に託された真っ直ぐな思いに、鳥肌が立つ瞬間もありました。人はこんなにも無防備に他者を想えるのか…と。人間そのものへの愛しさが増したような感覚でした。僕は自分のこと、守ってばっかりなのになぁ。

今回の展示を通じて、「手紙」がより一層、好きになりました。

「ただいま」と言える場所が増えるということ

文学の歴史が深い三国で、自分を表現する人たちに囲まれて、自由に言葉と戯れた3日間。2度目だった三国という場所の存在が、自分の中により深く馴染んだ気がして、嬉しかった。

最近思っているのは、自分にとって「ただいま」と心から言えて、「おかえり」と迎え入れてくれる人がいる場所がいくつもあることが、幸せだなぁと。

場所によって、現れる自分の人格も変わってくる。三国は、町並みに風情があって、海が感情を滑らかにしてくれて、自然と表現したくなる場所だなぁと、しみじみ思いました。今回はサンセットビーチで日没も拝めたし。また行きます。

ゆうさんとの「海と山の往復書簡」も、まだまだ続きます!


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