見出し画像

【アサクリ問題】弥助とちょんまげ

以下の記事の結論に記載したが、弥助の髪型が気になった。
弥助が侍(もしくは武士)だったら髷(まげ)があったのか?を思考してみる。

丁髷(ちょんまげ)の歴史は長いらしい

調べると、『丁髷(ちょんまげ)』と言われるようになったのは、江戸時代から呼んだらしい。戦国時代は『髷(まげ)』と呼んでいた。
髷の原型については、飛鳥時代からあったらしい。
江戸時代に、庶民が武士に憧れて広まった
それまでは、武士階級のみ?がしていた。(庶民はしていない)
また、丁髷のちょんは、踊り字の「ゝ(ちょん)」に似ているかららしい。
詳しい話は、調べればいくらでも出てくるので、割愛する。

頭頂部ってなんで剃ってるの?

頭にかぶる兜が蒸れを抑えるために始まった風習
平安末期から前頭部から頭頂部にかけて、剃っている、もしくは抜いた部分のところを『月代(さかやき)』と呼ぶとのこと。
宣教師ルイス・フロイスによると、戦国時代では、木製の毛抜きで髪を抜いていたので、頭が血だらけになったとのこと。江戸時代から剃り始めた。

髷落とすことについて

責任を取る方法として髷を落とすことがあるため、とても不名誉であった。
それだけ、武士として髷は重要であったと思われる。

弥助は髷だったのか?

日本に来た当時の弥助は、南蛮屏風等を見る限り髪は短かったと思われる。
奴隷の扱いはわからないが、長髪の奴隷もいたのかな?(不明)。
短髪説をとると、信長が死去するまで仕えていた15か月間でそこまで髪が伸びたとは思えないし、髷を結うことはできなかったのではないと思われる。
頭血だらけにして、毛抜きで髪抜いていたかもしれないけど・・・覚悟があったかどうか。
個人的には、弥助が侍(もしくは武士)説としては、一歩後退といったところ

まとめ

弥助の髪型は、果たしてどうだったのだろうか?
どうでもいいことかもしれないけど、その人に歴史ありですな。

補足

新しい曲「電妄ダイブ」(AI Music Video)も作成したので、よければ聴いてみてください。

電妄ダイブ(AI Music Video)#アサクリ問題 (youtube.com)

イカレタ世界へようこそ (AI Music Video)#アサクリ問題 (youtube.com)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?