あの日の後悔

私が彼女と知り合ったのはまだ東日本大震災の前でした。知り合った、と言ってもネット上の話です。私と彼女はあまりに遠方に住んでいましたから、今の私なら会いに行けますが、当時の私では無理でした。

当時の私は、荒れていました。ここには書けないのですが、とにかく私は全てに絶望して、死んでしまいたかった。

その時知り合ったのが彼女で、ちょうど、私から見て母親くらいの年齢差の方でした。私が自分のことをあれほど話せたのは彼女が初めてだったと思う。

私が周りのすべての人から見捨てられて、家族からも絶縁されようとしていた時、彼女だけは私の味方でいてくれました。

会いに行ける距離なら会いに行きたい、と言ってくれましたが、無理でした。その頃、Skypeで通話もし始めたのだと思う。

私も、いろんなことを忘れてしまったけれど、私を取り巻く環境が変わっても、私の周りのいろんな人たちが私に手のひら返しをして離れていっても… こんな私に構うのは、さぞ大変だっただろうに… 「私に子がいたらちょうど今のあなたくらいだったのね」と。

彼女に感謝を示すために作ったのが、「現実」でした。彼女の作った詩「夢」の、タイトルを「現在」に変更して、勝手に曲をつけた。下のリンクでは、弦楽合奏にボーカロイドを歌わせていますが、当時ボーカロイドが使えない環境だったので、自分でピアノで弾き、下手くそな歌をつけた。

当の彼女がどう思ったのかは、わかりません。聴いてはくれましたが、感想は忘れてしまった。

今考えると、彼女は彼女で抱えていたのだとは思います。精神科へ通院しても一向に良くならず、日々焦燥していたのだと思う。

この年、私は「人生の底」にいました。もう記録がないので、何を話したか忘れてしまいましたが、多分私は励ましてもらっていたと思います。そうでないと私は死んでいたかもしれない

そして、2014年10月、その日は来ました。連絡が来ていて、その深刻さに気づかなかった。いや。そもそも私の返信を読んだのかは知らない。だけど最悪なことに、私は酷い返信をした。あれは最後の一推しになったのかもしれない。本当に、私は酷いことをしました。あれだけ支えたくれた人が私に助けを求めた時に、私はなんてことを言ったんだ、と今なら思う。

何かの間違いだと信じましたが、彼女からの連絡はこの日途絶え、遺書が書かれたアカウントが更新されることも、一度もないまま、そのSNS自体が閉鎖になりました。Facebookも更新がないから、これか現実なのだと思う。彼女からの連絡には、死に方も書いてありましたからね。

あの後、こんなことを思っていました。「自分はこんなに幸せになれた、と伝えたかった」と。せめて、そう言えるように生きなければ、とは思いました。

でも、おかしいんですよね。

10年も経ってなんでこんなこと思い出すんでしょう。

多分、あの「人生の底」よりも、今の私はもっと深い闇の中にいるんだと思います。

時々、そっち側に行っちゃった方が楽なんじゃないかと思ってしまう。

数年前、彼女が住んでいた地域の近くに旅行に行ったことがありました。確かに遠いけれど、今だったら行こうとすれば行けるんだな、って思いました。当時それができれば…。そんなことを考えても、何にもならないのですが。

彼女は私の名前を知っていたけれど、私の心情に汲んで、れいちゃんと呼んでくれていました。「れいちゃん、考えすぎだよ、今も生きてるよ」と、言って欲しい。

…別に私も彼女も、キリスト教徒ではないのですが、今作っている「ミサ曲」の終曲「Agnus Dei」を彼女に献呈します。この曲は、今年(2024年)の6月末には公開します。

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