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あをによし~奈良へ① 奈良公園と鹿と春日大社


奈良公園と鹿たち

 奈良県庁を東へ進むと右に興福寺、左に東大寺、そして奈良公園へと入っていく。平安時代から狩猟伐採が禁じられている原生林を擁するミカサヤマ(春日山)の麓に春日大社がある。
 奈良時代768年に称徳天皇によりタケミカヅチ、フツヌシ、アメノコヤネ、ヒメガミが祀られ春日大社が造営された。タケミカヅチは天照大神の命を受けて出雲の国譲りを成し遂げた最強のミコトだ。彼が白鹿に乗ってこの地を訪れたことから、鹿は神の使いとされている。奈良公園一帯に鹿が約1300頭いる所以だ。現在も江戸時代に再建された、いずれも国宝である四つの神殿に神々それぞれが祀られている。

 平城京遷都の710年に藤原不比等が氏神であるタケミカヅチを祀り春日神とした説もあり、768年以前から神事が行われているという研究も進んでいる。いずれにしろ藤原氏の氏神が祀られている。

今でも数多くの神事が行われているが、その中でも1200年以上続く3月13日の春日祭は、天皇の代理として勅使が参向される国の行事として、賀茂神社の葵祭、石清水八幡宮の石清水祭と並ぶ勅祭として知られている。

 ほかにも、20年に一回の式年造替が60回を超えるとか、この60回を超えているのは伊勢神宮と春日大社だけとか、本殿の朱色は水銀を使った特別な顔料が使われているとか、皇室や藤原氏等の貴族からの奉納品は三千を超えていて平安の正倉院と呼ばれているとか、平安から奉納された燈籠は約三千基で日本一、参道に燈籠を並べる風習はここから始まったとか、全国千社の春日神社の本社の風格を伝える逸話は沢山ある。

 藤原氏とのつながりで興福寺と関係が深く、神仏習合が進むと神前読経も始まる。平安時代には強訴などで権力を増す興福寺と春日社は一体化して春日興福寺とも称され隆盛を築いた。その後平清盛の興福寺、東大寺への南都焼討があったり、室町時代の雷による火災、戦国時代には勢力も衰えてしまう。鎌倉、室町の幕府は大和国には守護をおいておらず、その役目は興福寺が担っていた。信長も秀吉も大和国の検地を行い寺領は削減される。

 神仏分離による廃仏毀釈の打撃を受けたのは興福寺で、春日社はこの時に春日大社と名を変えて今に至っている。

 沢山の鹿が闊歩する公園を行く修学旅行一団や外国人たちは珍しい光景に大喜びだ。鹿は太古よりこの地で大事に守られてきた。多くの立て看板を見るとトラブルもあるらしいが、鹿の目は本当に可愛い。
 とか言ってると足元にもトラブルあり、フンじゃいますぞ。

【REG's Diary   たぶれ落窪草紙   11月17日(日)】

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