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④倫理的に良いサービス提供に必要なことは何か?

この記事は前回記事からの続きです↓



倫理的に良いサービス提供とは何か?(提言)

ここまでサービス提供者が相手の力を奪う瞬間の条件について見ていきました。その条件は、まずメサイアコンプレックスという事象に無自覚であること、そして支援する人が一時的にでも高い地位(ランク)となりやすい専門知識を豊富に持つ立場などが、一般にこの”罠”にはまりやすそうだということが見えてきました。

それではそのような条件のサービスの中でも良いサービスとは一体どんなものでしょうか?ここで、不完全ではありますが、何らかの方向性を示すために僕の意見を述べていこうと思います。


まず倫理的なサービスの提供のために必要だと思うことは、サービス(貢献)提供者はメサイアコンプレックスという罠を自覚することです。そして顧客が自分自身のもっている力をより発揮できるような状態へと支援者が適切にリード(Lead)する=導くことです。

これはどういうことかと言うと、「顧客の力を奪ってしまう支援」の真逆の良い支援とは何か?と考えると、それは「顧客の力を引き出しその人が前よりもよりイキイキとする方にリードする(導く)」ことではないか?と考えたということです。

これは端的に言えば「子の親離れ」を目指すということでもあります。世話をする親と世話を受ける子が互いに依存関係にある状態を超え、適切なタイミングで子が旅立つように親が子をエンパワーメントするように、サービスを受ける人にもそのサービスに依存させるのではなく適切な足場が整ったら、自分の力で課題に対処し次のステージへと進むことを奨励することが、倫理的なサービスの姿ではないでしょうか。

そして、そこで関係性が切れるわけではなく、またそこから顧客の新しいステージが始まるわけですから、そこから先の支援も行うことができる適切な能力をサービス提供者 / 支援者が持ち合わせている場合、そこで改めて関係性を結びなおして、改めて支援を届ける関係性にもなることも考えられるかと思います。

これは支援-被支援 の関係でもありますが、それ以上に、この二者の間に結ばれる関係とは、根本的には同じ方向を向いて共に進んでいる「同志」としての関わり方となっていくとも言えます。なぜなら、そこでは、支援者-被支援者の二者は、お互いからの承認や評価を気にしているのではなく、立ち向かう課題と、達成したい何らかの状態を共に共有し、その共有した目標に向けて自他の区別なく取り組んでいく関係と言えるからです。


自らの「立場」を定義する

また、「子の親離れ」事態をドグマ化(絶対視)してしまうことも良くないでしょう。つまり、こうしたメサイアコンプレックス的な支援になってしまわないか?と過度に恐れるあまり、支援を求めている人に手を差し伸べ”無い”ことも倫理的とは言い難いと思います。

そこで、「子の親離れ」が起きることを最終ゴールとしながらも、それは”起きる”のであって、”起こす”こと(=この場合無理に突っぱねること)ではないと認識することが重要になると思います。

また、総合すると、そうした子の親離れが”起きる”までは支援者は「自らの立場を自覚的に定義する」ことで、自らの領分を定め、その範囲内で強力な支援を行うことが重要ではないでしょうか。サービス提供者が地位(ランク)の差が発生する場面に遭遇するのはある意味で自然なことです。そこでは支援者は顧客を適切にリードするリーダーシップが求められます。そうしたことを踏まえて支援者は、地位(ランク)の差が発生する場面にのまれないためにも「自らの立場を定義する」という行為が必要と考えます。

これは例えば専門家としての立場:「支援の内容は情報提供にとどめて、個別具体的な判断は相手に任せる」や、医者のような立場:「診断をし、診断結果を伝え、処方箋まで出す」です。他にもあると思われますが、自分の言葉でそうした立場を定義し、その立場がもつ意義と限界を自分自身で吟味することが重要だと考えます。


専門家としての立場も、医者としての立場もふくめ、支援者としての立場が成功するには総じて以下のような条件が必要だとも言われます。


・顧客(サービス受益者)が正確に情報を明かせるだけの信頼を支援者に寄せており、正確な情報を支援者に提供してくれること
 

 
・情報や診断は、客観的な根拠を持っていること、また情報や診断を疑い議論する権利が顧客(サービス受益者)にはあることが明示されていること
 

 
・顧客(サービス受益者)が、最終的にはその問題に責任を持っており、最終的には自分で自分の問題を見抜き、自分で解決できるようになることが望ましいと双方が認識していること
 

 
このような関係性を築くために、サービスの提供開始時などに合意形成をすることや、そうした関係性となれるような働きかけ(言葉かけ)をすることも重要かと思います。


影響を与え、そして与えられること
 

こうした注意点を気にするあまり、支援を受ける人に対して距離をおいてしまい、支援者の役割を果たさないことにならないか注意も必要です。非常に分かりにくい罠ですが、そうした可能性もゼロでは無いと思います。

これは「関与」と「様子を見ること」の適切なバランスが必要なのではないかということです。

良い支援・サービスの提供者は真摯に顧客の声に耳を傾け、積極的に関与します。「相手に影響を与えること」に責任をもつことで、積極的で説得力のある関与が成り立つと言われます。


影響を与えることに責任を持つとはどういうことかと言うと、自分の意見が相手からの反応によって否定されたり覆ったりするなど、自分自身も相手から影響を受けると認めることであると言えるでしょう。これは、自分がより能力の高く相手をリードする立場であるという自己認識から離れ、自分も間違いを犯すことがあるし、自分自身もまた、成長の途上だと捉えることです。

人は一方的にどちらかが影響を与えるのではなく、お互いに影響を及ぼしあう関係性であるとき、役割や地位(ランク)にかかわらず対等であると感じます。人は自分も相手から影響を受けることを認めているとき、そうした対等性が態度からにじみ出ます。そのため、顧客から影響を受けることを自身に認めている支援者が行う提案は、「提案の押し付け」感が減り、また「遠い距離感に感じる」ことも減り、適切な距離感になるでしょう。



まとめと次回

さて、ここまで倫理的なサービス(貢献)や支援について深掘ってきました。

まとめ
倫理的なサービスのためには、相手の問題に適切な距離感をもって関わっていくことや、相手の成長を適切にリード(Lead)する意志が重要であるということになります。

さらに、自分の「立場」を自分で定義することや、相手に影響を与えることに責任を持つことで積極的に関与するという要素もありました。


次回

ここまで3つの記事では、「メサイアコンプレックスとサービスの提供」という視点で見てきましたが、次は「メサイアコンプレックスとリーダー」というトピックについて考えていきます。

リーダーとは、関わる人々を”導く”立場であり、その場の課題に対する答えに最終的な責任を持つことが多いです。つまりその集団の中で比較的高い地位(ランク)に留まり続けることが暗黙の了解となっている存在です。今回の文脈で言うと、永続的な"人助け"を行う立場であると捉えても良いかもしれません。


次回はそんなリーダーという役割とメサイアコンプレックスの関係についてみていきます。






この記事の参考:人を助けるとはどういうことか――本当の「協力関係」をつくる7つの原則


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