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アメリカの禁酒法は社会実験だった?現代はソバーキュリアス

 現在ふたつのガンの経過観察中、右の頸動脈も詰まってきている私は全くお酒が飲めないのです。コロナ前まではアル中と家族に揶揄されるほど、毎日お酒を飲んでおりました。
 1920年から1933年までの14年間、アメリカでは消費のためのアルコールの製造、販売、輸送を合衆国憲法の下に全面的に禁止されました。かの有名なボルステッド法、国家禁酒法は当時のウイルソン大統領が拒否権を発動するのですが議会が再可決し施行されました。若い頃に日本にこの法律が施行されていたら私はどのように対応したかな。大人しく禁酒してたかな?

 アメリカでは1658年マサチューセッツ州で度数の高いお酒は不法とする例もあります。あそこは迫害を逃れてメイフラワー号でたどり着いた清教徒の街ですから。酒は神からの贈り物、でも飲み過ぎによるトラブルは間違いなく悪魔の仕業。
 18世紀後半には有名な医師がお酒の乱用は心にも体にも有害であると主張し、これがきっかけとなり各地で禁酒協会ができます。1840年代には敬虔なキリスト教徒を中心に禁酒法推進運動が始まり、酒と歓楽街と売春がセットで批判をうけるケースもあります。ところが南北戦争でこの運動は衰退しますが、戦後には禁酒党という政党もできて復活。
 1881年にカンザス州が初めてお酒を禁止します。キャリーネイション一派は酒を出しているバーに乱入し、斧で酒瓶や酒樽をたたき壊したというから、お酒警察ですね。南部を中心に、州、郡単位で禁酒法が各地で制定されます。宗教や民族の複雑な対立もこの運動を煽ったようです。1917年アメリカは第一次世界大戦でドイツに宣戦布告します。反禁酒法のドイツ系の勢力が衰退し、殆どドイツ系だったビール業界とウイスキー業界が足を引っ張り合い、業界もまとまらず禁酒法の運動は益々勢いを増します。

 ついに1920年に禁酒法が施行。お酒で酔わない事が国を良くするのではないかという社会的な大実験が行われたのです。

 この法律はお酒を飲むことは禁じていません。???
結果、大量の買いだめをした市民が多く、酒酔い運転の検挙が増加。買いだめを飲み尽くすと家庭でも密造酒を醸造。マフィアが経営する秘密酒場(スピークイージー)が乱立。マフィアは酒の密輸入も始めて荒稼ぎ。シカゴのアルカポネやJFケネディの父も巨万の富を得ることに。お酒に関してどんどん緩くなり、法の軽視につながり、結局は廃止となりました。
 この実験でお酒は社会的な認知を受けることになるのです。

 ソバ―キュリアス、少量のお酒または飲まないで楽しむライフスタイルという言葉を聞きます。お酒が重要なコミュニケーションツールだった時代にも変化が見られます。法律で強制されるのでないので多様化のひとつとしてこれは尊重します。

【REG's Diary    たぶれ落窪草紙  5月17日(金)】



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