僕だよ!#1
拝啓
立春の候、皆様に於かれましては益々ご健勝の事とお慶び申し上げます。
寒暖差が激しい暖冬となっている今年ですが
私が今これを書いている事務所の外ではビーサンにタンクトップ姿の日焼けが逞しい地域の主が空き缶を集めながらうろうろしています。
さて本日はそんな地域の主を見かけて思い出した売主さんが居たので、彼を皆さんに紹介したいと思います。
読了後に体調に異変をきたさぬようにお体にご自愛の上お読みください。
ではど~ぞ~
ピコ~ン♪
携帯のメッセージが鳴る。
あ、半年前に一回も会えずに連絡が途絶えていた香田さんだ。
【今から行きます】
??
いきなり何?
なんの前触れもなく?
間違って誰かに送った?
まぁ、今日はしばらく事務所に居るから来てもらう分には構わんが・・・。
今まで電話もメッセージも一切折り返さなかったような人が、半年以上音信不通でもいきなり戻ってきて専任&売却!っていうパターンは多いしな。
とりあえず過去の査定書見ながら復習しておこうか。
あ~なるほど。
父親が入院中で所有者本人の意思確認が取れない。と。。。
それでこれ以上話を進められないって事で追客中断していたんだ。思い出した思い出した。
でも確か一回も会った事はないよな。査定書投函した後に電話とメッセージを何回かやり取りしただけで。。。
その日。
お昼すぎのメッセージから17時まで待ったが一向に来る気配はない。
すぐに返信として送った【何時くらいにいらっしゃいますか?】というメッセージに対しては一切の反応がない。
ふつう今から行きますって言ったら遅くても一時間以内には来るもんじゃん?沖縄の人のルーズさを加味しても一時間半じゃない?【今から】ってさw
沖縄の人は約束の時間に家を出る人が多く時間にルーズな輩もたくさんいる。
ちなみに余談だが私の知り合いは約束の時間になってから風呂に入ってすっきりしてから家を出るパターンなので、毎回のごとく一次会が終わるころに参加してくる。それでもしっかりと割り勘をしてもらうから文句はないが。。。
さて、話を戻そう。
時計の針は17時30分を回って外も暗くなり出した。
香田さんも【今行きます】の後に長風呂したパターンという可能性が1%以下くらいありそうだけど、知り合いでも無いし割り勘でも無いから事務所の戸締りを始めて帰ろう。
と思った矢先・・・
カランコロ~ン♪
エントランスのドアが開く
外の湿った空気と一緒に室内に入ってくるアンモニア臭。
汗と尿と溜まった垢となんかいろんなものが混ざって発酵したようなフローラル・・・簡単に言うと鼻に突き刺さる悪臭。
そこに立っていたのは紛れもなく地域を徘徊する主だった。
浅黒く焼けた肌とボサボサの髪の毛。
浅黒く汚れた元の色が何色か分からないジャージと明らかに拾ったであろうくすんだ上着を華麗に着こなす60代くらいの男性。いや、主。
香田さん?
いや、たまたま道を聞きに来た人かもしれない。
ウチの事務所は何故だか地域の主や道や人生に迷う老人が定期的に訪れてくる。電話を貸してほしいとか道を教えて欲しいとかトイレを貸してほしいとか・・・
この人もその何らかの何かに迷った人だろう。
というか香田さんじゃなくあれww呼吸困難になるしwww
ふぅ・・・
とりあえず対応するか。
「いらっしゃいませ~。ご用件は・・・」
「香田です」
あ~ぁ。いやな予感は的中。
「お待ちしておりました~。中へどうぞ」
できるだけ口呼吸を意識して中へ促す。
帰ったらファブリーズと空気清浄機をガンガン回さなきゃな。。。
「この前のアレ売るからよろしく」
唐突に話しだす香田さん。
「あ~ご実家の売却ですよね?確かお父さんが入院中で本人の確認を取れないとかでお話が止まってませんでした?お父さんは退院されたんですか?お亡くなりになられたとか?」
「いや、まだ病院だけど大丈夫。アレを売らないと入院費も払えなくなってきたし、その事を話したら親父も同意してくれたから」
「お父さんの売却意思が確認できるならお手伝いしますよ。前にも話したと思うんですけど、売り出す前にまずは媒介の契約が必要なので一度お父さんの入院先に一緒に同行してもらえますか?」
「いや、急いでいるから買取でお願いしたい。もう一社に話をしたら3500万で買うって言われたから、あんたのとこだと幾らで買える?」
おお♪いきなりの買取チャンス♪
仲介でエンド向けの想定で6500万で算出した査定額だ。3500万買取ならリフォームを考えても利益は出せる。
でもこの他社が出している3500と同額になるとよそ見をされてしまう可能性もあるな。
100万?200・・・いや300くらいぶつけるか。
「ウチで買うなら3800万は出せます」
「わかった。今月中に現金化をお願いしたい。病院の支払いもあるから」
は?え?早!
いや、それってあと二週間じゃんw
銀行通してギリギリ行けるか?
いや、その間に他社がちゃちゃ入れてくる可能性も高いし。。。
銀行に相談なんてしている暇はない、最悪キャッシュで行くか!
「では売買の契約書類を作成して早急にまとめます。一度室内の状態を拝見させてもらってから最終的な金額と条件を決めたいので明日とかにご実家を拝見させていただくことはできますか?」
「明日?いいよ。何時?」
「できるだけ早い時間がいいですね」
「じゃあ9時ね」
カランコロ~ン♪
室内にアンモニア臭を充満させて香田さんは出ていった。
夜の街に出ていった香田さんの背中はまるで街に溶け込んだ地域の主そのものだった。
時間にルーズな人っぽいけど明日の9時にちゃんと居るかな?
明るい時間なら今日にでも見たかったけどな。。。
でも買い取るのに暗い中で見て何か見落としがあると取り返しつかんし。。。
ていうか今日遅くなったことのわびが一切なかったな。
あ、でも【今行きます】ってだけだったから遅れたわけでは無いのか。
俺の知人みたいに風呂入って出てくるタイプでは絶対なさそうだし。てかあれで風呂入ってたらどんな風呂やねん!風呂場が排水溝かよ!って一人ボケツッコミを呟く。
それはさておき。。。
真面目な話として今後のアポはいろいろと気を遣わないとだな。
ちょっと約束を守る事が下手そうな人だし。
という事を考えながら空気清浄機をフルで稼働させ、ファブリーズを一本使い切ったところで事務所を閉めた。
鼻の中に残っている異臭なのか、俺の体にまで移ってしまった残り香なのか、帰宅の途に就いた車内でもずっと臭いが付いて回った。
翌日、よく晴れたいい天気。
物件の外観から室内まできれいに見れそうな明るい太陽。
普通ならとてもテンションの上がる室内確認だろう。
こんな日の案内だと決まる確率がグンと上がる。
いい気分だ。
だが、香田さん宅は一味違う
築15年のRCだから建物自体の外観は問題が無さそうだが・・・
生えっぱなしの雑草と生い茂る木々
何年も放置されタイヤの空気も抜けたボロボロの軽自動車からも草が生えている
カビだらけの遮光カーテンとじめっとした室内
白蟻に食われまくった柱に床
普段香田さんが生活をしている空間は香田さんがまだそこで寝ているかのような人型が残ったせんべい布団
香田さんがもたれかかっているであろう壁は座った時の香田さんの座高の高さで綺麗に焦げ茶色に染まっている
香田さんの体から出た汚れや体液が布団と壁にべったりと染みついている証拠だ
風呂場は正に排水溝。まさかこんなとこで一人ボケツッコミの予想が的中するとは。。。
トイレはもはや便器以外も全部が黒ずんでいて、トイレそのものが便器なの?と思うくらいの状態
家じゅうのありとあらゆる場所が不摂生な中年男の一人暮らしの惨状を見せつけてくる
RCでがっしりと作られた躯体はいいが、築年数が15年とは思えないほどに荒れた室内はスケルトンレベルのリフォームが必要かもしれない
ふぅ・・・
3500を提示した他社の担当は中を見たのか?
いや、見てたら3500なんて金額は付けられないよな。
「香田さん。昨日3800万ってお伝えしましたがこの状態だと3500も厳しいかもしれません・・・」
この状態を見せられたら2500万くらいまでさげてもらわないと・・・
いや、もう少しかぶせてみるか。
「少なくとも1500万以上は下がらないと難しいかもしれません」
「じゃあ2000でいいよ」
あ?え?まじ?wwww
簡単に値下がりしたw
2000万なら確実に利益出せる。
なんなら土地代だけと考えるよりも安いしw
「わかりました!では2000万円で購入します!」
その場で買付申込書に社判を押して香田さんに手渡す。
買取条件として引き渡しまでに香田さんの負担で残置物を処分する事と測量を完了してもらう事もすんなりOK。
かなり値段を刺したから最悪ウチの負担でもいいと思っていたけど、流れで行ってみたらすぐに承諾。
香田さんは交渉とかが下手なのか何も考えていないのか、どんな条件もすんなりと飲んでくれる。それかよほど目先のお金が欲しいのか。
もっといろんな条件を付加してもいいけど欲張りすぎは他社に逃げられる原因になるので自重する。
ある程度の条件面を話し合い、翌日お父さん本人にも会うためのアポを取り香田さん宅を離れた。
外に出ると目がくらむような日差しで一瞬視界がブラックアウトした。
目が外の光に慣れてきたので思いっきり深呼吸をする。
外の空気ってこんなに澄んでいたんだ。
普通に呼吸をできる事の幸せを噛みしめる。
体中に新鮮な空気が染み込む。
人類はこんなにきれいな空気を壊すような行為をしているのか。
早く大気汚染をやめないと地球は香田さんになっちゃうよ。
大気汚染はしちゃいけないと体の隅々で実感した一日となった。。。
翌日、売買契約書を携えて香田さんと病院の前で待ち合わせる。
善は急げだからと司法書士も同席させ、売買と同時に決済時の本人確認書類をこの場で揃えるつもりだ。
幸いなことに実印と印鑑証明書は香田さんが用意していた。
香田さんが急いで売りたいという気持ちの表れだろうな。
中に入るとすれ違う患者さんも看護師さんも小さな子供でさえも一度は全員が顔をしかめる。
睨む人々の視線が俺にも刺さる。違う違う。俺じゃない。
隣にいる司法書士も同じことを考えているだろう。
香田さんの体から発する臭いは遠くの人にも届くほどの威力がある。
連日会っているからか俺の鼻は麻痺し始めているのかもしれない。
買取チャンスの前では不動産屋は嗅覚という大切な器官をも捨て去る事ができるんだろう。
病室に入ると寝たきりになっている老人が天井を見ている。
我々が入室しても一切の反応がない。
司法書士も同じことを考えたっぽい。
阿吽のアイコンタクト。
・・・あれ?この人意思能力ある?
司法書士も頷く。
恐る恐るベッドの上の老人に話しかける
「もしも~し。香田さん?聞こえますか~?香田真徳さん?ご自宅の売却についてお話をしたいんですけど~」
できるだけ大きな声で話しかける
天井を見ていた老人が返事をした
「ん・・・あ~~~・・・・」
しゃがれた声でどうにか発声している
植物状態ではないようだ。少しだけ安心。
「お家の売却の事で来ましたけど~」
「あぁ。。あれはね・・・あれは長男と相談しないといけないから・・・・」
ん?会話はできた・・・か?
するとすぐ横に居た香田さんが腰をかがめて話しかける
「お父さん?僕だよ!長男の徳治だよ!わかる?」
「・・・・・ん。あ~。。。誰ね?あんたは」
「お父さん!僕だよ!長男だよ!家を売るって話をしてたよね?」
「あ~、、、長男に相談しないと・・・」
「だから僕が長男だよ!家を売らないと病院追い出されちゃうでしょ?」
「あ~・・・だから長男と話をしないと・・・」
「僕が長男だってば!!!徳治だよ!わかるでしょ?」
・・・・ダメだこりゃwww
完全に痴呆だw
長男の顔も忘れているwww
はぁ。。。
嗅覚を犠牲にしてまで動いたのに・・・
必死にお父さんに話しかける香田さんを睨みつける。
いっそこの場でトイレのサンポールでもかけてやろうか。
そしたら香田さんは溶けてなくなるかもしれない。
諦めかけたその時。司法書士が一言。
「私が話してみます」
「真徳さん?香田真徳さんですよね?ご自宅の売却はお考えなんですよね?」
「あ~・・・うん、売るのは長男に任せようと思っているよ。長男に相談しないとね・・・あれは長男のものになるから」
スッとその場で立ち上がりキリっと振り返る司法書士
「金城さん。大丈夫です。本人が売却の意思が在るし、長男さんに任せると言っていますから」
おお~~~~!ファインプレイ!!!
本人の売却意思が在れば別に長男の顔を忘れていても問題ないってことかw
盲点!
売却意思が在ればいいんだよねw
長男なんて忘れ去られても問題ないんだよね!www
家族よりも売却意思だもんね!
後で聞くと相続人が長男の香田さんのみで入院中の本人の病院代を出すための売却だし、印鑑証明も実印も保管していて、本人も家を売らないとダメだと自覚していたから、万が一にもトラブルが起きないだろうという事で意思能力ありと判断したそうだ。
ふぅ~~~~!たすかった~~~~www
にしてもこの香田さん。もしお父さんが言葉も発せない状態だったらどうしたんだ?危うくトイレからサンポールを持ってくるところだったよ。
溶けないで済んでよかったね香田さん。
そうとなれば本人確認も終わったしさっさと決済してあの家を出ていってもらう事にしよう。
一山超えましたがこのお話はここからが本番。
長くなったので続きは次回。
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沖縄の不動産という独特な世界に迷い込んでいます!明るい外の世界の事は忘れました!これからも深海をはいずります!