美しさについて

今日は全く根拠のないことを書きます。頭が躁状態で空回りしているせいです。

本文:
美しいものを創ることは芸術に限らず人類の一つの夢だと思う。でも、「美しいもの」を創る人自身はどうか。

偏見もあるかと思うが、絵画で言えば、自画像が残っている画家で言えば、レオナルド・ダ・ヴィンチの絵画はその構図から、人物の造形から何もかも大変美しいが、彼の晩年の自画像は、老いた禿げた醜い老人に過ぎない。個人的にはウィリアム・ブーグロやアルフォンス・ミュシャの女性像が美しくて好きだが、二人とも本人はと言えば髭を生やした老人に過ぎない。(ミュシャにはハンサムだしダンディだとも思うが、「美しい」とは別枠だと思う)

私は絵画のことはあまり詳しくないが、音楽の分野で言っても、アイドルピアニスト当時のリストはあまりにも端正な顔立ちだと思うが、リストが例外なのであって、基本的に作曲家の見た目は別に美しいわけではない。リストよりショパンの曲の方が美しいと思うが、ショパンも、残された2枚の写真を見る限りは、言われるほどに美しくはない。

なぜ芸術家(画家や作曲家)に女性が少ないか、という議論はいくつかの答えがあって、一つは単に歴史時代には女性がそういう職業に就くことが困難だった(作曲家・ピアニストとして初めて女性で成功したのはおそらく有名な作曲家ロベルト・シューマンの妻クララ・シューマン(旧姓ヴィーク)で、それ以前には成功例がない)というのは確かにありそうなのだけど、誰だったか忘れてしまったのだけど、誰かが面白いことを言っていて、男性と女性の違いを述べている男女論の文脈で、「女性は花の性質があって、自分自身が美しくなろうとする」とその人は書いていた。

その男女論ではそこでおしまいだったのだけど、男性の芸術家が多い一つの理由に、結局のところ男性、男体は醜いからではないか、と思う。自分自身が美しくなれないからこそ、美しいものを作り出そうとするのではないか、と考えてしまうのです。

これは性的志向とは別の話だと思っていて、例えばダ・ヴィンチやミケランジェロは、一説ではゲイだと言われていて、どちらも趣向は違うにせよ、男性をモデルにした作品群がある(前者は洗礼者ヨハネ、後者はダビデ像が有名)。しかし、やはり代表作として、前者のモナリザも、後者のピエタ像も、女性である(ピエタ像は女性というよりマリア像なので、もはや美の概念に近いような気もするが)。

ここまでは前置きで、私の話をすると、私は自分のことが常々醜いと思っている。ある理由で昔よりはマシになったとは感じるけれど、元が酷すぎた。私は2011年にいくつか自分の中で気に入っている作品を創っていて、musictrackには公開してあると思うのだけど、「ブルー・デイジー」「毛布みたいに」「海の底には赤い薔薇」の3曲の歌曲は、今でも美しいと思う。でもこれらの曲を作った数ヶ月後に、私は一度(軽くだけれど)自殺未遂している。要は自分の中の、内なる「自分が醜い」という感情に気づくプロセスの中で仕上がったのがその3曲で、気づいた時に耐えられなくなり、自殺しようとした。そしてそれが失敗して家族にも捨てられそうになったので、(さらにその後に別のつらいことも重なったというのもあったのですが)自分を殺して生きることにした、「した」というより結果として気づいたらそうなっていた、のですが。
美しさになんて歳を取ったら求めなくなると誰か邪悪な人に言われましたが、いい歳をした今でも、全然考えが変えられないのです。もがけばもがくほど、自分の醜さに限界を感じる。音楽に昇華したところで自分は醜いままなのだから。

今の現実を全てリセットして、今度は美しい何かに生まれ変わりたい、と思ってしまいます。

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