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【第三夜】海と山の往復書簡 2023.01.04

ゆうさんへ

去年の11月に、ゆうさんが秩父に来てくれてから、はや2ヶ月。2022年はあっという間に急ぎ足で目の前を通り過ぎ、2023年は唐突にやって来ました。年の境目が曖昧になり、実感が軽くなっていくのは、年の功でしょうか。

三国の冬は寒いですか?秩父は盆地らしく寒暖差が激しくて、うっかり年末も発熱してしまいました。僕は海の近くの冬は体験したことがなくて、山の冬を体験するのも、今年が初めてです。

昨年の11月・12月は、うっかり自分の心を置いてきぼりにして、走ってしまっていました。

悲鳴を上げた心が自分を防衛するように、批判的な言葉の鎧を外側に並べて、仲間と衝突して。その代償が、年末に自分の身体に返ってきたのだと思います。5日間も熱が下がらず、喉が痛くて何も食べられないのだから、ひどい仕打ちです。笑

人間は、自分の望みもしないことを、あたかも望んでいたかのように繰り返してしまう。滑稽な生き物だなぁと思います。

最近は「こころの器」について、よく考えます。

器の広さは「許しの範囲の広さ」と、同義”ではない”と思います。肯定・否定という二元論を乗り越えた先に見える景色を、僕は渇望しています。ですが、こびりついた思考が邪魔をしてしまうのです。それはもう、忌々しいほどに自分に付き纏って来るのです。その思考の刃は、自分にも他者にも向けられる。自分の意志の届かない場所で、反応的に出てきてしまう。困ったものです。

思考が解かれる稀有な瞬間は、自然と共に在るときだと感じます。人間が生まれる前からあるもの。思考を超えた場所にあるもの。それは海であれ山であれ、きっと本質的には同じなのでしょう。

不完全な「人間」は「人間でないもの」と行き来することで、その不完全さを自覚的に補完しながら、生きていかねばならない存在なのだと思います。人間がつくりだしたもので埋め尽くされつつある今の世界で、その往来は困難を極めます。僕は、暮らしの側に”自然”があることの幸福を、以前よりも噛み締めています。

僕たちが自然から学ばなければならないものは、もっとたくさんあるし、自分はその一端にも触れられていないと、強く思います。

…今日は自分語りが多くなってしまいました。ゆうさんは年末年始、いかがお過ごしでしたか?久しぶりの言葉を、楽しみに待っています。

2023.01.04







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