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ダイイングメッセージへの疑問【伝えたいことが20年分ある#1】

はじめに


この記事は、エッセイ『伝えたいことが20年分ある』の第1章です。試し読み用に公開しました。

『伝えたいことが20年分ある』は小説『Message』のメイキング本でもあります。作品の結末に触れている箇所が多くありますので、小説『Message』未読の方にはおすすめいたしません。

ダイイングメッセージ「110」の誕生
2度に渡る共同創作の過程や成果
物語に取り込んだ、僕の20年分の人生

以上のような内容が収録された、小説『Message』の読者すべてに贈るメイキングエッセイです。

本で楽しみたい方は、以下をご覧ください。Amazonで1650円(税込)で販売しております。




第1章 人生最後に、1番伝えたいことを遺そう。


◆ダイイングメッセージへの疑問


はじめに、小説『Message』の誕生秘話について話そうと思います。

僕はこれまでにいろんな小説を書いてきましたが、そのきっかけはバラバラです。

ただ、大きく分ければ2つに分類できます。

 いいタイトルが思い付いてそこから物語を考えるか。
 オチやトリックを思い付いてその結末に向かうために構想を練るか。

小説『Message』の場合は後者です。

「110」というダイイングメッセージが「I love you」を表していたというネタを思い付き、そこから物語を膨らませていきました。


正確な日付は覚えていませんが、2021年の3月頃、図書館で本を読んでいたときに閃きました。

読んでいたのは青崎有吾さんの『図書館の殺人』。

とある図書館で男子大学生が何者かに殺害されます。彼の手元には2つのダイイングメッセージが遺されており、それは一体何を意味するのかを解き明かす学園ミステリーです。

実は、僕は読書があんまり得意ではないのです。

読んでいるうちに自分なりにあれこれ考えてしまって、目は進んでいるけれど頭が追いついていないことが少なくありません。

それくらい考えてしまう生き物なので、少し生きづらさを感じる場面があるのですが、『図書館の殺人』を読んでいたときはその習性が奏功しました。

ダイイングメッセージが登場したあたりから、僕の意識はそれに注がれていて、ふとこんな疑問が浮かんだのです。
 

「ダイイングメッセージって、なんで犯人の名前を書くんだろう」

ダイイングメッセージはミステリーの定番のネタの1つといっていいでしょう。

被害者が死の間際に遺すアレです。

文字に限るわけではなく、今にも息絶えそうな声だったり、必死で掴んだ物だったり、様々な媒体を通して生者に託す最後のメッセージです。

自分の死を目の前にして何かを遺したいという気持ちを抱くことには納得できるんですが、そのメッセージの内容が犯人の名前であることに違和感を覚えたのです。

確かに、犯人が憎いのは分かります。

命を奪われたのですから、怒って当然です。

しかし、最後の力を振り絞って犯人の名前を書いたところで、何になるのでしょう。

残り時間の僅かな命。

タイムリミットを迎えたら、被害者は死を迎えるわけです。

自分の死後、犯人が捕まっても捕まらなくても関係ないじゃないですか。
だったら、人生最後のメッセージなんだから、自分が本当に伝えたい想いを遺すべきではないでしょうか。
 

最後の力を、自分の人生で最も憎い相手の名前を書くために使うくらいなら、伝えたい人に伝えたいことを伝えるために使うべきではないでしょうか。


家族への「ありがとう」でもいい。

最愛の人への「愛している」でもいい。

ダイイングメッセージのあるべき姿は、こういうものだと思ったのです。


時は同じ頃、金曜ロードショーで『Fukushima50』という映画が放送されました。東日本大震災から10年が経ったタイミングということもあり、放送されたのでしょう。

震災で多大な被害を受けた福島原発。そこで働いていた人たちの物語です。

決して忘れることのできないあの出来事の裏で何があったのか、震災の真実を目撃することができます。

ずっと涙腺がゆるゆるしていたんですが、あるシーンでついに涙がこぼれました。

原発の職員たちが自分たちの死を覚悟して、家族や大切な人に連絡しているシーンです。

次の作戦を実行すれば生きて帰れるか分からない。

そんな状況の中、職員たち全員が携帯を手に取り、電話をかけたり、メールを送ったりしたのです。

そのメールの文面を見たときに、僕は泣きました。


最後のメッセージがあまりにも短く、あまりにも美しかったからです。

 

世の中には言葉があふれています。

現実世界だけじゃありません。

今はネットの時代。SNSではたくさんの言葉たちがしのぎを削っています。

たくさん刷られれば価値が下がっていくお金の原理と同じで、たくさん生み出されたら言葉の価値は下がっていきます。

逆をいうと、制限がかかれば、言葉の価値は上がります。

『Fukushima50』の職員たちは、自分の命がもうすぐ終わるかもしれないと悟り、使える言葉に限りがあると思ったのです。だからこそ、取るに足らないことを言う余裕などなく、本当に伝えたいことを伝えようとしたのです。

そのメッセージは、とても眩しく、輝いていました。

幸い、職員たちの命は助かりましたが、もし事故が起きていれば、そして命を落としていたら、あの電話が、あのメールが、彼らのダイイングメッセージになっていました。


犯人の名前ではなく、自分の言いたいことを遺す。

それがダイイングメッセージの理想だという結論に至ったわけですが、世のミステリー小説、刑事ドラマや探偵アニメで扱われるのは、犯人の名前を書いたダイイングメッセージです。

さらに、単に名前が書いてあったら謎でもなんでもありませんから、暗号のようなメッセージが作り出され続けるのです。

「え、なんでそんなクイズを出してくるの?」というツッコミには、「死の直前には、比類なき神々しいような瞬間が訪れるから」という言い訳で乗り切るのです。ちなみにこれはエラリークイーンの『Xの悲劇』からの引用。

もちろん、ミステリーとしての楽しみはあります。

ダイイングメッセージが謎めいたものであればあるほど何を表しているのか興味が沸きますし、その答えが納得のいくものであればあるほどすっきりします。『図書館の殺人』の爽快感はすごいです。

しかし、「犯人の名前を書くダイイングメッセージ」は現実的ではありません。

実際、現実に被害者がダイイングメッセージを遺した事件は皆無に等しいのです。

そもそもニュースで聞きませんもんね。あります?(笑)

一方、自らの死を迎える前に、家族に手紙を書いたり、ビデオレターをつくったり、直接本人に伝えたり、「自分の言いたいことを遺すダイイングメッセージ」はありふれているのです。


話を整理しましょう。 

ミステリー小説におけるダイイングメッセージに対する違和感は、「犯人の名前を書く」「暗号のような謎めいたメッセージを遺す」という2つの要素から来るものです。

現実におけるダイイングメッセージは、「本当に伝えたいことを伝える」「シンプル」という特徴があります。

これらをふまえて、僕は「現実的なダイイングメッセージをミステリー小説に組み込むことはできないか」と考えました。

つまり、被害者が本当に伝えたいことを伝えるシンプルなダイイングメッセージを題材にしたミステリー小説を書こうとしたのです。

メッセージの内容はすぐに思いつきました。
 

I love you.

人生最後に誰かに贈るメッセージとして申し分ないでしょう。

ここから感動的な物語が作れそうな気がします。


しかし、さっきも触れたようにミステリー小説である以上、謎がなくてはいけないわけで、「I love you」と遺しただけではミステリー小説として成り立ちません。

僕はぼんやりこの文字列を眺めていました。

すると、あることに気が付いたのです。
 

最初の3文字、「110」に見える。


同じ向きにして並べてみましょう。 

「I lo」と「110」 

確かに似ています。この3文字だけなら見間違えてもおかしくありません。

僕は不敵な笑みを浮かべました。

被害者は「I love you」と書き遺したかったけれど、書ききる前に力尽きてしまって「I lo」だけが遺された。それを見た第三者は数字の「110」だと勘違いした。

この展開ならば、全て解決します。

被害者が本当に伝えたいことであり、シンプルであり、かつ謎めいている。

別に被害者自身に謎めいたものにしようという意志はないので「え、なんでそんなクイズを出してくるの?」というツッコミも飛んできません。
 

ダイイングメッセージに正解を出した。

僕はそう確信しました。

 


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