homosocial



【ホモソーシャル(英: homosocial)とは、女性及び同性愛を排除することによって成立する、男性間の関係性を意味する社会学の用語】


俺はホモソーシャルに昔から嫌悪感を抱いている(19~20歳から)けれど嫌いだからといって頭ごなしに軽蔑するわけでもない。理解はしているつもりでいるし、これは本能だから。


体感上、大人になってからのホモソーシャルにおいて自らの能力・魅力の誇示のために効果的なのが、『権力』・『フィジカル』・『女とのセックス』が3強だと思っている。


ここで、『女とのセックス』が随分と限定的な表現だと感じる人もいるだろうが、当人のビジュアルが良かろうが陰でモテていようが実は関係なくて、とにかく『口説いてセックス=モテる=当人の魅力』となる。


なぜなら繊細で曖昧であることが大半である色恋の中で唯一"実績"として揺るがないものだから。それが自信になる。


男だけの集会では恋人の惚気話などない。むしろ恋人以外の女の話を聞く。女に惚れている状態はホモソーシャルでは格を下げるから。"おれには選択肢が沢山あるんだ"を誇示したいかのような口振りで語る。男としてナメられたくないから。


じゃ、この感覚は男の勘違いで女性は誠実な男を求めているのかといえばそんなことはない。

女性は"本人の表面上の意思"に反して、男性の中で優位な立場にある男性を本能的に好きになりやすい。(もちろん個人差はあるが)自信も培われているしね。自信は余裕と包容力に繋がるから。

それに、若干ベクトルが変わるが、女性だって性欲を発散するだけを目的とするなら「自分のことを好きな男(自分の存在が1/1)」より「沢山女を抱いてる男(自分の存在が1/100)」を選ぶだろうさ。だから肉体関係をベースにするなら、モテる男がよりモテるシステムになっている。



ここまで語ると“オレだけはそんな俗的な概念に当て嵌まらない”と思っているように読み取られるだろうが、そんなことはない。意識していなければ本能に飲み込まれる。

以前、縁あって一度そういう関係になった人が人気商売に従事する人で、他の男に言い寄られている状況を直接目にした。そのとき、どれだけ表面上でスカしていようが自分の中に“優越感”みたいなものがあったんだ。確かに。

この感覚はホモソーシャルの根源のようなものなんだと思う。要は、この感覚に本能のまま突っ走るか、醜いモノとするかの差であって人間の本能なんて根本的にはだいたい同じ位置にあるんだよね。

この本能を抑えないと、表面をどう繕おうが基本的に女性を“狩るもの”として扱うことになってしまう。同等には扱っていない。男性性にはきっとその本能が少なからず隠れている。

ただそんなことは問題ではなくて、人間には理性がある。その理性をどこに当ててどこに当てないかというのが本能より大切な人間の根の部分だと思っている。

単に理性を保守の道具として使うのと
本能を理解した上でそこに理性を当てるのは違う。

面倒くさい拗らせた男に思われるかもしれない。ホモソーシャルに於いては弱者レッテルを張られるかもしれない。それでも、プライベートでは嘘偽りなく自分の魂を貫いていきていきたい。








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