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ROCK IN JAPAN FESTIVAL

幾つか夏らしいことをした。内容は読んでのお楽しみ。とても楽しい夏フェス。友達に誘われROCK IN JAPAN FESに行く。

本当は数日前から体調が悪く、大事をとって休んでおこうかと思った。見たい人が沢山出ていた。行った方が良い。

音楽は魔法ではない。大森靖子は演壇で繰り返す、何度も。私はライブ、祭など会場中が一体になって盛り上がる場は小さい頃から苦手。例えば、みんなと同じ瞬間で拳を挙げられない、同じ時に同じコールができない。置いていかれる。本当は誰もが十人十色の自由な楽しみ方をする。そう。人は沢山いる。私は何故か何時も、自分の不器用さのせいで余計に寂しい。音楽の感じ方は十人十色。TPOで感じたことに対し、感じたままに身体は反応。

彼女が演壇に出て、マジックミラーを唄う。ずっと涙が止まらない。沢山の人がいても個人の魂に意図的に寄り添う。本当は無理。絶対やる。漠然とした声は届かない。声を物体に変え、個人に無理矢理渡すよう唄う。人はみんな寂しい。誰かがずっと傍に居ると言ってくれる。全部十分。

彼女はSNSで私が彼女の曲を聴いている時の呟きに対し「あなたの毎日が楽しくなるような曲を書けるよう頑張る」と言った。私の毎日。楽しいと思えるのってどんなこと。私の毎日。楽しくなると誰かに思ってもらえる。全然寂しくなくなる。寂しくないは楽しいよりもっと嬉しい。寂しいからこの瞬間が嬉しい。寂しがり屋の私は本当に幸運。

最後はBUMP OF CHICKENを見る。友達と手を繋ぎ、演壇前まで走る。人ごみでぎゅうぎゅう。聴いた。人には命がそのまま声になる瞬間がある。瞬間は誰しもにやってくる訳ではない。分かっている。目の前で命がそのまま声になるのを聴いた。胸を奮わせずにはいられない。今日の聴いた歌声はそう。誰かが生を感じたくて此処まで走る。声は眩しく、綺麗でもない。生きている。人は色々な想いを超えた方が美しい。沢山怪我をし、継ぎ接ぎだらけ。心はいっそう美しい。そう。

今私は、色々な経験を重ねている最中。ふと何も知らなかった頃の自分に戻れるとしたら如何する。世界が全部眩しかった頃、哀しい時に涙が枯れるまで泣いていた頃、喧嘩しても真正面から顔を合わせて謝罪で仲直りできた頃、何時か当然に愛する人と初めて結ばれると思い込んでいた頃。どの時代もその時にしかない宝石。私の現在も、何時か振り返ったとに光に透かす宝石。ふと何も知らなかった頃の自分に戻れるとしたら如何する。世界が全部眩しかった頃、哀しい時に涙が枯れるまで泣いていた頃、喧嘩しても真正面から顔を合わせて謝罪で仲直りできた頃、何時か当然に愛する人と初めて結ばれると思い込んでいた頃。どの時代もその時にしかない宝石。私の現在も、何時か振り返った時、光に透かす宝石。純粋さ、無垢さを失う。価値のあるものを私は拾い集め、歩く。例えば、今noteを読んでくれた画面の前のあなたとの繋がり。何時か私も誰かに「寂しくない」と言う人になる。目の前に確かにいる人。そう。言う。魔法より強い。本当のおまじない。

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