発達障害と学問
最近、発達障害が悪魔化されていてつらいと思う。まるで世の中の穀潰しであるかのような言い方をされる。
そんな私も、診断を受けたことがあるわけではないが、発達障害だと思っている。それゆえに、発達障害児に多いとされる「こだわり」や「並べ遊び」がどうして起こるのか、理屈としてではなく、感情として理解できる。
自閉症児は、特定の行動を儀式的に繰り返すこだわり行動が多いとされる。それは、世の中という不規則で形の見えない存在に対して、型の決まりきった儀式を行うことで、予測可能で安定した世界になんとか置き換えようとしているのだ。長じてはそれは苦痛な世の中を乗り越える術というだけでなく、純粋に遊びにさらなる。
数学者ニュートンの万有引力の法則は、この世のほとんどすべての物体の運動を、非常に単純なたった一つの数式$${\bold{F}=m\bold{a}}$$で表してしまった。捉え難く理解困難な宇宙をたった一つの数式で表してしまった。実は自閉症児のこだわりとこのことは同じベクトルの話である。なぜなら常人は「この複雑な宇宙のことがそんなに単純に表せるはずがない」となってしまい、一つのルールで理解しようとそもそもしないからだ。似た話を持ち出せば、図書分類はそもそも数学者ライプニッツによって考案されたものだ。複雑な世界を単純化したいという、とてもASD的な捉え方が背景にある。
実はそれが、物理学という学問の発生だし、それが化学や生物、地学といった他の自然科学にも波及し、社会科学や人文科学などにも波及して、現代の世の中がある。工学も、自然科学からわかった知識を応用して作ったもので、自然科学が「世の中を安定で理解しやすい形として捉える儀式」なら、工学は「この世界の物質を使って安定で理解可能な世界をつくる作業」だと思う。複雑なものを複雑に捉えたままでは、何も進まない。
しかし、発達障害は、知的障害を一定の割合で発症してしまう。そうなると、世の中の穀潰しとして扱われる。昔は障害者とわかると生まれてすぐに産婆が首を絞めたなどという恐ろしい話がたくさん聞かれるが、知的障害はすぐにはわからない。生まれてすぐはみんな同じなのだから。それで、限界に陥った多くの人が心中してきたのだと思う。
生まれてきてしまった以上、幸せになる権利はあるが、生まれてこない方が幸せだった命は、残念ながらある。この世の最もつらく苦しい真理。
生まれてから死ぬまでに人間は何億円ものお金を使うが、それを税金で生きながらえるしかないのだ。重度の障害者は、つらいことがあっても喋れないのでかんしゃくを起こして自称行為をするしかない人が多い。生きているだけで苦しいが、周囲から見た自分というものを理解する能力が欠如しているのが唯一の救いなのかもしれない。
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