春秋時代の易占 魯の穆姜の東宮幽閉
歴史上の有名な占例をご紹介します。
■穆姜(ぼくきょう)の東宮幽閉占
(本田濟「易」47頁、176頁。岩波文庫「春秋左氏伝(中)」175頁。襄公9年 )
古代中国に魯という国がありました。
現在の山東省南部に位置します。孔子(BC552~BC479年)の生まれた国です。
さて、孔子が生まれるよりも20年ほど前のお話です。
当時の君主 成公(紀元前590年 - 紀元前573年) の母親に穆姜[ぼっきょう]という女性がいました。
彼女は家臣の叔孫僑如[しゅくそんきょうじょ]と姦通して、叔孫僑如のライバルである季孫氏や孟孫氏を排斥することを謀りましたが失敗しました。
その結果、叔孫僑如は国外へ追放され、穆姜は東宮に幽閉されることとなりました。
そのときの占いです。
「艮が随に之く卦」が出ました(原文は「艮が八に之く卦」)
これを見た太史(占いの官僚)がいいます。
「『随』は『人に随っていく』という意味があり「出る」に通じます。
あなた様はすぐに東宮から出られるべきです」。
得卦が、艮ならば動かないと判断してもよさそうなものですが、
太史は、忖度したのかもしれません。
しかし、穆姜は首を振ります。
「易によれば『随』は『元亨利貞。咎なし』と解釈されます。私に、元亨利貞の徳があれば災難はないでしょう。けれども私は、婦人でありながら乱に加わりました。私には元亨利貞の徳は一つもありません。ですから、『随』の卦は当てはまりません。必ずやここで咎を受けるでしょう。私はここで死ぬはずです。出ていく必要はありません」
BC564年5月、穆姜は東宮で死にました。
「元亨利貞」は四徳といい、沢雷随だけでなく、乾為天、水雷屯そのほかの卦の卦辞にもあります。
卦辞に四徳がある卦が出た場合は、自分に元亨利貞の徳があるかを振り返り、足りないこところを補うにはどのような行動を取ればいいか考えてみましょう。
事態打開のヒントが得られます。
なお、私のオンライン講座 「占いながら64卦に習熟する講座 3 水雷屯」で、「元亨利貞」に関する基本的知識や活用法を解説しています。
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(冒頭画像引用元)Yeu Ninje, CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=1956670による
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