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ADHDの私が第一子、第二子出産後、うつ病と診断を受けるまで②

長男が1歳を超えた頃、第二子の妊娠をする。
第二子もまた、自然妊娠は難しく、不妊治療のために往復2時間かけて専門のクリニックに通院した。
その間、流産の経験もして、思い通りに子どもを授からない悔しさと情けなさで、周りと比べては空しい気持ちになっていた。
それでも、夫と助け合って家庭を守り、長男に毎日癒され、仕事ではやりがいを感じていて、家庭でも職場でも確かな居場所があると実感していた。
しばらくして妊娠が判明し、妊娠経過も順調で第二子の誕生を家族で心待ちにしていた。

しかし、次男は予定日より1か月以上も早く誕生し、低出生体重児で低血糖。呼吸管理や点滴、経管栄養が必要な状態で、全身管だらけで小さいベッドに横たわっていた。生後1週間経っても、保育器から出ることが不可能な状態だった。
さらに、現在、後遺症は残っていないが、原因不明の脳出血も発覚し、専門の病院へ転院となった。長時間の面会出来ないまま、私は先に退院し、生後1か月経過するまで宙ぶらりん状態で、家族3人の元の生活に戻った。

元の生活に戻って、衣・食・住が充実した日々を過ごせるようになっても、次男のことが心配で心配で、常に頭のなかでグルグルと不安な気持ちが渦を巻いていた。こんな状態で産んでしまってごめんね。無理をして負担をかけるような事をしていたかもしれない。私が全て悪い。
自分を責めた分、禊を果たすかのように、産後のズタボロな体で毎日毎日、搾乳した母乳を届けに往復2時間以上もかかる病院へ1か月間、夫と交代で面会に通った。

次男は、幸い、後遺症もみられず、日に日に体重が増えていき、すくすくと成長していった。自発的に呼吸をすることや経管ではなく口からしっかりとミルクや母乳を哺乳することも出来るようになり、問題なく退院することが出来た。この日を心待ちにしていたので、すごくすごく嬉しかった。
だが、大きな喜びと期待とともに、炎の灯が途絶えた、燃え尽きたような気持ちにも少しずつ変化していった。
やっと家族全員で自宅で過ごせるようになった生後2か月目から、絶望的に緊迫や不安、焦燥を感じる日が突如として増えていった。

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