厭世観へのsympathy

まず初めに、今回の大災害で被災された方々の一日も早い復興を心から願っております。

その上で、こんなことを言うと残酷非道な狂人・非人間だと思われそうですが、元日に震度7の地震が起こり、原発はデパートのように並び立つ福井県の面する日本海側に大津波警報が発出されるという異常事態に、少しだけ正の感情を抱きました。

それとよく似た感情は、コロナ禍の始まりの頃にもあったし、その最てる例はやはり東日本大震災であったと思います。

不幸な状況に置かれている人にとって、明るい社会というのは眩しすぎる存在で、それ自体が自分の敵であるように感じるのです(個人的には、加藤智大元死刑囚が全く意味不明な無差別殺人を起こしてしまったのも、そういうことだったのだろうも思います)。

東日本大震災の時、大地震、大津波、そして原発事故による原子力緊急事態宣言の発出が重なるという人類史上未曾有の事態に、社会全体が凄まじい斜陽の空気を帯びたことを覚えています。もちろん似た空気としては、全米同時多発テロ後のアメリカも挙げられるかもしれませんが、あの時のアメリカには、「憎きイスラム教」という虚構の敵がいましたが、東日本大震災は天災であるが故、恨む先がありませんでした(そのために、唯一人災の要素が大きかった原発事故について政治や東電について、大きな政治運動となっていきましたが、ここでは本題と逸れるのでこれ以上触れません)。

私はその東日本大震災で傾いていた日本の風景が好きでした。なぜならその世界観の中では、周りがみんな私と同じだったからです。その頃、私は私自身の生まれや環境といった様々な要因で抑うつ的となっていましたが、リーマンショックがその前にあったとはいえ、私は明らかに、社会ののけ者でした。

ちなみに、私はこの頃、ピアノ組曲「夜」を作曲していますが、その第1曲は、実は2010年の作曲なので、東日本大震災とは全く関係がありません。しかし、第2-3曲は、あの頃の世相に合っていて、続きを書けたという感じでした。

しかし、東日本大震災の時に感じられた厭世観は、安倍自民党政権による「悪夢の民主党政権」というお決まりのフレーズの民主党叩きと、それを背景とする改憲論争、さらに実体経済を無視した日経株価の上昇という一連の出来事で、根本的には何も解決していないにも関わらず、特に原子力緊急事態宣言に至っては2024年元旦時点でいまだに発出されたままという状況であるにもかかわらず、いつのまにかこの空気は消えてなくなってしまいました。

これと似た空気を感じたのは、コロナ禍の始まりの頃です。Stay Homeという掛け声のもと緊急事態宣言が発出され、人々を誰も見かけない日々が続きました。厭世観とは少し違いましたが、それにしても、私のような引きこもりにとっては、世の中全体が再び暗闇に閉ざされたあの空気はとても過ごしやすいものでした。ところがそれも、COVID-19自体は全く解決していないどころか、より感染性も免疫回避も強い変異株が中国で現在進行形で広まっているにも関わらず、みんなが疲れたので終わるという、科学性のかけらもない結末を迎えています。

話が脱線してしまいましたが、まとめると、社会が傾き斜陽の厭世観に包まれることで、始末は救われる人たちがいるという話でした。

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