ADHDな私

一瞬一瞬の気持ちをごまかさずに向き合いたいのに、誤魔化してしまう。
やる気になっても、自分より優れた人がいる。一番にはなれない。
向き合って、真剣になって頑張ったって、いつかつまづいてしまうから、自分の気持ちに蓋をしていた。

自分を大切にしなければ、他人のことはいつか大切に出来なくなる。
他人軸より自分軸。
背伸びをして、自分を大きく見せようと頑張ったって、支柱がなければ崩れ落ちてしまう。

毎日同じことの繰り返し。
でも変化がある日々よりも心の落ち着きは保てている。
誰かと会うのは頻繁じゃなくていい。偽善の自分になって、疲れ果てて何も出来なくなってしまうから。

立ち回りが上手く出来ず、要領も悪い、不器用さが目立つ。
特技も思い当たるものがない。
嫌味を嫌味とも思えず、その場で気が付くことが出来ない。
時間が経ったあとに整理がやっとつく。
でも、その頃にはみんな、そのことを忘れている。
後からなんとでも言える。そうとらえられてしまうのがとても悔しい。

「注意欠陥多動症」ではなく「過敏過集中凹凸症」だと思う。
ストレス社会の中で、ただでさえ自信喪失する機会が多く、自己肯定感も保てない状態が続く。
そんな厄介な特性がある人をさらに責め立て、障碍者という括りに閉じ込めようとする風潮に嫌悪感を持っている。
誰だって、長所・短所はある。
それが人より極端で。目を引くというだけで、差別的に線引きをする意味はあるのだろうか。

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